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とほかみえみため  作者: FRIDAY
壱:神宮
10/17

10 豊受大神

 純白の浄衣、肩を少し過ぎるくらいの長さの黒髪。座っているから確かなところは何とも言えないけれど、背丈は天照大御神より少し小柄だろうか。気の緩められる口調に、垂れ目がちな双眸も相まってか、ちょっと幼げな印象がある。

 豊受大神は、えっへっへ、と笑った。

「初めまして、になるんですね~賽原・斎さん。ま~、人世であなたが参拝していたときも合わせると、二度目まして、になるんですけどね~」

「え、知ってるんですか? 俺が参拝してたの……」

「神様ですからね~、誰がいつ参拝に来たのかは、斎さんに限らず知っていますよ~。ましてあなたは、朱印も受けていましたし~」

 ほあぁ、と俺は嘆息した。人世で毎日何百と訪れる参拝客を把握しているというのか。それは……さすが神様だ。

「それで早速本題に入っちゃいますけど、ま~お話は天照大御神から聞いてるんですよね~?」

「あ、ええ、俺がどうしてこの世界に来てしまったのかと、帰るために何をしなければならないのか」

 俺が、短期間のうちに力の強い神社をたくさん巡っておきながら何も願わなかったがために、本来願いを叶えるべくして授けられた神気が蓄積され、俺は神に成りかかってしまった。それがこの世界に来てしまった理由だ。そして元の世界に帰るために、こちらで神々から直々に、御朱印をいただいて回るように、と。

 その通りですね~、と豊受大神は頷いた。

「では、私からはどうして集印が元の世界に帰ることに繋がるのか、そして具体的にどうやって神々から朱印を授けてもらうのかを実践しながら説明しますね~」

 言いながら、豊受大神は背後に控えていた巫女さんに手で何か指示を出した。応じて、巫女さんは立ち上がり歩いていくと、木戸を引いて音もなく出ていった。戸を閉めるときまで無音なのだから大したものだ。

「具体的にどうやって、というと、何かやっぱり手続きとか、試練を乗り越えるみたいな感じなんですか?」

 まさか神様そのひとに初穂料を支払う、という話にはならないだろう、ということくらいは俺にもわかる。けれどそうともなると、資本主義社会に生まれ育ってしまった俺には何をすべきかちょっと思いつかない。何かを何らかの形で奉納するのだろうか。舞は無理だ。やったことがない。あるいは一発芸か。一発芸なのか。

 いや、持ちネタなんてないんですけど。

 渋い顔になっている俺に、豊受大神は軽やかに笑った。

「一発芸でも面白いんですけどね~」いやだから、それは困るんですって。「ときに斎さん、あなたは御食事はどのようなものがお好きですか~?」

 藪から棒だな。いや、そうでもないのだろうか。豊受大神は御饌津神みけつかみなわけだし、人の食事事情とか気になるのだろうか……どんな食事が好きって、好きな食べ物ということだろうか。

「というより、種類ですかね~。和食、洋食、中華、何でも構いませんよ~」

 和食以外の選択肢があるのか。ちょっと俺は驚いたが、豊受大神はなんてことのないように軽く頷いた。

「食事の理念というものは万国共通ですからね~。身を養い、舌をよろこばせ、心をたのしませる。食文化が違おうとも根本理念が同じなのですから、外来の食事であっても日本ひのもとにあれば御饌津神の管轄に入るのですよ~。ですから、イタリアンでもフレンチでもドイツ料理でもロシア料理でも、どんなものでも構いません。勿論、日本の郷土料理などでも大いに結構ですよ~」

 ははあ。さすが懐の深い日本の神様。異色の文化であっても受け入れの姿勢が深い。ともあれ、実を言うと恥ずかしながら、俺はあまり食というものに関心が薄い……というか、薄く在るように努めてきた。なぜって、食にこだわるとお金がかかるからだ。貧乏学生にとって、食事の質を求めるには限界がある。

 俺は日本一周してきたわけだけれど、地方の名産品などはほとんど食べなかった。一日一食、コンビニのおにぎり数個のみ、みたいな食生活だ。この二か月。貧乏旅行だからね。移動費と宿泊費で予算のほとんどが持っていかれている。

