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とほかみえみため  作者: FRIDAY
壱:神宮
9/17

09 豊受大神宮へ

 皇大神宮こうだいじんぐう豊受大神宮とようけだいじんぐうとの間を歩くのは、実を言うとこれが初めてというわけではない。それこそついさっき、この世界に来る直前は、豊受大神宮から皇大神宮まで歩いてきたのだ。正直なところ、実際に伊勢を訪れるまでは内宮ないくう外宮げくうは併設されているものだと何となく思っていた。でも結構、別の神社っぽいところもあるんだよね。外宮の神職である渡会わたらい家の渡会家行いえゆきが唱えた伊勢神道は、外宮を中心に据えた神道観を形成していたということもあるし、一枚岩というわけでもないのだなという印象だ。それはともかく、歩いてみるとこれが結構距離がある。道の問題もあるのかもしれないけれど。数キロの距離だった。

 人世ひとのよでは。

「……何だか、元の世界の倍くらい歩いてるような気もするな」

 ようやく外宮の鳥居が見える距離にまでたどり着いた俺は、膝に手をつきながら吐息した。ようやくほとんど一本道という地点まで来たけど、これがまた結構遠くに思える。そんな俺を横目に、少女は鼻を鳴らす。

「はしゃぎすぎなんだよ、お前。周りには林くらいしかないのに、あっちへフラフラこっちへフラフラと」

「いや、全然そんなつもりなかったんだけどね……」

 あの旅行中、歩くたびにヘロヘロになっていたのは、自覚してなかったけれど実はこんな理由だったんだろうか。移動の大部分に電車を使っていて、出来る限り駅から徒歩で行ける神社に絞っていたのだけれど……それでも、路線バスを逃した山梨の浅間大社やコミュニティバスの運行していない日だった静岡の小國神社では、徒歩二時間とかかかってしまって大変だった。特に小國神社へ向かうときはちょうど台風に直撃して、暴風雨だったから全身ずぶ濡れになったものだ。傘は差していたけど頭くらいしか守れなくて、鞄の中の御朱印帳まで浸水していて大いに焦った。

「でも、内宮と外宮って結構距離あるよね。何でなんだろう」

「さてな。しかし少なくとも、内宮と外宮で創建された時代が違うのは確かだろ」

 そういえばそうだった。これが結構時代差があったはず。ようやく息を整えると、俺は身を起こして道先を見た。鳥居が見える距離とはいえど、まだまだ結構ある。一度座りたいなあ。

 ともあれ、踏み出さなければ進まない。俺はよろよろと歩き始めた。

「内宮がどのようにして創建されたのかは、知っているな?」

「うん、まあ。事の始まりは確か、崇神すじん天皇の頃だったかな」

 内宮創建関係については、“日本書紀”や“倭姫命世記やまとひめのみことせいき”にあったはずだ。“日本書紀”はともかく、“世記”についてはさすがに未読だけど、大まかな話は知っている。

「古くは、天照大御神は倭大国魂ヤマトノオオクニタマという神とともに皇居で祀られていたけれど、この二柱を並べて祀っていると両神の神威が強すぎるから天皇が一緒に住んでいられないということで、外部に移すことになったんだよね」

「そこで天照大御神の御神体を託されたのが、皇女であった豊鍬入姫命トヨスキイリヒメノミコトだ。崇神天皇六年、みことはまず倭笠縫邑やまとかさぬいのさとという村に天照大御神を祀った」

 その倭笠縫邑の所在は諸説あるが、およそ奈良県のどこかであろうと考えられている。ちなみに、同時に宮中を出た倭大国魂は渟名城入姫命ヌナキイリヒメノミコトという皇女に託されて祀られたが、命は体調を崩してしまったそうだ。倭大国魂の祀られた場所は後に現在の大和神社に繋がるらしい。戦艦大和記念塔のある神社だ。

