嫌な予感
窓から入ってくる朝日が眼球を傷つける。同時に頭を鈍器で何度も殴られたかのような痛みが響いている。酷い朝だ。
「…死ぬ、助けてくれ、頼む…」
気怠い体を無理に動かそうとするだけで響く頭の鐘。
桜田栄水は二日酔いに苦しんでいた。
「飲み過ぎた、いや、いけるとと思ったんだ。
だって、うめぇんだよ」
話す相手もいないのに言い訳をし始める栄水。
何とかして頭痛に慣れてくるとベットから這い出てタンスの中にしまってあるボロボロの服に着替える。
部屋の中に取り付けられた鏡を見れば、目元が隠れるほど長い天然パーマの黒髪、顎には無精髭が生え、ボロボロの麦茶服に身を包んだ浮浪者の男が立っている。
「ヒヒッ、ひでぇなぁ」
しかし見慣れた自分の姿だ。一言口にするだけで鏡から離れて部屋を出る。
廊下を渡り、階段を降りるとそこは食堂になっている。栄水が住んでいるのは食堂と宿を兼用している店だ。
「チャムさん、俺も出てっからさぁ。よろしくねー」
チャムという名の笑顔の似合う膨よかな女性は栄水を見た瞬間目を大きく開けて驚愕の表情をする。
「こりゃあ驚いたねぇ。アンタが午前中に起きてくるだなんてねぇ。
今日は槍でも降るのかい?それとも変死体?」
「ヒヒッ、言ってろい!」
ヘラヘラと独特な話し方をする気色の悪う男。チャムは慣れているのか特に反応しない。
「今日はどこ行くんだい?またカジノ?」
「それもありだねぇ。でも今日はブラブラしてぇなぁ。なんだかね?あれだけ目覚めが悪かったのにチャムと話した瞬間ご機嫌さ!
いやぁ、さすがチャムだよねぇ」
「ハハッ、どうせ嘘なんだろ?」
「おやぁ、何で分かったのかなぁ。不思議だねぇ」
「アンタ顔色悪いよ?まーた酒をがぶ呑みしてきたんだろう?二日酔いだね」
「ありゃりゃ、チャムさんには適わないねぇ、ヒヒ」
栄水は頭をガリガリとかきながら、宿屋を出ていく。
素晴らしく気分の悪い朝だ。蛇だ、蛙だ。あのぬるりとした不気味な存在が俺の背中をペロペロと舐めているような気分だ。ザラりとした舌の感触もある。本当に気分が悪い。
井戸から水を汲み上げて一気飲み。冷たい水が喉を通り、脳内を洗ってくれる。しかし、それでも脳内に残る異物が消えない。虫でも巣食っているような気分。嫌な予感。
「はぁ、あまり思い詰めたくは無いのだけどねぇ」
フラフラと井戸から離れて街道へと出る。こういうのは気分転換でもしなきゃ取れない。フラフラと彷徨い歩けば晴れるだろう。
街の中を歩いて回っていると街全体からベタベタとした陰鬱な物を感じる。意識して周りを観察すれば、街道を走る馬車も歩く人並みにも冒険者や騎士などと言った戦闘職の者達が多いことに気づく。
今度は意識して近くで話している三人の冒険者へと耳を傾ける。
「アスタンも終わりだ。だって……」
「あぁ、……攻めて…」
「逃げ……でも…」
あまり聞き取る事は出来ないが、そこには明らかに不穏な物が混じっている。しかし、栄水はこの街の名前を覚えていたため、アスタンという名にだけ反応を示す。
「ねぇ、ちょいとそこの色男さんよー。話を聞きたいだがいいかい?」
「男に言い寄られても嬉しくはねぇんだがなんだ?」
「アスタンの終わりってなんだい?教えてくれよ」
「兄ちゃん知らねぇのか?最近この街に来たのか知らねぇけどよ。早く別の街に移った方がいいぜ」
「そうそう。実は隣国のヒディリア帝国がこの街を狙って侵攻してきてんだよ。今のペパルテル王国は一年前の大戦で疲弊してるからなぁ。その隙に帝国から近いこの街を取ろうって動いてる話だ」
「一応王都からも兵士を持ってきてるらしいが敗戦同然の戦い。決着も直ぐに付くだろうよ。
……っと、もうすぐ馬車の出る時間だ。じゃあな兄ちゃん、お前も早く逃げた方がいいぜ」
そう言って去っていく冒険者三人。
そして、見事に当たる嫌な予感。
まさかこの街が戦争するなんて夢にも思わなかった。シーシスト学園がある王都が面倒で、田舎ではあるがそれなりに栄えているアスタンに移住してきた訳だが、田舎だと思って油断していた。
王都から離れるということはそれだけ隣国から近くなり、戦争に発展しやすい場所ということになる。
「俺も逃げないとねぇ」
来た道を引き返し、井戸でもう一度水を飲む頃にはだいぶ酔いも引いてきた。
宿屋に入り、チャムさんに戦争の事を話すと笑われた。どうやら知っていたようで知らないのは栄水だけだったようだ。
自室に戻ると荷物を確認して直ぐにでも出発できるようにしておく。
出ていくのは日を明日に決めてから、ベットに潜り込み熟睡。
起きた頃、空はすっかり光が抜け落ちて闇だけが広がる。
「この街とも最後だしねぇ。楽しまないと行けねぇよ」
懐から煙草を取り出して吹かしながら、宿屋を出て闇に紛れる。
街道から裏路地に入ると好奇な視線が何処からともなく突き刺さる。
しばらく細い路地を歩いていると目の前に扉が現れる。迷わず扉を開くとガヤガヤとした喧騒が一気に漏れだしてくる。
そこはダーツ、カード、ダイス、ルーレット、麻雀などと言った娯楽が沢山用意された場所であった。そして彼ら全員が懐から金貨を出して卓上に叩きつけている。
