第10話 太一
うっ、ちょっとまずいかも......
「太一さんごめんなさい。長居しちゃって」
エマは平謝り。
顔だけはうまく悲痛感を出している。
「ああ? 帰って来たんだ。一生戻って来ないかと思った」
いつもと変わりないボソボソとこもった声。
幸いにも怒っている様子は無い。
「小さな女の子が居て、ついつい話し込んじゃって......それで......」
「もう帰るよ」
エマの言い訳を遮り、そして立ち上がった。
「はい」
さすがに何か一言二言位は言われるだろう......多少覚悟はしていたのだが、意外とあっさり。やはりさっぱりとした性格なのかも知れない。
二人は自転車にまたがり、何事も無かったかのように来た道を戻って行く。
そんな二人の様子を、腕組みをして遠くからじっと睨めつけている男がいた。それは管理員の斉藤銀二郎だった。
この男......
ただの管理員にしてはちょっと目が鋭い。体を微動だにせず、額に青筋を浮かべながら尚も睨み続ける。
「全く......余計な仕事増やしやがって!」
銀二朗は吐き捨てるようにそう呟くと、二人に背を向け病院内へと戻って行った。
一方病院を後にした二人はと言うと......
太一の自転車のスピードは来た時にも増して速い。直ぐ様現れた下りのカーブを、スキーのダウンヒルのごとく滑走していく。勿論トップギヤーだ。
エマの買い物自転車も負けじと追走するが、ギヤ無し二十四インチの自転車で到底ついて行けるペースでは無かった。待たされた事への仕返しか? それならちょっと大人気ない。
これだけの猛スピードで飛ばせば、潮風に到着するのもあっという間だった。十五分と掛からない。
さすがのエマもゼエゼエと息を切らしていた。熱中症になりそうだ。一方太一は涼しげな顔。余裕の表情だ。
すると珍しく太一の方からエマに話し掛けて来た。
「あのさぁ、悪い事言わないからバイトの期間終わったらさっさと東京戻った方がいいよ。この島にいると色々誘われたりするかもしれないけど、話半分で聞いときな。あと余計な事に首突っ込むのは止めておいた方いいと思うよ。それ以上は言わないけど」
普段話し掛けて来ない人間から話し掛けられると、それが新鮮であると共に、他の人から言われるより内容が遥かに重く感じる。
第一浜口丸の金吉も同じような事を自分に忠告していた事をエマは思い出した。そして今、病院の管理員斉藤も同じような事を言っていた。
それぞれアプローチは違うが、結局の所言っている事は皆同じ「早く帰れ」という事だ。
彼らの言葉には何かメッセージが隠されているのか?
隠されているとすれば、それは一体何なのか?
お前が居ると邪魔だと言いたいのか?
それとも
自分の身に迫る危険を知らせようとしているのか?
現時点において、その本意は分からない。今それを太一に聞き正した所で、応えてくれるとも思えなかった。
「分かりました。胆に銘じておきます太一さん」
エマはぺこんと頭を下げる。
「じゃあ俺は家に戻るから」
そう言い残すと、太一は家の中にあっさりと消えて行った。
エマはセントジェーン病院から集金したお金を大五郎に渡すと、自身も部屋へと戻って行く。
「あれ? 部屋出る時、確かナップザックベッドの横に置いといたはずなんだけど」
見ればナップザックはテーブルの横に置かれている。そしてゴミ箱の中のゴミは綺麗に片づけられていた。
峰がエマの留守中掃除してくれたのであろう。
その時エマは、金吉から聞き出した情報を記したメモ書きが無くなっている事に気付いてはいなかった。
一枚のメモ書き......
もしエマがこれを肌身離さず持っていたのなら、この後の展開も大きく変わっていたのかも知れない。
自分の身に迫る危険......
この時点では知るよしも無かった。
ヒタヒタヒタ......
耳には聞こえない足音が近づいてくる。それは死神の足音だった。




