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とほかみえみため  作者: FRIDAY
弐:椿大神社
14/17

14 茶屋

 椿大神社つばきおおかみやしろ。主祭神は猿田毘古神サルタヒコノミコト。現世では、三重県鈴鹿市に鎮座している神だ。

 三重県内では三番目に参拝者数が多く、式内社でもある由緒正しき大社である。伊勢国一宮でもある。

 ちなみに皇大神宮から椿大神社までの距離は、徒歩にして約70キロ。

「ぶっ通しで歩いても半日以上かかるよな……」

「ぶっ通しで歩けばたった半日だ。そして既に内宮を出立して二日目。じきに見えても来るさ」

「そうだといいんだけどな……」

 一歩、一歩と足を進めながら、俺は辺りを見渡す。時刻は恐らく午後に回っていて、日は天高く明るい。昼頃までは右手に伊勢湾が見えていたが、途中から内陸に入っていったために辺りには平原と木立しか見えない。

「こんなに長く歩いたのは初めてだわ……」

「何だ、情けない。お前、日本を一周したんだろ? こんな程度でを上げるな」

 そうは言うけどね。俺の日本一周は大部分が電車移動だったし、野宿するのだってこれが初めてだったんだよ。

「そうなのか」

「そうだとも」

 日の出の光に照らされて目覚め、歩き、時折休憩を挟みつつもひたすら歩く。大分だいぶん日が傾いたところで野宿する場所を見繕い、木の枝などを拾ってきて火を起こし、日中の移動の疲れから泥のように眠る。

 まだ二日目なのだが、足腰にかなりキている。

「豊受大神の加護のお陰か、ほとんど空腹を感じないのがせめてもの救いか……」

「加護と言うならばお前、睡眠もほとんどいらないし、疲れだって溜まらないはずなんだぞ。それなのに何だ、その体たらくは」

 そう言われても、疲れるものは疲れるだろう。ずっと歩きっぱなしなんだぞ。身体が疲れないのだとしても心が疲れる。気が疲れると体に響く。

「正直、この調子で日本を一周って、出来る気がしないかも……」

「全く、情けない。豊受大神が何のために饗応してくれたと思っているのだ。いくら加護があったところで、お前自身が人の身に引っ張られてしまっては形無しだ。……仕方ない、とりあえずそこの茶屋で一休みとしよう」

 は、茶屋?

 ここは神々の世界。すなわちここには神々しかおらず、人の営みは一切存在しない。ゆえに、茶屋などという施設もあろうはずがないのだが「あった」ハルカが指さした先には確かに、時代劇で見るようなあばら屋にのぼり旗が立っている。

 俺でもわかる。紛うことなき茶屋だった。

「えぇー……どういうこと」

 思わず足を止めて呻いてしまうが、ハルカは頓着することなく茶屋の前に置かれた長椅子に腰掛けた。ほれ、と手招きまでしてくる。

「どうした、休みたいんだろ。早く座れ」

「いや、それよりもどうしてこんなところに茶屋が」

「何を言っている。お前のための茶屋だろうが」

 俺のため? わけがわからないが、ハルカは構わず奥へ呼びかける。

「おーい、注文注文」

 その声に応じるようにして、奥からパタパタと出てきたのは、巫女さんだった。

「……んン?」

 なんで茶屋に巫女さん?

「あ、その……ここは豊受大神の茶屋です」

 巫女服の袖をたすき掛けで上げた巫女さんが、おずおずと答えてくれる。けど、豊受大神の、って?

「豊受大神からの援助です。食事の神である豊受大神からは、道中の要所で茶屋を用意し、ささやかな休息の時間に心身の休まるお茶とお茶請けを振る舞うように、と」

「な、成程……」

 何というか、凄いシステムだ。でもとてもありがたい。まず何よりも、椅子に座って休めるというのが足腰にありがたい。

「でも、それじゃあ君は、俺らの道に先回りしてこの茶屋を用意し続けてくれるってことになるの?」

 とてもありがたいけれども、それはこの巫女さんに対してとてつもない負担を強いているような気がして申し訳なくなる。見たところ、茶屋にいるのは巫女さんひとりだけだし。まして俺らの旅は、割とその場でテキトーに道を選んで移動しているわけだから、どうやって先回りしてくれるのかも気になる。

「それ自体は問題ないさ。ここは神世、かつ彼女らは神々の巫女だ。時間と空間の概念はあってないようなもの。まさしく神出鬼没、私らの先回りなんてどうということもないのさ。――団子、二本。みたらしで。あと茶はほうじ茶で」

 そ、そうなのか。巫女さんは頷きながらメモを取り、こちらを見る。……注文のメモ取りって、俗っぽいな。

「あ、俺も同じもので」

 かしこまりました、と頷いて、巫女さんは奥へと戻っていった。時間と空間がどうとかいう話を聞くと、何だか凄い施設みたいに思えるが、こうして見ている分には普通の茶屋然としている。