裏カジノだ。
栄水がそれらを眺めていると従業員の一人が駆け足で近づいてくる。
「久しぶりかねぇ、和也」
「こんな時間に来るなんて珍しいな。栄水。
確か昼は眠いから来ないって言ってなかったか?」
「いやぁ、どうもこの街戦争おっ始めようってんでね?なら最後に楽しまないとって来たわけよ」
「なるほどな。カジノまで歩くの面倒だから背負いに来いと言ったお前の口から聞くには筋の通った内容だ」
「ヒヒッ、嫌な言い方をするじゃないか」
「それより、お前が来たら見せたいと思ってたのがあんだよ。来てくれ」
そう言って和也が案内するのは一般会員のフロアを抜け、VIPフロアを抜けた先にある部屋だ。
その部屋は大きなホール型の部屋で、中心に巨大なディスプレイがはめ込まれた長方形のテーブルがあり、部屋の外はまるで闘技場のように全方位ガラス越しに観客席が設けられていた。
栄水と和也は階段を上り、少し高い位置から部屋を俯瞰して見る。
「なんだいこれは?」
それはあまりにも異様な光景だったが和也は後々分かるという。
そうして数分待っているとゾロゾロと観客席に客が集まり、満席になったタイミングでテーブルが置かれた部屋の中に二人の男が入ってくる。
テーブル越しに向かいあった二人は同時にスタートと掛け声を発する。
するとディスプレイから光が発せられ、それは立体映像となってディスプレイ上に現れる。
「へー、これは凄い」
「金持ち貴族豚共なら搾取した金で作り上げだ最新魔道機械だ。これはディスプレイ上に色々なシュチュエーションを再現して立体映像にしたものだ。今回は山岳地帯の森の中みたいだね」
「ふーん、これは結局何をやるんだい?」
問いかけた栄水の言葉に和也はニヤリと笑って答える。
「擬似戦争ゲームだよ」
和也の声と同時に観客席に設置されたモニターが森の中に佇む数千の兵士達を移す。
「これは?」
「立体映像の中に映し出された二人の操る兵士達を拡大したものだよ。どちらも一千の兵士を持っていて戦わせて遊ぶゲームだ。なかなかに面白いだろう?」
面白いも何も、よくこんなに魔道機械を作り上げたものだと関心するレベルだ。
栄水は森の中に佇む兵士を見ながら、目を細くする。
「うん、面白そうだ」
そう言うと栄水は立ち上がり、和也の話も聞かずに部屋の中へと入っていく。
「ねぇ、君」
「あぁ?ここは観客席じゃねぇよ。もうすぐ始まるだ。さっさと出てけ」
男は面倒くさそうに手で追い払うが、栄水はその手に袋を持たせる。ずっしりと重さを感じた男は訝しむが、袋を除いた瞬間驚愕する。
「君がその場を譲ってくれたらそれをプレゼントしよう」
そう言った瞬間男は直ぐに袋を持って部屋を出ていく。
「ヒヒッ、動かしやすい人間は楽だ」
テーブルの側面を見るとゲームの説明が書かれている。ディスプレイに手を乗せれば考えたことを兵士達が実行してくれると言うわかりやすいものだった。
ここから相手の顔も兵士も見えない。見えるのは自分の兵士だけだが、その兵士さえも森の中へ入ったら詳しい位置は分からない。
「だったら簡単だ」
栄水は兵士を動かす。
そして───
───勝利。
勝者に送られるその二文字が栄水の前で輝いている。
圧勝だった。戦死者を一人も出すこと無く。早々と勝利をもぎ取って見せた。
観客席へと帰って来た栄水を和也は半笑いで迎える。
「どうやったんだ?」
「見てなかった?」
「いや、見てたけど意味がわからなかった」
「ふむ、そうか。それじゃあ少し説明しよう」
栄水は薄気味悪い笑みを浮かべながらディスプレイに映し出されている勝利の二文字を見つめた。
まず栄水のやった事は情報収入だった。
一千人の中から10人選んで装備を全て外させて森に放つ。
そのうちに残った兵士を森の中へ散らしながら放ち、隠密を心掛けるように指示する。
装備を外させたことにより機動力と隠密行動に特化させた10人の情報を照らし合わせながら、散って行った兵士に伝達し待ち伏せさせる。
後は簡単に決着が着いた。木々をぬって多方向から奇襲を仕掛け、全滅させた死体から装備を剥ぎ取り、相手の兵士達に混ざりながら兵士を一人捕まえて拷問し相手の作戦を吐かせる。
完璧な手順だった。
「まぁ、相手が兵士全員に作戦の内容を伝えていたから楽だったよ。お陰で兵士一人拷問しただけで相手の思惑が全てわかったからねぇ」
本当の戦争ではこうも簡単にはいかないだろう。そんな事は誰にでも分かる。しかし、この栄水の手順や手段は明らかに場馴れした人間の思考回路だ。
「賭け事が得意なのは知ってたけどまさか軍師の才能もあっただなんてね」
「ヒヒッ、褒めないでくれよ」
栄水は煙草を吸うために一旦外に出る。
「軍師の才能かぁ。ヒヒッ、馬鹿も休み休み言えってんだ」
吸い終わった煙草を捨てて、新しい煙草を取り出す寸前、金属がぶつかり合うような音を拾う。
「あれ?」
視線を下に向けたら両手に手錠が嵌められていことに気づきどんどん嫌な汗が流れ出る。
あぁ、朝に感じた嫌な予感、きっとこれだわ。
そんな事を思いながら、栄水は後頭部を殴れられ気絶する。