過去の話
「見つかったか…」
街道から外れたスラム街付近の廃屋で溜息と共に栄水は虚空を見上げる。
見つかった。喜ばしいことだ。
気水が残した紙切れを辿り千春が見つけたのは、何の変哲もない小さな屋敷だった。馬車が2台止まっており、外から見てもメイド達が談笑し、屋敷の主人が仕事こなしている姿しか見えない。栄水が目にしたとて、その違和感には気づくことができないだろう。
しかし、千春は隠密部隊隊長だ。2台ある馬車の片方がここら一帯で作られている馬車の木材とは違う別の種類の木材が使われていたこと、屋敷の住む使用人が一切屋敷から外へ出ないこと、決定的だったのは千春がバン・ホントロールの魔力を感じ取ったことだった。
気水の居場所が見つかった。あとは連れ戻すだけだ。
「……あぁ、もう一回言ってくれるか?」
「恐らく、銀狼以外にも二人、七聖騎士がいるでごにゃる」
「……あぁ、もう一回言ってくれるか?」
「恐らく、銀狼以外にも二人、七聖騎士がいるでごにゃる」
「……あぁもう一回、」
「何度聞いても現実は変わらんでごにゃるよ」
面倒だ。七聖騎士三人?無理に決まってんだろ?
そもそも七聖騎士三人が出張ってきてるって気水って何者?千春は知ってるだろうけど教えるつもりは無いらしい。まぁ、命令に忠実な奴だからな。例え俺でも教えたくないのだろう。
「……はぁ」
空を見あげれば鳥が鳴いている。それをぼーっと目で追いながら思考を整理していく。
「うん、帰ろっか」
「はぁ!?!?」
あまりに突然だったためリシアの声が裏返るが栄水は至極当然といった表情で笑う。
「いや、だって無理でしょ。七聖騎士三人だなんて。無理無理、百パー無理」
「なっ!栄水殿!」
「千春、帝国を甘く見るな」
栄水は目を細めて千春は見る。ただ淡々と事実を述べるように冷酷に。
「帝国は伊達や酔狂で天下統一なんて考えてねぇ。本気でやり遂げようとしてんだ。だからこそ、兵士一人一人の練度は高い。それでも王国が帝国に善戦してきたのは魔術に長けていた事と、紀伊長家の存在と、古代の遺物『神聖ヴァロヴァニア』があったからだ。
現状アスタンは物資の補給が絶たれている中、帝国兵相手に粘っている。俺達が戻って勝てる戦じゃねぇが追い返す事くらいしてやるさ、面倒だがな。
だが、ここでしくじったら確実にアスタンの兵士達は持久戦で敗北、『神聖ヴァロヴァニア』は帝国の手に渡り、王国は終わる。
千春、気水が何処の貴族の令嬢かは知らんが、俺はそいつに価値を感じない」
正論で言い負かされた千春は歯を食いしばり顔を伏せる。
ま、これだけ言えば理解するだろ。もともと敵地に行って貴族の娘取り返して来いって言う方が馬鹿げている。
七聖騎士三人、これならいい理由付けにもなんだろ。
「そう言ってまた、諦めるのでごにゃるか」
誰もがゴクリと唾を飲み込んだ。この空間が一瞬にして冷やされるような濃密な殺気。呼吸という当たり前の行動すら制限されるような空気の重量。
その中で、その殺気を向けられた栄水は無表情で口を開く。ただ淡々と事実を述べるように冷酷に。
「あぁ、諦める」
そう言って栄水は手をヒラヒラさせながら廃屋から出ていく。
▼▼▼
あの男は何者なのだろうか。