「さて休憩だ休憩だ。ゆっくり休もうじゃないか。茶と団子もさして時間もかかるまい」

 言うなりハルカは足を投げ出して座る。行儀が悪い、と思うが足にキているのも確かだ。少しでも疲れを取ろうと、筋肉を揉み解す。

「今後は、たまに道端にこうやって茶屋があったりするわけか?」

「そうだな。その都度ゆっくり休めばいいのさ。もともと急ぎの旅ではないんだ」

「お前にとっては尚更そうだろうけどな……あれ、そういえば」

 ふと思い至る。天照大御神のところでは、他にあまりにも多くの疑問と不思議が多かったために説明を聞くので手いっぱいだったが、またひとつ疑念が湧いた。まあ、おおよその解答は、さすがにもう予想できるのだが。

「元の世界に戻るのはいいんだけど、こっちであんまり時間をかけすぎると、元の世界に戻ったときに時間が大きく過ぎている、とかはないんだろうか。浦島太郎みたいな」

 何ならもう少し早く思い至っていてもいい疑念だったが。時間の流れが違う世界で生きれば、自然とその隔たりは大きくなっていく――いや、時間と空間の概念があってないようなもの、なんだったか?

「何だ、自分で答えを出したじゃないか。その通りだとも。神世にあって、人世と同様の時間観念は適用されない。平たく言うと、こちらでどれだけ過ごそうが、帰る時代、時間のポイントは帰るときに設定される。お前の場合で言えば、お前がこちらへ移動してきた年齢のまま、お前があの橋ですっ転んで昏倒したあの瞬間に帰る、ということになるのだろう。勿論、土産の玉手箱もない。目覚めたとき、お前は周囲の観光客から『こいつ死んだかな』という目で見られているというわけだ」

 死んだように見えるのならとりあえず見てないで救急車を呼んでくれよ。

 ふむ。しかしまあそれなら、安心ということか。やはりというか、これまでの流れから予想できることではあるが。いずれにしても、有り難いことだ。

「のんびりとゆったりと、それこそお茶に団子を摘まみながら旅をしていいってことか。まあ急げと言われたところで、歩き旅じゃ限度もあるしな……それと言えば、今どの辺りにいるんだろ。結構歩いた気がするけど、椿大神社まで、あとどれくらいかな」

 言っている間に、巫女さんがお盆に湯気の立つお茶と串団子を運んできてくれた。有り難う、と受け取り、俺もハルカもとりあえず御茶をすすり、団子をひとつ噛み、嚥下したところで、ふむ、とハルカが頷いた。

「これまでは基本的には伊勢湾沿いに歩いていたわけだな。何度か大きな川を渡っただろう。順にまず宮川みやがわ櫛田川くしだがわ雲出川くもずがわだな」

 と、奥にいた巫女さんがやって来て、ハルカに筒状のものを手渡した。ああ、ありがとう、と受け取ったハルカがそれを躊躇なく開き、俺も横から覗き込む。

「おお、地図だ」

「地図だな。気の利くことだ。――で、さっき言った川がここ、ここと……ここだ」

 開いた巻子版の地図の上で順に、指をさしていく。それぞれかなりの距離が開いているように見える。それを経てきたのだと思えば、結構歩いてきたものだ。

「宮川というと、神宮の式年遷宮しきねんせんぐうでの御白石持おしらいしもちで使う白石を採ってた川だよな」

「その通りだ。古くは豊宮川、豊の字が落ちて宮川だ。豊受宮とようけぐうみそぎ川だったことに由来するな。神宮正殿の御敷地に敷き詰められた御白石と清石のうち、式年遷宮の際に取り換える御白石は、この川から採取している。ついでに話をすれば……櫛田川。これはわかるか?」

 うーむ、と俺は腕を組んだ。

「櫛、というと櫛名田比売クシナダヒメを連想するわけだけれど」

「残念だが、遠いな。神話としても時代的にも。須佐乃袁スサノヲが櫛名田比売を櫛として八岐大蛇を討ったのは当然、神代のことだが、櫛田川については人世まで時代が下っている。倭姫命ヤマトヒメノミコトはわかるな? 既に一度話に出た」

 ああ、と俺は頷く。

豊鍬入姫命トヨスキイリヒメノミコトを継いで、天照大御神の御座所ござしょを探し遷幸せんこうをし続けた皇女だ。そして、最初の斎宮さいぐうとなった」

「櫛田川はその遷幸の道中、倭姫命が櫛を落としたと言われている川だ。まあ、どちらかと言うと地名としての櫛田が先で、土地名から川にもまた命名されたというが、ともあれその伝説より以来、斎宮となる皇女は伊勢へ下向する道中、この川に櫛を投げ入れ、斎宮として勤めを果たしていく決意を固めたという」

 斎宮は未婚の皇女、神に仕えその意思を伝える御杖代みつえしろだ。初代の、本当に神様と感応していたかもしれない豊鍬入姫命や倭姫命であればまだしも、後代の、制度として卜定ぼくじょうされた皇女であれば、政界の権力闘争から離れ、神に仕える身というのはともすれば孤独な、覚悟の要る立場だったのだろう。出家よりは、修道女に近いだろうか。

「川を指標にしてきたから、この後も川を基準にしてみると、今は岩手川、安濃川も越えて、北北西に向かっている。あとは内陸へ入っていくばかりだから、当分は伊勢湾を臨むこともないだろうな」

