04 静寂の神苑
謎の少女に強引に連れられるままに、神苑を進む。わけはわからないけれど、わからないのは周囲の全てだ。
誰もいない神苑。そんな時間が、あり得るのだろうか。
勿論、俺が内宮を訪れるのは今日が初めてだったわけで、だから内宮の混雑事情なんて俺の知る由もないのだけれど、それでも、いくらなんでも静か過ぎる。不自然過ぎる。
神苑の中といえど、遠く、人の生きる音くらいは聞こえてくるはずだ。例えば車、例えば鉄道、動く街の生活。環境音として削除されるような音であるけれど、それが消えたときは帰ってその空白が気に留まる。
それがどういうことなのかは、わかっていない。何が起こっているのか、何かが起こっているのかどうかすら、わからない。唯一、わからないなりにわかっているのは、俺を先導するこの少女――奇特な口調、奇抜な服装の少女が少なくとも俺の理解できていない状況を把握している、ということだ。
ならば、とりあえずついていく他あるまい。ここは神域。まさか鬼や蛇が出るということのあるはずもなし。
「……あの、参拝はもう済ませたんだけど、もう一度参拝するの?」
無言の間、というより静か過ぎる静けさに耐えがたくなって、俺は前を歩く少女に尋ねる。
天照大御神に謁見。
先程、少女はそう言った。
思えばなんだか引っかかる言葉取りではあった。言葉の綾、といえばそれまでだけれど。
あん? と浅く振り返りながら、少女は呆れたように言う。
「確かにお前は、向こうでは参拝したのだろうが、こっちではまだだろう。それに、参拝するだけではない」
謁見と、そう言っただろう。
少女は鼻を鳴らして前に向き直る。
「……えっと」
あくまでも謁見、なんですか。
いやまあ、それもそれとして。
向こう、ってどこ? こっち?
その不穏な言い回しは、詳しく訊いてもいいのだろうか。
しかし、それを切り出しあぐねている間に早くも正宮前までやって来てしまった。つい先程見上げたばかりの石段を、もう一度見上げる。
「どうした。ほら、行くぞ」
感慨もへったくれもなく、少女は淡々と石段を登り始める。否応なく、俺も後に続く。
正宮前の鳥居で浅く礼。そして、改めて正殿の前に立ち、姿勢を正す。
「……ん?」
何か、違う。ついさっき見た拝所と――すぐに気付いた。
目隠しがない。
拝所(正しい名称はわからない)の中央、本来ならば奥の本殿が見えるべき空間には、通常は薄布で覆われている。本殿が直接目に触れないようにするためだ。
その薄布が、ない。つまり、さっきの参拝では見ることのできなかった本殿が、筒抜けだ。それどころか、
……門?
本来ならば、賽銭箱の代わりに設けられた白布のスペースに賽銭を投じ、薄布の向こうに本殿を窺い、礼に倣って拝む場所。しかし、今俺の前にあるそこは、姿かたちは俺も見た拝所でありながら、それをくぐり抜け本殿の目前までまっすぐに続く砂利道となっていた。
「一体、どういう……」
ことだ、と俺が言い終わるのを待つことなく、少女はずんずんと奥へ向かう。え、と俺は心底驚くも、逡巡している俺に気が付いた少女は早く来いと急かすばかりだ。
いや、でも、ダメだろ。拝所(今は様相が違うけど)の向こうなんて、神域も神域、俺のような俗物がおいそれと入っちゃダメな領域だろ。何の気なしに入っていって神罰なんて、俺は嫌だぞ。
「なにをもたもたしているんだ。そんなところでもたついとると神罰が下るぞ」
……そう来るのか。躊躇っていても神罰か……どうしろと。
ええい、ままよ。
俺は一歩を踏み出した。二歩、三歩と踏み込んでいく。
少女は俺が横に並ぶのを待ってから、再び歩き始めた。無言のまま、砂利を踏む音だけが数メートル響く。本殿は、垣から覗いたときと形は変わらない、と思う。初めて見たのがついさっきだから、あまり自信はないが……それでも、やはり少しだけ、それも大きく違うということは見て取れる。
本殿正面。先程垣間見たときには固く閉じられていた扉が、ない。沓脱らしきスペースから木製の階段が数段あり、そこからは本殿が奥まで全開で見通せるようになっている。
どうなってるんだ?
「作法はわかっているな?」
本殿、沓脱の前まで来てようやく足を止めた少女は、俺に確認してくる。もちろん、と俺は頷く。これまで百回以上繰り返してきたことだ。
では、と少女は正面に向き直って居住まいを正した。参拝する、ということだろう。わけのわからないままだが、今は従うほかない。俺も姿勢を正す。
横に並ぶ少女とともに、動く。
二礼。
二拍手。
一礼。
わずかな沈黙をもって、参拝を終える。しかし黙っていても何も起こらない。顔を上げようとしてふと横を見ると、少女はまだ礼のままだ。
「……あの」
「まだ黙っていろ」
言いかけた俺を鋭く遮って、少女は瞑目した。えぇー……と俺は閉口するが、倣って低頭のまま目を閉じる。
神罰、怖いな――
「――顔を上げて構いませんよ」
声がした。その声は女性の声であり、傍らの少女の声ではなかった。
……え?
誰?
反射的に顔を上げ、声のしてきた方、正面を見る――
「――あ、ぐ」
眼が灼けた、かに思えた。
一瞬。それはほんの一瞬だった。
だが、凄まじいまでの煌きが、俺の眼窩に灼き付いた。
両目を押さえる俺をよそに、傍らの少女はゆっくりと顔を上げる。そして、先程まで誰もいなかったはずのそこ、本殿の最奥に座する女性に、信じられないくらいにおしとやかな口調で、こう言った。
「お初にお目にかかります、天照大御神」
……何だって?