今まで幾度か考えたことがあるが、わからなかったことだ。何故あの時、紀伊長悟は彼を頼ったのか。今考えればあの賭博場のゲームで好成績を残した身元不明の男を軍の指揮官にするなど明らかにおかしい。
それにさっき千春様は栄水に対して「また」という言葉を使った。これは二人は面識があったということだろうか。
千春様に視線を向ける沈鬱な顔で彼が歩いていった方へと視線を向けている。
「よし、これからどのように行動するかはわからんが、とりあえず撤退の準備だけはしておくぞ」
手を叩いて思考を切り替えつつ部下に命ずる。
「いいんですかい?」
「少なくとも栄水が語った事に間違いはない。我々の死はアスタンの延いては王国の滅亡に繋がる可能性があるのだからな。だからこそ、ここは慎重に選択しなければならない。
だからこそ、栄水も急がせる事はしなかったのだろう。撤退の準備はする。しかし、本当に撤退するのかどうか選択するには少しだけ時間がかかるのだろう」
リシアはチラリと千春の方へと視線を向けてから空を見る。太陽は頂点を過ぎ、日没へと向かっている。
「襲撃するとしたら、あと四時間後だな。夜中に行うことになるだろう。それまではここで待機だ。リアン、ニーシャ、ボルンは民衆に変装したまま周囲を見回り、警戒してくれ」
三人がうなづいて廃屋を出ていくのを見送るとほかの騎士達は自分の甲冑を掘り起こし、身に付けつつ少しでも体を休めるために腰を下ろす。
撤退、か。
他の騎士達と同様に甲冑を身につけたまま腰を下ろして思考を巡らす。
相手は七聖騎士。七聖騎士の噂は王国にも届いている。王国が持つ三つの部隊と同等の強さを誇る騎士達。そんな騎士達の相手を私達ができるわけが無い。唯一それが可能なのは隠密部隊である千春様くらいだが、千春様であっても七聖騎士三人の相手は厳しいだろう。
ならばここは撤退がするのが一番だ。貴族の令嬢一人助けるのにこれ以上リスクを侵す必要は無い。
「わかってはいるのだがな」
彼が去って行った方向を眺めながら、眉を顰める。
少なくとも、彼の、あの全てを押し殺したような表情は見たくなかった。
「千春様」
「気になるでごにゃるか」
「はい、栄水とは、何者なのですか」
千春様は私を見つめ、小さく手招きをしてから廃屋を出ていく。
▼▼▼
屋敷戦、三人の七聖騎士、市街地撤退、森林撤退、国境門の突破、平原での撤退戦。
もし、アスタンまで逃げ切れたとしても物資の無い砦で籠城などすれば一瞬にして崩れ落ちる。となればアスタンに残った騎士達を連れて王都まで逃げなければならない。七聖騎士がどこまで追って来るかはわからないが、アスタンと王都の中心に位置する砦、ペルティアまでだろう。
あそこは王国内でも比較的軍備が整っている場所だ。流石に七聖騎士といえど手出しはできない。
「無謀だよなぁ」
どれだけ、頭の中でシミュレーションを繰り返しても最初の屋敷戦で全滅する。
俺は街から少し外れた農村部の木陰で作物を積んだ馬車が行き交いするのをぼんやりと眺める。
「何やってんだろ、俺」
こんな予定じゃなかった筈だ。田舎町で比較的安全なアスタンで平和にのんびりグータラして暮らしていくつもりがなんで敵地の街にいるんだ?
