後悔のない選択を
通路にコツコツと足音を立てながらペールとヤルガン、そして報告しに来た兵士は会議室まで通ずる廊下を歩く。
「わかりました。戦闘は硬直化、時間稼ぎは順調です。
これなら、問題ないでしょう」
「そうだな」
「しかし、団長達が帰ってきてからが本番です!
気を抜くことなく取り込まなければなりません!」
全てが順調だ。報告資料を眺めながら口角が自然と吊り上がるのを感じる。
「大丈夫です。問題ありません」
「問題、ですか」
ふと、背後からついてきていた兵士が立ち止まる。
「どうかしましたか?」
私は部下の声に振り返る。
全ては順調だ。何も問題は無いはず。
なのに、どうしてそんな辛そうな顔をしているのだろう。
「問題がないって、そりゃあ問題はねぇよ。順調だよ。
だがなぁ、この順調って奴を、俺達はいつまで続けなくちゃいけねぇんだ?」
「それはもちろん団長が…」
「その団長様がいつ帰ってくるかって聞いてんだ!!」
通路に兵士の声が響く。
そばにいるヤルガンは何も言わず目を閉じ、私は自分の体から熱が冷めていくのを感じる。
「なぁ、終わりは何時だ?俺達はいつまで耐え続ければいい。この極限状態の中、いつまで弓を引き続けなくちゃいけないんだ!?何回敵兵が血をぶちまけて死んでいく姿を見続けなくちゃいけねぇんだ?
『神聖バロヴァニア』が崩れた今、帰ってくるかどうかも分からない不確かなものにいつまで縋らなくちゃならないんだ!!
ハァハァハァハァ……ぐっ、…クソっ!!」
兵士は拳を壁に叩きつける。それは怒っているのではない。悲しみや苦しみ、辛さ、何より心の中に溢れる不安から逃げるための暴力、そして手に伝わる痛みだ。
「……グリエラ、少し休め」
「……ッ!。…はい、すみません。
ですが!……ですが…もう我々は限界です」
兵士は歯を食いしばり、顔を伏せたまま去っていく。
私はその後ろ姿を呆然と見ていることしかできない。
私は何を見ていたのだろう。
フラフラと足取りが不確かなまま会議室に戻り、椅子に座る。魂でも抜けたのだろうか。上手く力が出ない。
「さてと、まずは現状の再確認だ。食料は未だ問題ない。兵士達の鬱憤も残った娼婦達が何とか晴らしてくれている。後でとんでもねぇ金額を請求されるだろうが現状ありがてぇ話だな。戦線も安定している。兵士も騎士もギリギリで持ち堪えている。
…だが、だがな、ペール軍師長。限界は必ず来る。終わりの見えない持久戦ほど精神を崩しかねないものはねぇよ。
今、奴らには希望が必要だ。終わりの見える希望がな。
そしてさっき、希望が届いた」
ヤルガンはペールに羊皮紙を見せながら話す。ペルティアから送られてきた文書だ。内容は避難民の受け入れが可能であること、そのための援護に兵を出すことが書かれている。
「直ぐに受け入れるべきだ。逃げ出せるチャンスだろ?
気水姫の奪還は最初から無理な話だった。任務に失敗したってとやかく言われねぇよ。アイツらには悪いが撤退するべきだ」
「えぇ、わかっています。
ここが最後のチャンス。我々は疲弊仕切っており、いつ限界が来てもおかしくない。しかし、撤退するということは気水姫を奪還しに行った彼らを見捨てるということ。気水姫がどのような存在であるのかは知りませんが、帝国が無茶を承知で誘拐したのです。それだけ価値があるのでしょう。彼らが奪還に成功したとしても我々が道を確保しなければ、帝国軍に挟み撃ちにされて殺されるでしょう」
見捨てるのか、彼らを。
奪われるのか、この砦を。
ペールは栄水から渡されて情報資料を握りしめる。
上手くいかないことだらけだ。一ヶ月は持ち堪えられるなどと、なんて甘い考えだっただろう。食料や武器ばかりに目を向け、実際に戦う兵士達に目を向けられなかった。
『神聖バロヴァニア』が崩された時だってヤルガンに助けてもらうばかりだ。指揮だって栄水から渡された資料に頼りきりで、そこに自分の選択はなかった。
そして今、選択を迫られている。終わりの見えない戦争を続けるのか、今いる彼らだけでも救うか。
「……ヤルガン魔法軍隊長」
「なんだ?」
ふと、握りしめていた羊皮紙に目線がいった。いつだって私が肌身離さず持っていたものだ。この中には栄水が示した篭城戦の判断材料や資料が多く記されている。私は何時だってこの資料を通して栄水の代わりに選択してきただけだ。
ここからは資料には無い。私の選択だ。
「団長達の帰りを待ちたいと思います」
「理由を聞いてもいいか?」
「帝国の目的は『神聖バロヴァニア』を手に入れ古代の魔法を研究することにあります。私達が撤退したとしても、団長達の帰りを待つにしても、アスタンを放棄することになるでしょう。
『神聖バロヴァニア』の崩壊は王国とって大きな痛手です。例えここで我々が撤退に成功しても長期的な見方をすれば王国の衰退は確実でしょう。今ここで撤退することは今を生きて未来を捨てる行為です」
「今ここで崩れ落ちるかもしれんぞ。それに気水姫が『神聖バロヴァニア』に取って変わる何かを持ってるかなんてわからん」
「えぇ、その通りです。
これは賭けです。私はアスタンで戦う兵士や騎士、市民や商人、全ての命を賭けて大穴にベットします」
冷えた体に無理矢理熱湯を注ぎ込む。
震えた体を抑え、引き攣ったニヤケ顔を晒す。
現実を見ろ。這ってでも笑え。選択しろ。
「あーあ、どこぞの悪魔みたいな事いいやがる」
私は栄水から貰った資料を握りしめる。
穴が空くほど読み込んだ。血も涙も吸い込んだ羊皮紙だ。
その中の最後の一文。
『戦争は始まってしまえば賭事だ。後悔のない選択をしろ』
兵士騎士達諸君、辛いだろう苦しいだろう。逃げ出したいだろう叫びたいだろう。友の亡骸を弔いたいだろう敵兵の亡骸を踏みつけたいだろう。武器を捨てたいだろう武器を持って駆け出したいだろう。わかるよわかる。それでも我慢してくれ、永遠に感じる我慢をしてくれ、この地獄のような状況でも我慢してくれ。
「そうしたら私が必ずジャックポットに入れてやる」