01 旅の終わり
薄い砂利の道を、ざりざりと踏みしめながら歩いていく。
広く見晴らしのいい神苑は隅々まで整備され、手入れのされた木々が濡れた葉々に陽光を照り返す。
午前中に降っていた小雨は、正午を過ぎる頃には止み、やがて日も差し始めていた。未だ湿り気を帯びた大気を透す日は思いのほか鋭く、手でひさしをつくって浅く見上げながら吐息する。
「いやあ……晴れたなあ。よかった」
本当に。
何せ、かつて誰もが一生に一度の訪れを憧れた地、ここに至ることのできるそれだけでその日は大吉であるとまで言われた場所である――とは言うものの、折角来たその日が雨では、さすがに気分は上がらない。
そう、ここは、
「皇大神宮――伊勢神宮内宮」
記紀神道における最高神、天照大御神を祀る最高位の神社である。
まあ、正確に言うと社格を持ったことのない神社なのだけれど。その辺りはまあ、近代での人の柵やら何やらがあるわけで。
そして、ここが俺の旅の終着点でもある。
既にちゃんと豊受大神宮――外宮への参拝も終えている。
神苑の中、ツアーの団体や、個人で来ているらしい外国人観光客をすり抜けながら、
「伊勢へ行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも、と」
小さく口ずさむように唱えながら、俺はときどき辺りにカメラを向けながら奥へ進む。途中、鳥居に出会うたびにきちんと足を止め、浅く一礼してからくぐる。参拝客は周りに大勢いれども、ここまでしている人は後にも先にもほとんどいない。だがまあ俺にとっては、ここまで何百回と繰り返してきて身に染みた礼儀だ。
「――お、五十鈴川」
木立の中、右手に開けた視界は、石畳の敷き詰められた浅い段差と、その向こうにある広い川になる。川面に対岸の緑を照り返しつつも、その水は驚くほど澄んでおり、
「結構深いだろうに、底まで透けて見えるな……」
恐山の宇曽利湖、十和田湖から出る奥入瀬川や、沖縄の海ともまた違った綺麗さだ。やはり場所柄もあるのか、単なる清澄とはまた違った感慨もある。
さて、神域で、その上これほど綺麗な川を前にしてしまうと、手を入れてみたくなるのが人情だ。何と言うか、清められたり、不思議パワーを得られそうな気がするわけで。俺はパワースポットとかそういうものには興味がないのだけれど、しかしさすがにこういう場所ではそういう思いも俄かに抱いたりもする。
「…………」
というわけで、手を浸けてみた。指先から、思い切って手首まで。両手。ついでに両足も足首まで浸す。
うーむ。
「冷たい」
川の水は思っていたよりも冷たかった。まあ盛夏だ、ひんやりと心地よい。
「……ペットボトルに汲んで持って帰ったりしたら、失礼かな……」神様に。
結構本気で悩んだ末に、やっぱりやめることにした。神域だし、ねえ。
五十鈴川を離れて、まっすぐに向かう。
正宮。
階段下から、写真を数枚撮る。皇大神宮は豊受宮とともに、正宮は撮影禁止だ。途切れない他の参拝客がどうしても写ってしまうことに歯がゆい思いを抱きつつも、カメラを下ろす。
一歩一歩、しっかりと踏みしめて、石段を登っていく――それは決して、午前の雨に濡れて滑りやすい石段を警戒しているだけではない、長かった旅の終着としての、感慨の籠もった昇段だ。
二か月。短いようで長い、とはよく言ったもの。
俺は大学の夏休みを利用して、日本一周をしていた。
旅の目的は、全国の神社の参拝だ。一回生の間に必死のバイトで貯めた百万円と、この二回生の夏休みを全て使い切る勢いで、俺は全国の神社を巡拝した。
とはいえ、勿論ある程度目的地は絞っている。主に、諸国一宮――旧国区分内における最高位とされた神社――と、俗に別表神社と呼ばれる有力社、総本社だ。もっと言えば、資金と時間に限りのある学生一人旅、メインツールである鉄道を中心に、駅からほど近い、あるいは観光の面からバスやタクシーなどパスの通じている神社のみを選んでいるから、隈なく巡ったとはとても言えない。およそ望むところの七割と言ったところだが、それでも。
非常に満足と充実のある旅だったのだ。
数十段を踏みしめる間に、旅の間の苦楽が去来する。失敗、不安、達成感、感動。
その終息点が、ここだ。
全国の神社の本宗。ここを訪れずして、巡拝は終われない。
カラオケ泊を重ね、とても清潔とは言い難い小汚い身格好だけれど、どうかお許しくださいと頭を垂れつつ、浅い一礼を置いて俺は正宮前に立った。
ああ、と思う。ここが皇大神宮。
天照大御神のまします社。
感慨は、言葉にならない。
吐息して、今日まで何百回と繰り返してきた作法に倣う。後ろにはまだまだ続々と他の参拝者がやって来るのだ、いつまでもここで立ち止まっていては迷惑になる。
それでも、許される限りゆっくりと、味わうように、噛み締めるように。
二拝。
二拍手。
わずかな沈黙。
人はここで、きっと何かを神に願う。無病息災を、家内安全を、あるいはもっと個人的な願いを。
けれど俺は、何も抱かない。
願いたいことがないわけではない。けれど俺は、この巡礼の旅を、何かを願うために為してきたのではないのだ。
ではなんのためか、というと、ちょっと答えられないのだけれど。
幼少から、神話が好きだった。
ギリシャ神話が、北欧神話が、聖書神話が、エジプト神話が――勿論、日本神話も。
その繋がりで、神社が好きになって。
ちょっとしたきっかけから、全国のいろんな神社を巡りたいと思い、ここに至る。
そう、きっかけは、本当にちょっとしたもの――漠然とした、形の捉え難いもの。
これまでの、ほんの二十年程度の人生の中で、努力と挫折を繰り返してきた中で降り積もって来た、惑いと迷い。
別に、そういったことに答えが欲しかったわけではない。そんなものは本当に、ただのきっかけだ。けれど、それならば、俺はどうしてこの旅に出たのだろう。
長い旅の中で、苦しいとき、何度か旅の目的を見失いかけることがあった。やむなく野宿に踏み切ったとき、どうしてこんなことをしているのだったっけと自問したことがあった。
思うに、俺は――神様というものに逢ってみたかったのではないかと、そう思う。
どうやら日本人の神観というものは、かなり身近にある。
振り返ればそこに神様がいるかもしれないという感覚が、暗黙のうちに存在している。
ならばこそ神社というのは、それをさらに強く感じられる場所だ。
この場所ならば、神様に逢えるかもしれない。
本気で思っているわけではない。冗談半分の、遊び心のようなものだ。だから、わざわざ神前で願うようなことも、しない。例え本当に神様に逢うようなことがあったとしても、きっと俺には特別望むようなことも何もない。
けれど、多分、それがこの旅に踏み切って、完遂した、動機。
俺は神様に何も願わない。祈らない。
ただ、静かに瞑目し、深く呼吸する。
二拍。
それだけの時間をもって、俺は胸の前に合わせていた掌を、下ろす。
一礼。
顔を上げ、ようやく目を開ける。そうして改めて正宮を見る。
瞳に、脳裏に焼き付けるように見つめて、俺はとうとう身を翻した。
時間にすれば、数分。
けれど満足は、最大だ。
俺は確かに、この地を訪れたのだから。
神様の場所に、近づいたのだから。