「崇神天皇六年というと、西暦だと……」

「阿呆。私がそんな外来の暦なぞ知るか。紀元前92年だ」

 知ってるんじゃないか。ほんとに何者なんだこの子。……しかし紀元前か。

 俺が阿呆なだけかもしれないけれど、義務教育で習う日本史に慣れちゃうと、紀元前っていきなり原始時代なんじゃないかって印象が根深く残っちゃうんだよねえ。でもユダヤ教や北欧やローマ・ギリシャ、道教や儒教だってみんな紀元前だし。そう考えると、キリスト教暦でもある西暦って、慣れてることがあるにしても凄いわかりやすいけど、世界水準の暦にするには随分偏っているというか強引というか。まあ、そんなことはいいんだけれど。

「”世記”によれば、そののち豊鍬入姫命は天照大御神の託宣に従って各地を転々とし、

 崇神天皇三十九年、但波国吉佐宮よさのみやに四年。

 そののち倭国伊豆加志本宮いつかしのもとのみやに八年、

 木乃国奈久佐浜宮なくさのはまのみやに三年、

 吉備国名方浜宮なかたはまのみやに四年、宮を造って祀った。

 そして弥和乃御室嶺上宮みわののみむろのみねのうえのみやというところに遷幸した崇神天皇五十八年、天照大御神の御杖代みつえしろとして豊鍬入姫命の姪である倭姫命を指名した。ここから豊鍬入姫命に代わり倭姫命が、天照大御神の御鎮座地を求めて諸国を遷幸することになる」

 御室嶺上宮というのは、伝承によれば奈良県の大神おおみわ神社の御神体である三輪山、その山頂であるそうだ。

 しかしまあスラスラと、よく覚えてるなあ。さすがに俺は年代や宮の名前までは記憶していない。

「時間がなくてほとんど行かなかったんだけれど、倭姫命が遷幸した場所って今でも結構、神社とかになって残ってるんだよね。元伊勢っていう」

「そのようだな。一時的とはいえ天照大御神が鎮座していたのだから、その後も有り難がられるのも道理というわけだ。で、倭姫命はそれからさらに崇神天皇六十年から大和国宇多秋宮うだのあきのみやに四年、

 伊賀国市守宮に二年、

 同じく伊賀国穴穂宮に四年、

 垂仁天皇四年から近江国日雲宮に四年、

 同じく近江国坂田宮に二年、

 美濃国伊久良河宮いくらがわのみやに四年、

 伊勢国桑名野代宮くわなのじろみやに四年、

 阿佐賀の藤方片樋宮ふじかたかたひのみやに四年、

 飯野の高宮に四年、遷幸した。

 そして垂仁天皇二十五年、五十鈴川の川上、つまり内宮の鎮座する地にたどり着き、翌年、天照大御神から託宣を受け、この地を鎮座地と定めたわけだ」

 こうして聞くと、豊鍬入姫命、倭姫命とふたりで合わせて十か所以上、数年ごとに半世紀以上もの年月、遷幸し探し続けていたわけだ。まさに人生をかけて。倭姫命はその後、斎宮の始まりとなる人でもあるわけだけれど。

「と、皇大神宮の由緒はこんなところだな。もっとも、世記自体の成立が鎌倉時代であるし、垂仁天皇の御代がどうやら干支が二周近くしていることなどから考えると年代についての信憑性はかなり低い。とはいえ、内宮が成立したのが垂仁天皇二十六年であるところは確かであるとみていいだろう」

「垂仁天皇二十六年というと……紀元前4年か」

 俺がいた時代からすると、二千年以上も前のことなんだなあ。

 で、豊受大神宮はというと。

「”止由気宮儀式帳”だろうな。あるとき雄略天皇が霊夢を見た。何でも、天照大御神はひとりじゃどうにも安心して御飯が食べられないから、丹波国から豊受大神を呼び寄せて、自分の近くで祀るように、とのことだった。そこで雄略天皇は託宣の通りに丹波国の御饌津神みけつかみ、豊受大神を遷座し、豊受大神宮を建立した、というわけだな。雄略天皇が霊夢を見たという年代は”止由気宮儀式帳”に記載がないが、”太神宮諸雑事記”には雄略天皇即位廿一にじゅういち年とある。西暦にして477年のことだな」

