表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とほかみえみため  作者: FRIDAY
壱:神宮
3/17

03 不明の少女

 ……遠く、声が聞こえた気がした。誰の声か、なんてわからない。誰かの声だ。

 その声に引き上げられるようにして、不明になっていた意識がじんわりと昇っていく。やがてゆっくりと水面から顔を出すように、まどろみから目を覚ます。

「――お、やっと目覚めたな」

 瞬く。視界に理解が追い付いていない。ひとつひとつを確認するようにして意識する。

 まずは空。快晴の青空だ。陽光の煌きも高い――そう、高い。そこに妙な違和感を抱くが、すぐに正体を掴むことができず、覚醒直後の緩い意識はその違和感を手放してしまう。

 何より、もっと気を引くものが見えているのだ。

 顔。

 仰向けに倒れたままの俺の頭の上の方から覗き込むようにして見下ろしている。逆光ゆえに目鼻立ちははっきりしないが、ストレートの黒髪や先程の声などから少女であることだけはわかった。

 半覚醒は数秒。すぐに、後頭部から鈍い痛みが広がってくる。やはり転んだときに打ったのだろう。

「なんだ、渋い顔をして。どこか痛むのか?」

「ああ、いや……すみません、大丈夫です」

 目をこすりながら上体を起こす。どれくらい気を失っていたのだろう。宇治橋の端で大の字に転んだわけで、往来の激しいここではすぐに誰かに担ぎ出されているはずだろう。けれど浅く見渡したところ、最後に目にしたのと同じ、宇治橋、大鳥居、五十鈴川。場所は移動していない。参拝客がこぞって俺を跨ぎ越して往来しているのでなければ、大した時間は経っていないはず――あ、れ?

 何か、おかしい。

 もう一度、今度は注意深く周囲を見渡す。いや、別段注意深くならなくても、それははっきりとわかる違和感だった。

「ん、今度はなんだ?」

 俺の顔を覗き込んでくる少女の口調や、巫女服を改造したようなその服装も気になるところではあるが、もっと大きな不可思議。

 誰も、いない。

 この宇治橋どころか、前後向こう、四方見渡す限り、俺と少女以外の人影が全くない。

 しかし、そんなわけがない。

 ここは伊勢神宮だ。神道の本宗たる地位のみならず、観光名所としても確固たる地位を気付いている昨今、儀式もない日に参拝客の姿がないわけがない。深夜早朝ならともかく、こんなに日の高い昼日中から、往来のないわけがないのだ。そう、こんなに日が高いのに――

「……いや、高いにしても、高過ぎないか?」

 く、と空を見上げる。日は中天に煌々と照り輝いている。けれど、これもおかしい――思えばそれは、最初に抱いた違和感の正体だ。

 俺は午前に外宮に参拝し、正午頃にこの内宮へ来た。参拝を終えてから、神苑を数時間ほど散策していたのだから、日はそれなりに傾いていたはず。それなのに、今見上げる太陽は直上にある。

 時間が巻き戻っている、としか。

「どういうことだ……?」

 疑問しながら、今度は自分の身辺を確かめる。転ぶときに咄嗟に庇ったカメラは、無事。背負っているダッフルバッグも、どうやら問題ない。おかしいのは、俺の周囲の世界だけだ。

 これは、つまり。俺はまだ気絶していて、多分もうすぐ目覚める段階で、これはまどろみの中に見る幻ということで。

「夢オチだ」

「あ? 何を言ってるんだ。お前は落ちたのではなく転んだのだろうが」

 ……いや、まあ、そうなんですけどね。

 訝しげな顔で俺を見る少女を見返す。夢にしろ現実にしろ、この場には俺の他にはこの少女しかいない。それならまあ、

「あの……ここって、内宮ですよね」

 確認するのも筋だ。問うと、少女は本気で呆れたような顔で頷く。

「何を当たり前のことを言っている。天照大御神の御前だぞ。確認するのも不敬だろうが。言葉を慎め愚か者め」

 なんか思っていた以上に滅茶苦茶に言われた。

「いや、でも、その、俺の知ってる内宮と何か違うというか……」

 まあ、俺だって今日初めて来た場所なんだけれどね。額を押さえながら唸る。頭の鈍痛はあらかた引いたが、今度は違う意味の頭痛がしてきた。

 対して少女は、こともなげに頷いた。

「まあ、そうだろうな。ここはお前がいた内宮とは違う。内宮というか、そもそもの話からして世界が違う。」

「……え?」

 は? 世界?