 旅行というか、修行のような日本巡拝だ。

「んー……」

 敢えて求められると、これといって思い浮かばない。けれど豊受大神も横の少女も、待ちの姿勢で俺を見ているので、俺は苦し紛れに、

「じゃあ……和食で」

「成程、食へのこだわりはあまりないんですね~」

 見抜かれていた。

 怒られるかな、と身構えてしまうけれど、特にそんなこともなく豊受大神は「それでは」と話を進める。今の、何の確認だったんだろう。

「人世では、朱印を受けるときには初穂料を納めますよね~?」

「ええ、はい」

 初穂料の多寡については神社によって違い、これといった統一基準があるわけではないが、ほとんどの神社において300円だ。一部の神社では「お気持ち」、ごく一部の神社では500円だったりもする。

「確かに斎さんの言う通り、私たちが初穂料をもらってもちょっと使い道がないのですよ~。ですのでお金は必要ありませんし、何でしたら参拝していただければすぐに渡すこともやぶさかではないわけなんですね~。……しかし」

 ふっふっふ、と豊受大神は含み笑いした。

神々わたしたちとしましては、折角の珍しい客人まろうどですから、タダで渡すのは惜しいわけなんですね~」

 タダで渡すのは惜しい……つまり、何らかの対価を支払う必要がある、と。

「支払うとはいっても、先程言った通り、お金を払えというわけではないのですよ~。払われても困りますから~。で、ここからが本題なわけです~」

 間延びしたような調子に、手振りを交えながら豊受大神は言った。御朱印を授かるために、俺に必要なことを。それは、

「斎さんには、一芸を奉納してもらいたいんですね~」

「……え、一発芸ってことですか?」

 それはさっき、やんわり否定されたものだと思っていたのだけれど、しかし豊受大神は小さく首を振った。

「一発芸ではなく、一芸ですよ~。ま~神によっては一発芸を望まれるときもあるでしょうが~……つまりですね~」

 豊受大神は続けた。

「これから斎さんには、日本ひのもとを一巡して神社を参拝して朱印を集めてもらうわけですが~、朱印を授ける際に、神々はそれぞれにひとつずつ、何らかの一芸を斎さんに望むのです~。斎さんはその望みに応えることで、神々から朱印を授かることができるというわけなんですね~」

「その、一芸というのは」

「神々によりけりですね~。何らかの課題を出されることや、問答を挑まれたり、御遣いなんてこともあるかもしれません~。――あ~、ひとつ念押ししておきますけれど~」

 いいです~? と豊受大神は人差し指を立てた。

「天照大御神も言っていたと思いますけれど~、これは決して斎さんを苦しめるための試練というわけではないのですよ~? あなたは罪人つみびとではなく、客人まろうど。聞きましたよね~?」

 確かに、天照大御神もそう言っていた。俺は頷く。

「手続き、なんですよね。そうやって神々の要求に応えて御朱印をいただくことで、俺は神になることなく元の世界に戻れる」

「ま~神々の要求に応えて~のくだりは別に必要ないんですけどね~」

「……んん?」

 どゆこと?

「神々があなたに課題を課すことに、深い意味はないということですよ~斎さん」

「え」

 それじゃあ一体、何のために?

 俺の疑問に、豊受大神は邪気のない笑顔でさらっと言った。

「暇潰しのためですよ~」

「え~……暇潰し……」

 何だろう。何と言うか、緊張感が一気に抜けた。

 だって、暇潰しって。

 微妙な表情になっている俺に、豊受大神はまた含み笑いを漏らしながらひらひらと手を振った。

「悪く思わないでくださいね~、神々というのは基本的に暇なのですよ~。これといって仕事があるわけでもありませんから~。斎さんのように客人が訪れるのは初めてのことですから~、神々としても興味津々なわけなんですよね~」

「はあ……」そうですか。

 暇なんだ。

「ですから神々の要求というのも、好きに捉えてもらって構いませんよ~。試練、課題、手続き、テスト、条件、暇潰し、余興、道楽、何と表現してもいいのです~。ただ、特に無理難題を吹っ掛けるということはありませんから~」

 そ、そうなのか……緊張感がすっかり抜けてしまった。

 神々の課題なんていうと、何か凄いものしか想像できないもんな。大国主が須佐乃袁から課せられた難題とか、ヘラクレスの十二の難題とか。……ヘラクレスのは人の王からの難題だったっけ。

 まあ、望むところだ。特に嫌がる理由もない。

「ということは、豊受大神から御朱印をいただくためにも、何か課題を受けなければならないということですね」

「そういうことになりますね~。ま~私からの課題は、最初の、チュートリアルですからね~。それほど難しいものではありませんから、安心していいですよ~」

 チュートリアル……外来語に対して抵抗がないというのは、八百万の神々共通の見解なんだろうか。思っている間にも、豊受大神は背後、巫女さんが入っていった木戸の方へ「持ってきてください~」と声をかけた。応じるように、スッと木戸が開いて、巫女さんが両手で何かを捧げ持ちながら入ってくる。

