第1話 客
「もう客は来ないか......」
照度の低い店内において、今日も『BAR SHARK』の看板は蛍のような淡い光を発していた。
日曜の夜ともなると、ブルーマンデーに備えて早めに帰宅する各々も最近では多いようだ。時は九月二十九日(土)エマが極神島に旅立ってから二週間以上が経過していたその頃......
初老のバーテンダーは、カウンターの内側でお尻がやっと乗る程度の小さな椅子にちょこんと腰掛け、神妙な顔つきで夕刊に読み耽ていた。バーテンダーだけに蝶ネクタイが良く似合う。初老とも言える年代になると、薄暗い店内で小さな文字を読むのは少々辛い。ただでさえ細い目が更に細くなる。
『山上物産の御曹司。新婚旅行は自家用セスナ機で世界一周! 明日三十日六時。桶川空港からいざ出発!』
新聞の片隅に書かれたそんな記事に目が留まる。実に平和な記事だ。不景気なご時世でも金持ってる奴は持ってるんだな......我々とは世界が違う......
若い男女のツーショットがその記事の横に貼られていた。実に表情豊かな女性と、ちょっと引き気味な男性の写真。『肉食女子と草食男子』最近のカップルを象徴するような一枚だ。
それに引き替え、そのすぐ上には実に血生臭い記事が載せられていた。
『仙台市内の某繁華街。またしてもゴミ置き場に変死体!』そんな見出しで始まるその記事の内容はと言うと......
『死因はまたしても絞殺。手に巻きつけられた爆発物は何を意味するのか? 今朝方会津若松市で発見された青年に続いて二人目。警察は組織ぐるみでの犯行と見て捜査を進めている』
まあ、要約するとそんな内容だ。
「ふうっ......」
初老のバーテンダーは深いため息をつくと、四つ折りにした夕刊をポンとカウンターの内側に投げた。セスナ機でのハネムーンの話も、ゴミ置き場での変死体の話も朝からニュースで何度も見ている。もう見飽きた......
店を出している以上、客が来なければ店が成り立たない事ぐらいは理解しているが、客のいない店内は孤独を好むバーテンダーにとって、至福の空間である事この上も無い。
もう客は来ないか?
片付けるとしよう......
バーテンダーは椅子に根の生えたお尻を持ち上げると、洗い残していたグラスをそそくさと洗い始めた。カクテルを作るのは楽しいが、洗い物はあまり好きな方では無い。
ヨットの舵をモチーフにした柱時計の針が、ちょうど夜の十一時を指したその時だった。
ギー......突如入口の扉が解放を見せる。
客か?
すると一人の髪の短い女性が、顔を下に向けたまま店内にゆっくりと入って来た。薄茶色のズボンに濃紺のウィンドブレーカーという実に地味な装いだ。
「いらっしゃいませ」
洗い掛けのグラスを一旦シンクに置き、洗剤だらけの手をそそくさと洗い始める。
「......」
女性は魂の抜けたような表情のまま、無言でカウンター席に腰掛けた。
女性との距離はカウンターを挟んで一メートル足らず。
血生臭い......直感的にそんな印象を受ける。




