国境壁11
我が神槍は1人のアサシンの喉元に届き得た。
バンはそれでも決して表情を変えることなく鋭い目付きで目の前のアサシンを見る。
槍を振るう。その度に苦しそうに避け、ギリギリの中で藻掻く名も知らぬアサシン。
「問おう。汝の名は…」
名前を聞くのは儀式だ。
これから殺す人間の名を聞くこと。
その名を自身に刻みつけ、遥か高み登るための我が儀式。
「はぁ…はぁ…。名前、でごにゃるか…。
某は影でごにゃる。名前など存在しない、闇に浸る暗殺者でごにゃる。
まぁ、仮初の名は多く持っているでごにゃるが…」
そう言ってアサシンは頭を隠していたフードと鼻と口を覆っていた布を取る。
頭には毛並みの綺麗な黒い猫耳が飛び出す。
「そうでごにゃるな。
千春、と名乗ろう。
某が一番好きな仮初の名でごにゃる。某が敬愛する恩人から与えられた名でごにゃるよ」
そう言って天使のように愛らしく笑う千春に対して、ゾクゾクと背中を這い回る不気味な錯覚に囚われる。
「素晴らしい名である。そして、見事だ」
いつの間にか辺りは黒い霧に包まれていた。
そしてその霧は徐々に千春の姿を隠していく。
この霧は千春の魔力であろう。
しかし、魔力をこの空間に流していたのならば簡単に気がついたはずだ。恐らく少しづつ気付かれないように丁寧に流していたのだろう。となれば、流し始めたのは我があの奇妙な男と相対する前、千春は誰よりも先に我の接近に気が付き我と相対する準備をしていたのだ。
アサシンの戦いは一撃必殺。
次の一撃は確実に我の生を刈り取りに来るだろう。
冷や汗が流れる。
追い詰めていたと思っていたら全くの逆。我の方が追い詰められていたのだ。これ程鳥肌が立ち、肉踊る戦いはそうそう起こらない。
この黒い霧の中で取れる手段は我には持ち合わせていない。
となれば、逃げる一択。問題は次の一撃を避けられるかどうか、となる。
必殺の一撃が一秒後に来るのか、2秒後に来るのかは分からない。
しかし確実にその刃は振るわれる。
「面白い…」
我はこの戦いが始まって初めて口角を吊り上げて獰猛に笑う。
使える感覚は無い。
必要な感覚はただ一つ、第六感。
自らの運と勘、そして強者と戦い培ってきた経験に全てを委ねるように我は目を閉じる。
黒い空間を揺蕩うように全身を脱力させる。
どのくらい経っただろうか。
1分?それとも1秒?
長いような短いような時間の中で我は確かに手繰り寄せた。
「ここだ…」
黒い霧に包まれていた空間が真っ二つに両断される。
霧が晴れる。
「くっ…見事でごにゃる」
「手繰り寄せたぞ!生をッ!!」
戦いには負けた。
しかし、勝負には勝った!
我は全速力で森の中を駆ける。
この『白銀疾走』が負けた。悔しくもあり、強者に会えた喜びもある。
千春、千春、素晴らしい名だ。そして素晴らしいアサシンだ。
「この神槍、未だ天に届かず」
バンはニヤリと笑って、スピードを上げて大地を穿つ。
▼▼▼
勝利でごにゃるな。
しかし何とも後味の悪い勝ち方でごにゃる。バンを黒い霧の中に入れた瞬間、格付けは済んだ。あのまま戦えば某の勝ちは確実でごにゃろう。
しかし、某もただでは済まなくなる。
「バン・ホントロール、恐ろしい男でごにゃる」