 現代の伊勢神宮によれば、雄略天皇二十二年ということになっているけれど、まあその辺りの頃なのは確かだろう。

 ちなみに豊受大神だけれど、“丹後国風土記”逸文によると、丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井という場所にて天女八人で水浴びしていたところ、老夫婦が羽衣を隠したためにひとりだけ帰ることができなくなり、しばらくその老夫婦のもとで万病に効く薬を作って老夫婦を富裕にしたが、十余年後に追い出され、漂泊の末に奈具村という場所に落ち着いた。その天女が豊受大神であるとのことだ。日本各地に古くから伝わっている、所謂いわゆる羽衣伝説だ。物語類型からすれば、異類婚姻譚、白鳥処女伝説、天人女房譚、などになるか。

 そして豊鍬入姫命が各地を転々としていた頃、但波国吉佐宮で天照大御神を祀っていた際、豊受大神が天から降りてきて御饗みあえを奉ったとのことだ。御饌津神といえば他にも、”古事記”で須佐乃袁に斬り殺され五穀を生み出した大気都比売神オオゲツヒメノカミ、同様に”日本書紀”で月読に斬り殺され五穀を生み出した保食神ウケモチノカミ、稲荷信仰の主祭神で豊穣の神である宇迦之御魂神ウカノミタマノカミがいるけれども、あえて天照大御神が豊受大神を指名したのは、そういうところが関係しているのかもしれない。

「内宮の鎮座が垂仁天皇二十六年、外宮の鎮座が雄略天皇二十二年とすると、だ。両宮の鎮座の時差は」

「紀元前4年から478年まで差だから……約482年か」

 改めて考えると、かなりの差だ。五世紀近い開きがあったのか。

「五世紀も離れていれば、近いとはいえどもすぐ隣などに造ることは難しかろう。詳しい事情は想像をたくましくするほかないが、おおよそ内宮の周囲は既に開発が進んでて立ち退きやら何やらが面倒だったからだとか、そんなところじゃないか」

「俗っぽいな~……」

 けれどまあ、人の営みだ。真相は案外そんなところなのかもしれない、っと。

 ようやく、外宮の鳥居が近づいてきた……あれ、誰かいるな。

「豊受大神のかんなぎだろう」

 どーもどーもと手を振りながら、少女は遠慮なく近づいていく。巫女さんは、天照大御神のところにいた子と見た目はほぼ全く同じだ。折り目正しく会釈してくれる。

「ようこそ、お待ちしておりました。正宮まで御案内致します」

「よ、よろしくお願いします」

 巫女さんは頷いて、歩き始めた。うーん、座って休むのはもう少し先になるかな。そろそろほんとに足が棒なんだけれど……。

「なんだ、情けないなあお前。今まで日本ひのもと中を散々歩き回って来たんだろ?」

 それはそうだけれど、逆に今まで二カ月近く、長距離の移動は電車だったとはいえ歩き通しだったのだから、疲れも溜まっているというものなのだよ。

 ……電車といえば。

「俺がもといた世界だと、外宮って駅が結構近くに造られてたんだよね。駅を出たら目の前に一の鳥居があって、そこから道なりにずっと外宮参道を進むと、外宮に着いた」

 内宮は駅からそこそこ距離があった。諸事情あってバスは嫌いな俺だけれど、内宮に関してはバスで行った方がわかりやすいのかもしれない。おはらい町まで行ければわかるんだけれど、そこから出るとちょっと迷う。

