国境壁10
『私に考えがある』
どのようにして国境を超えるか、という難問に対しての作戦は、そんなリシアの一言で始まった。
ガラガラと馬車が壊れる勢いで走らせ、先頭に一人、リシアが立つ。
すると、前方から夥しい矢の雨が迫ってくる。
「魔力障壁の準備を始める!!
声を揃えよ!!」
正純らしからぬ掛け声によって、馬車の中で数人の騎士が慌てて祈るように手を合わせる。
《 テルノ・へカトル》
馬車の前に半透明の膜が展開され、全ての矢を弾いていく。
矢の雨の中、ひたすら馬車は国境門へと真っ直ぐ進んでいき、リシアは未だ馬車の先頭で剣を構えながら目を瞑っている。
『 海の刻
最果てより来たりし、激流の怪物
海を割り、海流を作り、海の天災と名を馳せた伝説の魔獣よ
今、この時だけ我に力を与えたまえ
我が剣は貴方の同胞なり、海の底、眠る、巨影の龍《 ファントアラタゼヨ 》の同胞なり』
リシアは魔力は剣に集中させる。
美しい青の魔力が剣に集め、平原を照らす。
「すげぇ」
誰かが呟いた。
矢の雨の中、そこだけ美しく、そこだけが静かで穏やかだ。
リシアは青く輝く剣をゆっくりと振り上げて目を開ける。
そして、チラリと背後、馬車の中でこちらを見ている栄水に視線を向ける。
(見ていてくれ、今度は私の番だ)
「さぁ、共に行こう!我が友よ!
海を飛び、激流となって荒れ狂え!!
破壊する激流」
振り下ろされた剣から夥しい程の青い魔力が放たれ、激流のように平原を荒れ狂いながら国境門へと向かっていく。
大地はえぐれ、空気は押し出され、一面にひんやりとした魔力の奔流が生まれる。
国境門にいた兵士達も事の重大さに気づき始め、国境沿いに離れていく。
そして遂に魔力の波は平原を飲み込み、門を突き破って帝国領へと溢れ出す。
魔力は次第に効力を失い、青い魔力の燃えカスとなってあたりに充満する。その中をリシア達の馬車が突き進む。
「お見事だな、リシア」
「ふん、私は騎士団の団長であったのだぞ。
これくらいできなくてどうする」
「今のは魔法名じゃなかったな。『真名』か?」
「あぁ、キューリー家に伝わる伝承魔法だ。
リヴァイアズレイル、私の『真名』だよ」
真名、それは血で守られている名前。
先祖が成した偉業が魔法となってその一族の血として流れる。
それは伝承魔法と呼ばれ、一瞬だけ先祖の力を顕現させることことができる。
「よし!このまま突っ走るぜ!!」
騎士の一人が声を上げて轡を握りスピードを速める。
馬車は戦闘の余波でボロボロだ。すぐにでも帝国領内の街に到着して新しい馬車を調達しなければならない。
馬車は半壊した国境門を越えて帝国領内に入る。
領内は森になっており、スピードを落とす事となった。
逃げ切ったのだろう。追ってはなく、人の気配もない。
「はぁ…はぁ…。少し、休憩させてもらう」
リシアは額に汗を滲ませながら荷物にもたれ掛かるように座る。
伝承魔法はあまりにも高度な魔術であり、身体に掛かる負担も相当あるのだろう。
「旦那、どうですかい?この馬車持ちますかねぇ」
「ギリギリ持つんじゃないか?
あれだけの魔法に耐えながら全力のスピードかっ飛ばして来たんだ。よく耐えた方だ」
「そうですねぇ。早く気水姫?を奪還しましょうぜ。
が、先ずは旦那、水を汲んで来てくだせぇ。
近くに湖があるみたいですぜ」
「えぇ、なんで俺が…」
「なんでって、旦那が一番暇してるからじゃねぇですか!」
無理矢理バケツを持たされて栄水は仕方なく近くの湖に向かう。
森の中は静かで物音一つ聞こえない。恐らく街道近くで魔物も少ないんだろう。
栄水はバケツを湖に沈めて取り上げようとする。
「汝の名は」
突然背後から穏やかな声が聞こえる。
栄水は咄嗟に腰を捻り、迫り来る何かに対してギリギリで回避する。
「奇妙、回避する事は不可能だった」
「下手だからだろ」
「なるほど、道理である」
男は槍を構えたまま静かに矛先をこちらに向ける。
「我の名はバン・ホントロール。帝国に雇われた傭兵である。さぁ問おう、汝の名は…」
腰を下げて前傾姿勢で槍を構える姿は傭兵にしてはあまりにも神聖な魔力を帯びている。
「バン・ホントロール帝国の七聖騎士の一人か。まさか雇われ騎士だったなんてな」
「強きことそれ即ち聖なり、故に選ばれたのだ」
「なるほどなぁ。帝国は実力主義だしな」
七聖騎士、帝国が保有する一人で一個師団相手にできるほどの化物集団だ。王国で言えば国王直属の三つの部隊がそれに当たる。
「しっかし、なんで七聖騎士がこんな所にいるんだよ」
「ジルドレ殿から連絡が入った。
国境を突破されたと、ならば狙いは気水の奪還なのだろう?
だから来たのだ。帝都から走ってな」
コイツ、ここから帝都までどのくらいの距離があると思ってるんだ。
いや、でもそうかコイツ七聖騎士だもんなぁ。
俺はなんとなく悟った目で虚空を見つめる。
さて、どうするか。
正直俺がコイツを止めるのは100%ムリな話だ。
となると、ここで切札を使うしか生き残る術はない。
「仕方がないでごにゃるな」
バン・ホントロールは背後からの声に驚き、振り返る。そこには漆黒の服に身を包んだ小柄な女性が立っていた。
その立ち姿と目を離した瞬間思考の外へと消えていくような存在感の無さにバンはその女性が強者だと察し、槍を構える。
「よし、んじゃあと頼むなぁ」
まるで緊張感のない気の抜けた声で去っていく栄水に千春は頷くだけでバンから目線をそらさない。
「奇妙な男だ。強者でも弱者でもない」
「彼奴は貴様の目で測れんでごにゃるよ。いや、誰も測れなかった男でごにゃる」
「ふむ、確かに、あの城塞が落とせないのもあの男の手腕があったからなのだろう」
そう言ってバンは背後から投擲されたクナイを弾く。
「ふむ、当たると思ったか?」
バンは槍を構え、全力で地を駆ける。大地を穿つが如く伸ばされた足は一瞬で千春に近づき槍の間合いに入る。
地を滑るように矛先が振るわれ、千春はギリギリで反応し、矛先と首の間にクナイを忍び込ませて弾く。間合いを取るために距離をあけようとする千春だったが、読んでいたかのように千春の後退に合わさて足を踏み込む。
幾度となく振るわれる槍は徐々に千春の頬や腕に傷を残していく。
「ふむ、我を倒すには最初の一撃が肝心であった。しかし汝は自分が闇に属する者であるのを忘れ我の前に出てきてしまった。その時点で勝負は決している。
さぁ、問おう、汝の名は...」
腰まで伸ばした銀色の髪と鋭い目つき。誰の下にも身を置かず、ただその日を過ごすための金と宿を手に入れるためだけに働く孤高の狼。その手に握られるは分かつ槍。全てを割断する神槍。
名をバン・ホントロール。
又の名を『白銀疾走』