第6話 限界
「犬だ!」
「私犬嫌い!」
「犬かわいいよね。玲奈犬大好き」
「玲奈ちゃん背中乗って!」
玲奈は慌ててエマの背中に飛び乗った。
「とりあえずこっち!」
エマは北の方角を指差した。皆我先に北の方角へ向かって走り出す。突然立ち上がった中年の男女は、足が縺れふらついた。倒れそうになりながらも寸前の所で踏ん張り、エマの走りに続く。
エマが北に向かった根拠......それは単なる消去法に過ぎなかった。西の港からは武装した傭兵が押し寄せ、東からは犬を連れた追手がものすごい勢いでこちらに向かって来る。南は今逃げてきた方角であり、そっちに向かったら牢獄に逆戻りだ。幸いにも北の方角は、高木が密集し港の強烈な明かりも届かない。人影も見えなかった。
尻に火が付くと人間は思わぬ力を発揮する。三人はわき目も触れず、ただ無心で北へと走り続けた。火事場の馬鹿力とは正にこのような事を言うのであろう。また牢獄に戻って死へのカウントダウンを待つなんてごめんだ! そんな強い気持ちが、彼らの隠れた潜在能力を刺激したのかもしれない。
結構走れるじゃん......エマは自分の走りに必死で食らいついて来る二人に少し関心していた。
十分もすると、やがて犬の声も人の足音も聞こえなくなっていく。振り切ったか? やがて春子の足が止まる。
「ちょっともう無理。限界......」
嗚咽するようにそう訴えると、突如草木の中に膝を埋め、両手をついた。やはり何事にも限界はあるようだ。
「おい! くたばってる場合じゃないだろう。またあの牢獄に戻りたいのか?」
ゼエ、ゼエ、ゼエ......
春子は山本の叱咤に全くの無反応。息が苦しすぎて話をする余裕すら無いようだ。
「玲奈喉乾いた」
エマの耳元で玲奈が呟く。
「そういえば、牢獄抜け出してから何も飲んでないな。喉が乾いた事すら忘れてたよ」
山本は男である分、春子よりは余力を残してる様子だ。
「ゼエ、ゼエ、ゼエ......何か飲ませて」
春子は声にならないような声で訴えた。三人は同時にエマの顔を見詰めた。
「分かった。みんなちょっとここで休んでて。私はこの先を見て来ます。すぐに戻りますから」
エマは一人先に進んだ......パーマをかけたようなつる草が足に絡まり、油断するとすぐにバランスを失う。
歩きずらいなあ、もう......
進めば進むほど、木々の密集度は深くなる一方だ。鷲の翼のように広がった落葉樹の枝葉は、唯一の光源である星、月の光を容赦なく遮る。前方が見えずらいのは困るが、敵から見つかり易い方がもっと困る。
あれっ、何だ?
エマは足にしつこく絡むつる草を、得意の背面蹴りで切り裂いた所で足を止めた。
前方二十メートル程先......暗闇の中のカラスとまでは言わないが、表現としてはそれに近いような黒い塊が、木々の間で見え隠れしている。
結構大きいな。何かの建物か?
そこから十メートルも進むと、それが箱型の建物である事がはっきりと見て取れた。
こんな深い森の中に建物? そう言えば......大牙の倉庫もこんな環境の中に建てられていた。いずれにせよろくなものでは無いだろう。
この不可思議な建物......大きさとしては、二十五メートルプールがすっぽりと入る程度。人の気配は感じられない。
エマは身を屈めて、小走りに建物へと近付いていく。四面レンガ張りのその建物は、以外にもモダンな造りだった。極神島の海岸通りでも、近代的な港でも見られない新たな趣向の建物だ。