「先程、和食を選んでいましたので、和食を用意しましたよ~。あまり奇を衒わず、所謂普通の食事ですね~」

 豊受大神の言う通り、巫女さんの手で俺の前に置かれたのは脚付きの角膳で、いくつかの器に数種類の料理が載せられていた。成程、さっきの確認はこのためだったのか。巫女さんを使いに出してから訊いてたけど、その辺りは神様と巫女さん、ということか。

 ほかほかに湯気の立つ白飯、貝の味噌汁、香の物、焼き魚に、酢の物、じゃがいもと鶏肉の煮物。

 ごくり。

 美味しそう。

「斎さんがいた人世は夏でしたでしょうから、夏の季節物風ですよ~」

 俺の前に置かれた膳を見て俄かにそわそわしだしていた少女が、自分の前に置かれた同じものを見て「おお!」と色めき立った。しかしさすがに挨拶もなしに手を付けたりはしない。

 巫女さんが自分の前にも同じように膳を置き、背後に控えにつくのを待って、「では」と豊受大神は頷いた。

「私からの課題は、”一緒に食事をすること”です~。これを食べ終えましたら、朱印を授けてあげますよ~」

 成程、確かにチュートリアル、にしても簡単すぎるような気もするが、そこは言通り暇潰し、余興なのかもしれない。俺は眼下の膳を見る。その香りも相まって生唾が湧いてきて、また呑み込んだ。全部食べ終えたら、という豊受大神の発言に引っ掛けて、実は味が退廃的という可能性が一瞬だけ脳裏を走るが、いくらなんでも無粋に過ぎるというものだろう。

 確信する。

 この膳は、絶対に美味しい。

「でも、ちょ、ちょっと待って下さい」

 今にも顔から食らいつきそうな姿勢で膳に覆い被さっている少女を横目に、俺はタイムと手を突き出した。既に箸を手に持って何です~? と穏やかな豊受大神に、俺は失礼を承知で言う。承知で言うのはこれが何度目かわからないが。しかし一応、確認しておきたい。

「これって、その、黄泉戸喫よもつへぐいみたいな奴ではないんですよね? あの、これが、俺が元の世界に帰るための手続きであることはわかっていますし、決して不安に思っているわけではないんですけれど、この世界で食事をする、というと……」

 俺の問いに、横の少女がこちらへ顔を向けた。ああ、だから失礼なことを訊いているのはわかっている。早く食べたいというのもわかる。だから、そんな顔をしないでくれ。というか何ちゅう顔をしてるんだ。

 黄泉戸喫。あの世、つまり異世界の食べ物を食べると異世界の住人になる。食事は身を作り養うものであるという観念からすると割りに普遍的な考えであるらしく、似たような話は東西にある。例えば伊邪那岐イザナギの黄泉返りの際、伊邪那岐が訪ねたときには既に伊邪那美イザナミは黄泉の食べ物を口にしてしまっていて、容易には帰ることができなくなっていたことが日本初の離婚の遠因だった。他にもギリシャ神話では、ペルセポネを見初めて攫ったハデスは、ゼウスらの懸命の説得で彼女を地上に返す前に何も知らないペルセポネに冥界の柘榴ざくろを食べさせたが、それは冥界の食べ物を食べたものは冥界に属するという神々の取り決めを狙ってのことだった。まさかな、と思いつつも確認せずにはいられない。

 けれど俺の懸念に対して豊受大神はふふふと軽く笑った。

「心配することはありませんよ~。これは普通のもてなしですから~。黄泉の食べ物でもなく、神々の取り決めなんてものもありませんよ~。――そうですね~、これは例えば神今食じんこんじきと、その程度に思ってもらって構いません~」

 神今食というと、確か古い宮中神事だ。月次祭つきなみさいの際、天皇自らが旧穀を用いて神饌しんせんを供し、自らもともに食べる神事だったはず。

 成程、神今食か。

「納得していただけましたか~?」

「ええ、もう。何の憂いもありません」

 俺は晴れやかに答え、箸を持った。問えば答えが返ってくる。そんなことが、単純に楽しくもあった。

 では、と豊受大神が手を合わせる。俺と少女も同じように手を合わせた。

「いただきます」

 それが、いのちを食べるという行為における礼儀だからだ。


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