藁を掴め
日が暮れる。空が真っ赤に燃える時刻、誰いない街道をリシアが全力で駆けている。
その手には騎士団が着る白い軍服とブローチを持っている。
希望などない、つい先程部屋で着替えている最中、部下から兵の増援を取り下げられたと報告されたばかりだ。
死んでしまう。私の仲間が全員。
騎士として、私は王国に尽くしてきた。死ぬ覚悟も出来ている。しかし、私は皆の上に立って命令できるような覚悟は無かった。皆と共に戦場に立つ事こそが騎士として、国に命を捧げる行為だった。
もう誰でもいい。藁にも縋れ。
足が重い、今にも崩れ落ちてしまいそうになる。それに抗いながらひたすら足を動かすが、小石に躓き崩れ落ちる。
そこでようやく自分が裸足で駆けていた事を知るがすぐに立ち上がり、走り出す。足裏に擦り傷が増えていくが知ったことではない。
陽が完全に落ちて、街は暗夜と静寂に包まれる。街道に脇に設置されている魔道電灯は戦時中で人がいないためか灯はつかない。
自らの感覚を頼りに走り、ようやく遠くの方に灯りが見えてきた。護送用に使う馬車の明かりだろう。
住人の避難は昨日の夜までには殆ど終わっている。彼は一度は紀伊長家に連れて行かせたから、昼の護送には間に合わない。昨日は帝国兵と戦っていたため避難は行われなかった。となれば夜の護送に参加している可能性がある。
私は馬車に駆け寄ると直ぐに兵士を呼ぶ。
「なっ、リシア様!どうなされたので?!」
「今すぐ栄水という男を呼べ!この護送に参加しているはずだ」
兵士達は直ぐに走り出し馬車の乗客を見て回る。私はその場に座り込み、息を整える。
彼ならばある程度の知恵を貸してくるはずだ。もちろんこの現状を打開できる人間などいないことは分かっている。しかしリシアにとって安堵を取り戻すためにはこう思うしかなかったのだ。
しばらくして数人の兵士が私のもとに集まる。
「はぁ、はぁ、栄水殿は……」
「それが、ですね...」
言い渋る兵士に先を促すとゆっくりと口を開く。
「見つかりませんでした。恐らくはもう避難したのではと思われます」
「……そうか」
藁にも縋れないか。
私はゆっくりと立ち上がり、砦に引き返していく。
間に合わなかったか。恐らくは昼の避難に間に合っていたのだろう。彼はそれに乗り込んで街を離れた。
街道を歩き、広場にある時計を見れば一時を指している。日が昇るとまであと五時間ほどだ。あまりにも時間が少ない。
溢れ出す喪失感と絶望を胸にズルズルと歩いていく。
逃げてしまいたい。
そんな気持ちを抱いてしまう直前に騎士としての最後の誇りでなんとか食い止める。
最後の最後まで諦めてはならない。
避難は終わった。しかしまだこの街には避難することのできない民達が大勢いる。
騎士として彼等を守らなければならない。
それだけを胸に傷だらけの足を引きずって歩き続ける。
アスタンが現状王国にとって重要な存在である事は知っている。しかし、今の王国にとってアスタンの崩壊はどうしても食い止められないものだった。
だからこそ見捨てた。この街が対帝国に重要な防衛ラインだと分かっていても手放すしかなかったのだ。
ならばコチラの取る行動は一つ。なるべく帝国兵を疲弊させる事だ。アスタンを失った王国の被害はこれからも増えていくだろう。ここでの戦いはそれを決定づける戦いだ。
この戦争で帝国兵を疲弊させるほどの戦果をあげれば、帝国は慎重にならざる負えない。
しかし、それが成功したとしても、王国は厳しい。
どこかの戦争で勝利を得なければ王国は権威を失い他国がハイエナのように王国を毟っていく。
「やはり……王国に勝利を…」
考えれば考えるほど、今の王国には勝利が必要だと気づいていく。
しかし、勝利など不可能。
希望が消えていくにつれて、リシアの瞳の光も消えていく。
「あれ?騎士さんがいるねぇ」
リシアの瞳から光が消える寸前、数メートル先の電灯の照らす場所に一人の男が立っていた。
ニヤニヤと気持ちの悪い笑みと目元を隠すまでに伸びた天然パーマの黒髪。
リシアの目に再び光が宿る。
今からやる事は騎士団やキューリー家に泥を塗る行為だろう。決して許されないものだ。
それでも。
彼に助けを求め、協力してもらっても彼自身に現状を覆す力があるとは思えない。
それでも。
私は全てを捨てて藁を掴む!
「栄水殿、今朝の無礼な行動、どうか許していただきたい」
一度謝罪をし、私が着ていた騎士団の白軍服を地面に捨てる。
「これは騎士団に所属する者が着る軍服、そしてキューリー家が代々受け継ぐブローチです」
私はポケットからマッチを取り出して火をつける。マッチはゆっくりとリシアの手を離れ、軍服へと落ちる。
燃え盛る軍服。
私の入団を祝ってくれた友人や家族、騎士団になるまで支えてくれた先輩。
私を騎士団へと押し上げてくれた人達を思い浮かべる。白軍服を貰った日、子供のようにはしゃいで皆に見せていた事を思い出す。
キューリー家のブローチ。
成人を迎えた日、母様から渡され、誇りだと言われた。舞い上がって家族にたくさんありがとうと言った覚えがある。
私はそれを地面に落として踏み砕く。
砕け音と共に破片が飛んでいく。
「栄水殿、貴殿は言った。
『堕ちるなら考えてやらん事もないと』
今一度考えて欲しい。私は家を捨てよう。騎士であることを捨てよう。
貴殿の言う『堕ちる』という物がどのような物かはわからん。
しかし、これが私の出した答えだ」
栄水の前に跪く。
「どうか、この街を救うため、今一度考えて欲しい」
返答が来るまで、私はずっと頭を下げ続けた。
仲間が助かるのならば騎士でも家でも捨ててやろう。
それが私の誇りだ。