第3話 死の岬
島の前面はほぼ全域が崖で覆われている。崖の高さは三十メートルに及び、まるでよそ者の上陸を拒んでいるかのようにも見える。
これでは島前面に船を着岸させるのは不可能だ。
続いて船から見て島の右側。
即ち東側にはガス灯のごとくおぼろげな灯りが見える。街が広がっているのであろう。ポールのメモによると、この東側に港があるようだ。
もう一方の左側。
即ち西側には岬がせり出している。その先は岬の死角となり、この位置からでは様子を窺がえない。
「正面に物凄い崖が広がってるみたいだけど」
エマは見たままを伝えた。
「違う! 島の地形の事を言ってるんじゃ無い。島が徐々に右に移動しているように見えるじゃろ」
言われてみれば、確かにさっき見た時より、島が右に見える。
「もしかして......」
エマは嫌な予感がした。
「その通りさ。船が西へ西へと流されてんだよ」
金吉は苦り切った表情を浮かべながら、吐き捨てるように言った。
エマはポールのメモに書かれていた内容を思い出す。
「西側は非常に危険の為、足を踏み入れてはいけない。船で入島する際は、必ず島の東側に着岸する事。東側に港有り。西側には絶対に船を近付けてはいけない」
ポールのメモにはそのように書かれていた。
しかし現実船は今、西へ西へと流されている。
一難去ってまた一難。
この嵐といい、潮の流れといい、島がエマの上陸を拒んでいるかのようであった。
まるで目に見えぬ力が働いているかのように......
「この辺りは東から西に向かって、物凄く速い潮が流れてるんだ。このままだと島の西側に漂流しちまう」
「だったらこの際、西側の岬の向こうに着岸すればいいんじゃないの?」
エマは当然のごとく言った。西側がどうなっているのかは分からないが、この際それしか方法は無い。
「とんでもない! そんな事出来る訳が無い!」
金吉は興奮して言った。顔が真っ赤になり、手は震えている。
金吉は何をそんなに興奮しているのか?
訳が分からない。
「もしかして岬の先も崖が広がってるとか?」
「あの先に崖なんか無い。とにかくあっちはダメなんだ!」
苦虫を噛み潰したような顔で、金吉は再び叫び声を上げた。
島の正面は高い崖がそびえ立っている。
港のある東側には、潮の流れで行く事が出来ない。
そして西側もだめ。
八方塞がりとは、正にこのような事を言うのであろう。
そうこう考えている間にも、荒波は次から次へと容赦なく第一浜口丸に襲い掛かる。
いつ船が沈没してもおかしく無い状況だ。悠長な事は言ってられない。
決断しなければならなかった。
「金吉さん。私がこの船とあなたの雇い主です。料金も通常の三倍払っています。西側の岬の先に着岸して下さい。今すぐにです!」
エマは毅然とした態度で、命令するような口調で言い放つ。
「あんたは何も解っちゃいない! あの岬は『死の岬』って呼ばれてるんだ。あの先には絶望しかない。これ以上は言えない」
金吉は下を向いてしまった。金吉の恐れ方は尋常ではない。
西側の森に生息する『大牙』と呼ばれる毒蛇の事だけであれば、こうも狼狽えはしないであろう。
見てきた限り、金吉はこの状況下においても、左程狼狽えた様子は見受けられなかった。かなり胆が据わった人物とエマは見ていた。
その金吉がこれ程までに恐れる『死の岬』の向こう側。いったい何があるのか?
もしかしたら、これが今回の事件を解く鍵かもしれない。エマは何としても、その答えを聞き出したかった。
「だから岬の先には何があるって言うの!」
エマはこれまでになく強い口調で迫る。
「だから言えないんだって! そんな事言ったら俺が殺されちまう!」
エマは一瞬沈黙した。
殺される?
この表現は恐怖の対象が自然現象ではなく、人為的なものである事を表している。
慌てて金吉は付け加えた。
「いっ、今のは言葉のあやで、別に誰かに殺されるとかってそういう事じゃないんだ。忘れてくれ。頼む」
「頼む?」
エマは聞き逃さない。
とたんに金吉の表情に焦りが......
「殺される? 頼むってどういう事なの?」
エマは更に聞き質す。
「いや、別に......意味は無い」
金吉は完全に俯いてしまった。
「意味無い訳無いでしょ!」
エマは絶対に逃がさない。
「もう勘弁してくれ。本当に頼むよ......よし分かった。今思いついたんだが、一つだけ島に着岸出来る方法がある」
苦し紛れに話題をすり替えようとしている事は明らかだったが、金吉の言う島に着岸出来る方法。優先順位的にはそちらの方が先だ。続きを聞くのは、島に上陸してからでも遅くは無い。
こうしている間にも、船はどんどん西に流され、船のエンジンは焼き切れんばかりの悲鳴を上げていた。もはや猶予は無い。
「よろしい......ではその方法とやらを聞かせて」
「分かった」
金吉は一旦呼吸を置き、額に流れ落ちる汗を拭った。そして重い口を開く。
「正面の崖は一見、島の南側全てを覆っているかのように見えるけど、実は一か所だけ途切れている場所がある。
死の岬から東の方向に約五十メートルの地点だ。ここから見ると、他の崖の所より少し黒く見えるだろう」
はっきりとは見えないが、確かにその部分だけ少し黒く見える。
「黒く見えるのは、その部分だけ崖が途切れていて、窪んでいるからなんだ。そこに着岸しよう」
「だったら、あんなに狼狽えないで最初からそうしてればいいのに」
エマは口をへの字に曲げた。
「あそこはあそこでまた色々あるんだよ。出来ればどっちも行きたくない。本当に行きたくないんだ。でもこの際しょうがない」
船は西に流されながらも、崖の窪みにベクトルを合わせた。
船の心臓であるディーゼルエンジンが悲鳴をあげる。
その間に何度となく雷の閃光が辺りを照らし、爆音が響き渡った。
島の発する妖気のような威圧感が、やがて本当の恐怖へと変わっていく。
人間は皆誰でも、先入観というものを持っている。
何でも無い楽しい公園でも、もしその公園で以前に殺人事件があったなどという噂を聞いたなら、ベンチに付いた赤のペンキの跡も血に見えるであろう。
林の中で木をチェーンソーでカットしている人がいたとして、もし『13日の金曜日』の映画を見た直後であれば、その人がジェイソンに見えるであろう。
かねてより耳にしていた極神島のイメージと、この嵐と雷が合わされば、それが島の発する妖気のように感じるのも決して不思議な話ではない。