「人世の鉄道事情は詳しく知らんが、そういった立地もまた俗っぽい理由なのだろうよ。神世ではそもそも鉄道なんぞ通ってないから、何もないがな」

 少女は肩をすくめる。まあ、それもそうだ。

 巫女さんに続いて、まるで林道のような玉砂利の道を歩いていく。しかし、内宮もそうだったけれど、外宮も広いよなあ。

「そういえば、ある程度大きな神社ってどこでも、摂社や末社があるよね」

「ん? ああ、そうだな」

「で、神宮って内宮も外宮も、摂社末社の他に別宮べつぐうってあるじゃん。実は詳しく知らないんだけれど、摂社、末社、別宮ってどう違うものなの?」

 恥ずかしながら、主祭神とは別に境内で小さく祀られている御社おやしろ、という程度の認識だった。名のある神々が祀られていることが多いから、決して軽んじられるような御社ではないのはわかっているのだけれど。

「別宮とは正宮しょうぐう、皇大神宮では天照大御神のまします宮、豊受大神宮では豊受大神のまします宮の別宮わけみやという意味なのです。別宮では両神と特に関わりの深い神々をお祀りしています」

 答えてくれたのは、豊受大神の巫女さんだった。先頭を歩きながら軽やかに教えてくれる。

 成程。

「それじゃあ、摂社や末社というのは?」

「皇大神宮・豊受大神宮においては、摂社は“延喜式神名帳”に名のある神を、末社では”神名帳”に名のみえない神をお祀りしています。――“延喜式神名帳”は御存知ですね?」

 俺は頷いた。それなら知っている。“延喜式神名帳”は、醍醐天皇の頃にまとめられた”延喜式”の巻九、十のことで、国が把握している神社の名簿、一覧表のことだ。これに名の載っている神社を式内社、載っていない神社を式外社と呼んだりもする。

「神宮以外の神社では、摂社や末社の区別はあまりつけられていないのが通常です。ですが区別されている場合は、主祭神と何らかの意味で関係の強い神々をお祀りしている御社を摂社、それ以外が末社、という区別が多いようです――着きました」

 話しているうちに、豊受大神宮正宮の前にまで来ていた。巫女さんはそこで立ち止まり、そっと俺たちに前を開けた。その先にあるのは、

「ここも……形がちょっと変わってるな」

 皇大神宮のときと一緒だ。扉の開け放たれた内部はだだっ広い空間で、今は誰の姿もない。

「ほら、何をしている。参拝するぞ」

 え、と少女を見下ろす。するの?

「当たり前だろう。神様に謁見するんだから、相応の礼を払え阿呆」

 そう言えば、皇大神宮のときもそうだった。まあ、確かに当たり前のことだ。

 居ずまいを正す。巫女さんの見守る前で、俺と少女は横に並んで呼吸を整えた。


 二礼、

 二拍手、

 一拝。


 一呼吸、静寂。

「――はいはい、もう顔を上げていいですよ~」

 ……何だかちょっと気の抜けるトーンの声がかかった。

 声に従い、顔を上げる。視線の先、正宮内部の奥、天照大御神がそうだったように、そこにいつの間にか誰かが座っていた。

「ど~ぞど~ぞ、上がって下さいな~。こう遠くてはお話もできませんからね~」

 気さくに手招きしてくれる。いや、でも、と俺はまたちょっとしり込みしてしまうのだけれど、

「では遠慮なく」

 こいつは物怖じしないなあ。

 靴は丁寧にそろえながらも、堂々と入っていく少女にちょっと敬意の眼差しを向けてしまう。

「何だお前、気持ち悪い目でこっちを見るな」

 敬意は全く伝わっていなかった。

 俺も奥の誰かと巫女さんに会釈して、サンダルをそろえて脱いでから正宮に上がった。皇大神宮と続けて二回目だけれど、まだ畏怖の念でちょっと足が震える。

「ささ、ど~ぞど~ぞ座って下さいね~」

 促しに従って、二枚並んでいた座布団の一方に腰を下ろした。もう一方には既に少女が座っている。

 俺が腰を落ち着けたのを見計らって、俺たちを招いたこの神社の主は、にこやかに口を開いた。

「はいはいではでは改めまして。私が天照大御神に近侍する御饌津神、豊受大神ですよ~。ど~ぞよろしく、賽原・斎さん~」

 やっぱり気の抜けるような優しい口調の自己紹介だった。


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