「こうして見ると、確かに思いのほか歩いてるんだなあ」

 現在地だ、とハルカが指さす地点を見ると、半分よりは進んでいるようだ。それでも先を思うと、まあ気が遠くなりそうだが。

「まだ旅が始まったばかりだというのに、情けない……日本を一周だぞ? どれだけ歩くことになると思っている」

「まあそうなんだけれども」

 急がない旅、というのがせめてもの情けだ。ひとつ移動するために片道70キロでは、徒歩ではいくら急ごうとしたところで焼石に水だろうが。誤差程度の短縮にしかなるまい。

「それよりも、だ。次の猿田毘古神。時間もあることだし、予想くらいしてもいいだろうとは思うが、何か考えているか?」

「考えるって、何を?」

たわけ。一芸だ。天照大御神や豊受大神から言われていただろう。神々のたわむれ。お前が御朱印を得るためにはこれに付き合い、楽しませねばならんのだ。となれば猿田毘古神も何かしらの一芸を求めてくることになるだろうが……さて、その題は何だろうな?」

 何、といっても、手掛かりも何もないのでは予想のしようもないのでは。

「お前、その神道知識は何のために身に着けたのだ。趣味や座興か、道楽か?」

 いやまあ、そうなのだけれども。

 ふむ。

「椿大神社の祭神、猿田毘古神は国津神くにつかみ葦原中国あしはらのなかつくにを出自とする地祇ちぎだ。天孫降臨てんそんこうりんの際、邇邇芸命ニニギノミコトらを案内するために天の八衢やちまたで待っていた」

 天孫降臨というのは、天照大御神と高皇産霊神タカミムスヒノカミの勅命により、葦原中国を治めるため、三種の神器を携えて日向、現在の宮崎県の高千穂峰へ天下りを行った神話だ。その道中、多数に道が分かれているところ、つまり天の八衢で一行を案内するために待っていたのが、猿田毘古神。

「黄泉返りや岩戸開き、八岐大蛇退治に並ばないまでも、まあ有名な部分だな。特に猿田毘古神と天宇受賣命アメノウズメノミコトのくだり」

 俺は頷く。

「岩戸開きにおいて天照大御神へ舞を奉納し、日の出を取り戻した天宇受賣命は邇邇芸命の天孫降臨に同道している。そしてくだんの八衢で待っている猿田毘古神と出くわすわけだが、まあ、猿田毘古神は第一印象が強烈だったわけだな」

 身長およそ2メートル越え、鼻も長く、目は鏡のように輝き、顔は鬼灯のように真っ赤。そんな人物が道行きに立っているともなれば、さすがの天津神と言えども「え、何あれ……」「めっちゃこっち見てるんですけど……」「ちょっと訊いてこいよ……」などとなるのも想像に難くない。

 そこで天照大御神らに命じられて前に出たのが、天宇受賣命だ。

「天照大御神と高皇産霊神に『お前は度胸があるから、ちょっと行って誰何すいかしてくれ』と命ぜられ、天宇受賣命が問いただすと、その神は猿田毘古神と名乗った。高天原から天津神一行が下ってくると聞いて、道案内のために待っていたと言う。そうして無事に葦原中国に着いた後、邇邇芸命が天宇受賣命に、猿田毘古神の名を明らかにしたのだから、彼を送り届けた後は彼に仕えるように、と命じた。そういうわけで、猿田毘古神の故郷である五十鈴川上流で、二神は夫婦神となったわけだね」

 事程左様に、天孫降臨の一節だ。

「ちなみに、後日談というほどではないが、猿田毘古神にはその後の話がある。それは知っているか?」

 ああ、と俺は頷いた。何と言うか、あまり神らしからぬエピソードなので覚えている。

阿邪訶あざかの海――まあ伊勢湾で釣りをしていた時、比良夫ひらふ貝、今でいう平貝たいらがいという食用の貝に手を挟まれて、溺れる」

 このときにも発生した泡から三柱の神が生まれている。ついでに言うと、椿大神社の社伝では溺死したことになっているが……。

「うーん、所縁のエピソードとしては、釣りかな……」

 釣りでゲームというと、釣果を競う、とかになりそうだが。

「そんなわかりやすいものになるかね」

「そこは何とも言えんな。しかし釣果となると、いきなり運ゲーか」

 確かにそうだが、運ゲーと言うな。

「釣りの経験は?」

「ないなあ。海釣りも川釣りも」

 摑み取り体験ならしたことあるけど。

「逆に、なぜ摑み取り体験なんぞしたことがあるんだ」

「地元の地域のイベントでさ。確か、鮎の摑み取りだったと思う」

 なんだかんだ、二尾くらいは捕った気がする。

 ふうむ、と俺は顎を撫でた。

「まあ、神話にちなむかどうかはわからないとは言え……可能性としては、釣りが一番ありえそう、ってとこかな」

「そうだな。出だしから長期戦になりそうだが、まあ急ぐ旅でもないわけだから、のんびりやればいいな」

 それもそうなんだけど、お前が言うか?


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