第4話 剥製
深く追求する事も無く、何事も無かったかのように階段を駆け下りて行く太一。意外にさっぱりとした性格なのかも知れない。
エマも太一に続いて階段を駆け下りた。
裏口を出るとそこには自転車が二台。黒のマウンテンバイクと籠付きの赤い自転車だ。赤い自転車には田中峰とネーミングされている。
「その横の赤い自転車使って。鍵開いてるから」
太一は黒のマウンテンバイクにまたがりながら言った。太一の自転車なのだろう。
「おいちょっと」
すると後方から大五郎のしゃがれた声が。
「あっ、はい。何ですか大五郎さん」
見れば大五郎は、大きな風呂敷を手にぶら下げている。
「島案内でセントジェーン病院も行くだろ? ちょっとこれ入院棟のナースステーションに届けてくれないか。さっき弁当の注文が入ってな。弁当五人前で四千円。その場で集金も頼むよ」
「はい分かりました。行って来ます」
昨日の夜の一件がまだ尾を引いているのだろうか? 太一は白々しくそっぽを向き、二人の会話には全く入ろうとしない。
エマはまた大五郎が怒り狂いやしないかとヒヤヒヤしていたが、どういう訳か今回は気にも留めない様子。大五郎の怒りの基準はよく分からない。
「じゃあ頼んだよ。ここはよく昼弁当配達するから、行き方覚えておいてくれ」
そう言い終わると、大五郎は弁当の入った風呂敷をエマに手渡し、店の中へとそそくさと消えて行った。
女将の峰がいない所で喧嘩など始まったら仲裁する人間が居ない。大事には至らずエマはホッと胸を撫で下ろした。
昨日の嵐でぬかるんでいた道も、いつの間にやらすっかり乾ききっている。
店の前の海岸通りを渡れば、もうそこは海。見渡す限りエメラルドグリーンの海が広がり、水平線の先まではっきりと見渡せる。手つかずの自然が広がり、それはまるでアクリル画のようであった。エマはこんなに綺麗な海を見た事が無かった。
日本もまだ捨てたもんじゃないな......
本土にこの大自然を大々的に宣伝すれば、観光業で成功する事は間違いないだろうに......
しかしここの島民はそれを好まない。過去の歴史が許さないのであろう。勿体ない話だ。
「行くよ」
太一は空想に耽るエマの目を覚まさせるかのように声を掛けた。会話は常に要点だけで、一切飾りの言葉を使わない。まあ分かり易いと言えば分かり易いのだが。
太一はエマが自転車に乗るのを待たず、一人で走り出して行く。行動は常に唐突だ。
あらっ、行っちゃった......
エマは慌てて自転車にまたがり、太一の後を追い掛けた。
二人は風を切る様にして、海岸通りを北へと進んでいく。十段ギアをフルに行使したマウンテンバイクに、買い物自転車でついていく事は中々容易では無い。
もしかして振り切ろうとしてる?
そんな疑念すら生じる程のスピードに、エマは必死で食らいついていった。
「ここが町役場」
太一は後ろを振り返る事も無く呟く。一応エマに案内をしているという態は崩さない。
町役場......
料亭潮風を出発して最初に現れた大きな建物だ。古めかしい木造二階建てのその建物は、何とも言えぬ風格がある。
正面玄関入口の脇には、人間より少し小ぶりな動物が、何やら手を上げてポーズをとっているようだ。動物にしては動きが無い。
サルの剥製?
それともぬいぐるみか?
「太一さん。あれは?」
エマは立ちこぎしながら大声で問い掛けた。
「サルの剥製。ぬいぐるみじゃないよ」
「やっぱ剥製ですか......有難うございます。ハア、ハア」
さすがのエマも、立ちはだかる強い向かい風は少々辛い。
自転車は海岸通りを更に北へと進んで行く。




