第3話 父島
夜から雨?......
父島と極神島を行き来する船は、小笠原丸と比較にならない程小さな船と聞いている。
悪天候が祟って、父島で足止めを食らうような事になっては一大事だ。かといって、自分に何が出来ると言う訳でも無い。
まあ何とかなるでしょう......
つべこべ考えていても仕方が無い。
「あっ、そうだ!」
エマは思い出したように、ポールから手渡されたメモを取り出した。
東京から極神島までの移動や、島での滞在先などの手配は、全てポールが行っている。
まずは『メモ1』と記載されたメモを開けた。
「父島から極神島へは船で約七時間。極神島への定期便は無し。基本、父島の島民は極神島へ行く事を好まない。
父島に到着したらまず浜口釣具店に行き、船をチャーターして下さい。主人には話を通してあります。浜口釣具店以外に、この日極神島へ船を出す店は無いので注意を。
なお極神島の東側は安全だが、西側は非常に危険の為、足を踏み入れてはいけない。西側の森には大牙と呼ばれる毒蛇が生息している。
船で入島する際は、必ず島の東側に着岸する事。東側に港有り。西側には絶対に船を近付けてはいけない。
その他、極神島の詳細については現在調査中。分かり次第、随時報告予定。以上」
エマはメモに書かれている内容を全て頭に叩き込むと、荷物をまとめ父島上陸の準備に取り掛かった。
エマの荷物は、大きなスーツケースとナップザックの二個。スーツケースの色は、黒で防水タイプとなっている。
ナップザックの色は、迷彩色でポケットが複数付いており、どちらも非常に大きく見るからに重そうだ。
ちょっと荷物積み込み過ぎたか?
一ヶ月間滞在する事を考えると、しょうがないか......
荷物をまとめてデッキに上がると、間近に迫った父島がすぐに視界に広がった。
その頃にはすっかり船酔いも治まり、それまでの憂鬱が嘘のようだ。老人からもらった薬の賜物だ。
「もっと早く薬貰ってれば良かった」
今更ながらそう思う。
やがて小笠原丸は程なく父島に到着した。
青一色だった空は、いつの間にか積乱雲に覆い尽くされ始めていた。
これは一雨来るな......
不安が脳裏を過る。
浜口釣具店は探すまでも無く、港の目と鼻の先に店を構えていた。
釣竿、バケツなどが乱雑に置かれ、お世辞にも綺麗な店とは言い難い。
エマは浜口釣具店の正面に立ち、ガラス越しに店内の様子を伺った。
入口脇には『船出せます』と書かれた札が掲げられ、風に揺られガタガタと音を立てている。
店内を覗き込むと、レジの前で男が柱に寄り掛かり、足を組んでテレビに夢中。この店の主人なのであろう。
何だか入りずらい店だなぁ......
でも入るしかないか。
エマは店のガラス戸を開けた。
ガラガラガラ......
ものすごい音だ。
「すみません」
「あっ、いらっしゃい」
思っていたより愛想は良さそうだ。
「あのぉ、すみません。船を出してほしいんですが。事前に連絡させて頂いてる者です」
「ちょっと待って」
男は名簿のような物を開きページを捲った。
「えーと......ああ、あった。柊さんかい?」
「はい。柊恵摩です」
「ああ......話は聞いてるよ。お嬢ちゃんも物好きだねえ。何で極神島なんか行きたいの? あそこは何にも無いし、住民もみんなちょっと変だよ。そういえば一ヶ月位前かな?
若いお兄さんが極神島まで船出せって言うから、連れてったんだよ。その後どうしてるかなぁ? 極神島に行くのもそのお兄さんの時以来だなぁ」
斉田雄二!
エマはすかさずナップザックから一枚の写真を取り出し、主人に見せた。斉田雄二の写真だ。
「一か月前、船に乗せた男ってこの人ですか?」
男はテーブルの上に置かれた眼鏡を掛け、写真を手に取る。
「おう! そうそう。こいつだよ。思い出した。何かでっかいカメラ持ってたな。あんたの知り合いかい?」
「まあ......そんなところです。この人の事について何か憶えている事などありますか?」
エマは思わず身を乗り出す。
「もう一か月も前の話だからよく覚えていないけど、確か島に生息している毒蛇について何か知ってるかって聞かれたな。俺あの島の事は良く解んねえから解んねえって答えたけど」
斉田雄二は少なくとも父島に着いた時点では、毒蛇に目を付けていた。それは今の主人の話からして間違いは無さそうだ。
そして斉田雄二は極神島に渡り殺された......
改めて身のすくむ思いがする。
「それとそうそう。肝心な話しとらんかった。今日は夕方から低気圧が近づいて、夜半から海は大荒れになるそうじゃ。今日極神島に行くのは無理じゃ」
主人はあっけらかんとエマに伝える。
「えっ! そりゃ困るよ。いつなら行けるの?」
「二、三日は大湿気になるそうじゃ。行けるのはその後かな?」
「ちょっとそれじゃあ困るんです。今日行かないとダメなんです。お金二倍払います。何とか船を出して下さい」
「ふーん。船沈没しちまうかもしれんからなぁ。二倍じゃあちょっとなぁ......」
男は二ヤリとして言った。明らかに足元を見ている。
「分かりました。三倍払います。それでいいでしょう。船を出して下さい」
エマは一刻も早く極神島に渡りたかった。
「まあいいじゃろう。ここから極神島までは船で七時間じゃ。結構あるぞ。ちょっと待ってて」
男は奥にいる女性と何やら話をしている。主人の奥さんか。
その女性は主人から話を聞きながら、こちらをチラチラと見ている。お世辞にも目付きがいいとは言い難い。
エマは気に掛ける様子も無く、そっぽを向いていた。
とにかく胡散臭い店ではあるが、極神島へ行くにはこの人達を頼らざるを得ない。エマは話が終わるまでじっと待っていた。
やがて男が戻って来ると、
「準備はいいかい。それじゃ行くよ。俺は浜口金吉ってもんだ。よろしくなお嬢ちゃん」
奥さんと話がまとまったのだろう。
「お願いします。ちなみに私には柊恵摩って名前がありますんで。お嬢ちゃんは止めて下さい」
エマは少し膨れっ面だ。
「ヘイヘイ」
金吉はそっぽを向いて答える。エマに答えたのかひとり言なのか分からないような言い方だ。聞きようによっては小バカにしているようにも取れる。
まぁ......この人の癖なのだろう。
気にしても仕方がない。
どうせ極神島に着くまでの辛抱だ。
我慢するとしよう......
エマ達が店を出る頃になると、いつの間に吹く風は湿気を帯び初めていた。それは台風の前に吹く生暖かい風によく似ていた。