それもこれも全部リシアが悪い。あいつのせいで俺はこんなにも頑張らなければいけないんだ。
「若干、あいつに似てんだよな」
あいつに似てたから、堕ちてそれでもなお諦めず、奮い立とうとするから。
「手、貸しちゃったんだよなぁ」
▼▼▼
「シーシスト学園000期生を知ってるでごにゃるか?」
街道から少し離れた薄暗い路地で、千春様は壁にもたれながら口を開く。
「はい、王都ニョルニス学園が改築され新しい校長に変わった時に付けられた名前ですね。000期生はニョルニス学園最後の生徒達のことですね」
当時、王都に住んでいた私はよく覚えている。私は王立騎士を目指すアルテシア学園に通っていたが、000期生の話は有名だった。なぜならクリシア様が通われていた学校であり000期生の一人だったからだ。
「栄水はシーシスト学園000期生の一人だったにゃ」
「え?」
シーシスト学園は王都で一番大きく優秀な人材が集まる学園だ。特に000期生の生徒達は稀代の天才が多く集まった学年としても有名だ。しかし、000期生と聞けば誰もが思い出す事件がある。
「栄水殿は、聖女奪還に参加したメンバーの一人だった...」
「そういうことでごにゃる」
聖女クリシア・アスカネル・エクシオン。王族エクシオン家に生まれた才女であり、15歳にしてリトビア公国との外交に参加し二国一体条約を締結させ、民衆に聖女だと崇められた女性だ。
しかし、聖女として崇められ彼女をよく思わない存在がいた。聖国ネフェリアである。ネフェリアはネフェリア神を信仰する宗教国であるがクリシアが王国で聖女として持ち上げられたのを聞いて彼女を攫ったのだ。
曰く『神に使いし巫女はカルスヒトネただ一人にして、聖女クリシアはネフェリア神を冒涜する魔女である』と。
この話を聞いたかつての友たち、000期生は城門に集結し、聖女奪還を試みた。
結果は敗北。
聖女は処刑され、000期生は数人を残して壊滅。聖女を失った王国は徐々に敗北を重ね、今に至ったのだ。
「某も詳しい事は知らない。その後でごにゃる。栄水が姿をけしたのは」
「じゃあ、栄水殿が奪還に消極的なのは…」
「事実、奪還成功の確率が低いでごにゃる。でも、栄水が奪還に消極的なのはそれだけでは無いと思うでごにゃる」
「屑猫が。我々はあの時誓ったはずであったのに」
ゾクリと背筋が凍りつくような声が聞こえた。
私は腰を捻り抜刀しながら背後に立つ者に剣を振るう。しかし、私の剣は力無く握られた短剣によって簡単に抑えられる。
「ふむ、動きもタイミングも良い。あとは経験が必要か」
フード付きの黒いコートを着ている。奇怪なのは腰に六つの短刀が下げてある事だ。
「お主は…ッ」
私は身を引いて千春様に並ぶ。
「千春様、この者は?」
「剣をしまうでごにゃるよ。この者は遊撃部隊、小刀東一郎でごにゃる」
東一郎はエメラルドのように輝く刀身をもつ短刀を鞘にしまうと千春を見る。
「屑猫が。大方あの方がそのような過去の想い出に苛まれて苦しんでいると思っているのだろう。
本当にいらぬ物にばかり目を向ける猫娘だ」
東一郎はフードを脱ぐ。ナイフのような鋭い目が現れ、後ろで縛られた長い髪が背中に垂れる。
▼▼▼
水は生命である。
桜は象徴である。
田は恵である。
それらがあれば栄えていく。
「なんすか、それ」
「どうだい?なかなか趣深いだろ?
特に深い意味はないけどね!!!」
「あんた俺の名前適当に考えたな」
「ヒヒヒ、うん。水田の近くの桜の下に捨ててあったからね!だから、桜田栄水って名前にしたんだ!」
「栄、はどっから持ってきたんすか?」
「適当!!」
「…国の行く末を任された最高軍師とは思えないほどポンコツですね」
「ヒヒヒ、仕方が無いなぁ!意味が欲しいかい?!
うーん、そうだなぁ」
「……真面目にお願いします」
「よし!君の『真名』はシアだ」
「『真名』?」
「あぁ、真の名、この名は君に力をくれる」
「シア…シアかぁ、ヒヒヒ」
「あ、君今僕の笑い声してたね!?」
「え?何のことです?」
「はぐらかさないで欲しいな!」
「くっ、師匠のが移ったんですよ!」
「ヒヒヒヒヒヒ!!!」
▼▼▼
「ヒヒヒ、後々知ったんだよな。シアの意味が堕落だったことに」
古代語の勉強をしている時にたまたま見つけたのだ。師匠は古代語が得意だったから絶対そこから取ったのだろう。
「よし、行くか」
シアの意味は堕落。
人から転げ落ちた穢れた存在。
光の背を支える闇。