 世界が何ですって?

「あの、君は何者なの? ここの巫女さんとか?」

 服装は、それっぽい。巫女服にしては何と言うか、改造がされているのかデザインがちょっと違うけど。しかしコスプレ感もなく着こなしているから、着慣れているということだろうか。ならば、やはり巫女さんだろう。

 いや、でも、さっき参拝したとき、授与所なんかにいた巫女さんを見かけたけど、あの人たちは普通の所謂巫女服だった。今目の前で俺を呆れたような顔で見下ろしている少女のそれとは、違う。

 俺の問いに、ん? と見返した少女は、

「んー」

 腕を組んで考え込み始めた。

 え、そんなに考えるようなこと?

「……いや、知らん」

「はい?」

「知らんと言ったのだ。私はまだ自分が何者なのかを知らん。思い出せないというわけでもなく、どうやら初めからわからないようだ」

 滔々とそんなことを言う。いや、真顔で言うようなことなの、それ? 記憶喪失というわけではないというのなら、つまりどういうことなんだ?

「わからんと言っている。私にわかるのは、お前と私が今から何をするべきなのかと、お前が盛大にすっ転げて目を回していたという事実だ」

 口許を手で隠しながら、少女は堪え切れないというように笑いながら言う。

「いや、傑作だったぞ。ズルッと、ズルッとな、受け身も取らずに頭から引っ繰り返ってな、『ぬごっ』とか意味不明かつけったいな音を漏らしたと思ったらピクリとも動かなくなってな――あ、ダメだ思い出したらまたわらけてきたわ、ク、クフ、プフークスクスクス!」

 あ、クソこの女郎めろう、遠慮なく笑い始めやがった。目尻に涙まで浮いている。腹の立つ笑い方だな。

「して、お前は?」

 一頻ひとしきり笑った少女は、目尻の涙を拭いながら俺に訊いてくる。え、何が?

「名だ。お前こそ何者だ? 私は教えたぞ、私が何者なのかわからんことをな。だがよもやお前まで名無しの権兵衛というわけはあるまい? 名乗れよ」

 何でそんなに意味もなく尊大なの? まあ、いいんだけどさ……。

「俺は賽原さいばら……賽原・いつき。大学二年生で、夏休みを全部使って日本一周してたんだ。神社巡りでね。で、ここがそのゴールだった」

「へえ。ずっと歩いて旅してたのか? 履物はきものがそんなていたらくなのはそのせいか」

「いや、長距離の移動は全部電車なんだけどね……それでもいろんな道を歩いたりはしてたから、いつの間にかこんなことに」

 台風に遭ったりとかね。この旅のために新しく買った、スポーツ用のサンダルだったんだけど、二か月でボロボロだ。両足とも先端から割れている。

 けれどもまあ、そんなことはいいんだ。俺が何者かっていうのも、これで十分だろう。

「俺と君が今何をすべきかも、わかってるって言ってたよね。どういうこと? 俺は今から帰るところなんだけど……」急いで電車に乗って空港まで行って飛行機で帰る、予定だった。「何だか様子がおかしいし、何があったの、これ?」

 日の高さもそうだし、人の気配が全然ないのもそう。何か妙だってことは、俺でも肌でわかる。けれど重ねた俺の問いを、少女は鬱陶しそうに手で払った。ちょっと酷い。

「そういうのは後だ。ここで私が中途半端に説明しても仕方がないだろう。だから――ほら、行くぞ」

 言って、少女はおもむろに俺の手を掴んだ。や、ちょっと。

「い、行くってどこに」

 引き起こされるままに立ち上がりながら、戸惑う。後って言われても、俺は急いで帰らないといけなくて、帰れなくなってしまうと飛行機のチケット取り直しで来月の生活費がなくなり新学期に間に合わなくなるどころか履修登録に遅れて進級すらできなくなってしまいかねないのだけれど。

「どこだと? そんなもの、決まっているだろうが」

 だが少女は俺の戸惑いなどには一切頓着せず、ぐいぐいと手を引きながら、歩き出す。俺にとっては、来た道を戻る方向。

 正宮の方へ。

「天照大御神に謁見するのだ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