国境壁1
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「さ、今日もキリキリ働くか」
「嘘だな?」
「あれ〜、ポーカーフェイスには自信あったんだけどな」
「嘘が下手だな、貴殿は」
巨大で堅牢な砦を持つ国、アスタン城塞都市の砦内部はいつものように兵士達が慌ただしく右往左往していた。
その砦の一室で栄水は大きな欠伸を噛み殺しながら書類にサインをしていく。頬は窶れ、目は窪み、体が若干震えている状況の中、栄水震える右手を左手で抑えながら羽ペンを動かす。
明らかに異常であることがわかるが、彼の秘書であるリシアは特に気にした様子もなく彼の隣の机で書類を片付けていく。
「お、終わった…」
最後の一枚にサインをし終えた栄水は目を閉じて机に倒れ込む。
「ふむ、相変わらず仕事は丁寧だな。
全く、そもそも貴殿が一週間も遊び呆けているのが原因だったのだぞ」
ピスコと勝負をしたあと、栄水は賭博場に入り浸る状態となり一週間帰ってこなかったのだ。
これは度々あることでリシアや周りの騎士達や兵士達は諦めているのだが、仕事自体は消える訳では無い。最終的にはリシアに捕まって机に縛り付けられたのだ。
それが二日前の事である。
「それでぇ、戦争の準備は大丈夫なわけ?」
「あぁ、いつでも出撃可能だ。後は相手方の宣戦布告を待つのみだな」
「ぷっ」
リシアの言葉に栄水から小馬鹿にしたような笑いが漏れる。
「むっ、何か間違っていたか?」
「いやぁ、何も間違ってはいないよ。ただ『教科書通り』の答えなだけさ」
栄水は達観したように目を細めて半笑う。
「今現在、大国である五カ国は戦争条約を結んでいる。だがね?大いなる流れの前に個人の意思など無力。国全体が報復を望んでいる場合なんてのは宣戦布告なんてしないし戦争条約なんて簡単に破る」
子供を殺し、女を犯し、金を盗み、高笑い。五十年前に起きた『セセラバの戦い』は正にそれだった。
「戦争なんてそんなものさ」
ルールがある戦争なんて戦争じゃない。
「ま、今回は恐らく宣戦布告を定時に戦争条約に則って戦争を始めるだろう」
栄水は気持ちを切り替えるように手を叩いて立ち上がる。
「それで?何時までそこに隠れてるの?疲れない?」
立ち上がり、栄水は唐突におかしな事を口走った。彼が見ているのは部屋の角、花瓶の置かれた机の横だ。
最初は寝不足で幻覚でも見たのかと考えたリシアだったが机の横の空間から霧が晴れるように薄らと現れた黒服の少女によってそれが幻覚ではないとわかる。
「見事でごにゃる。栄水殿」
リシアは直ぐに剣を抜いて栄水の前に立つが少女は片膝をついて頭を下げる。
「お主を試すような行動、深く反省するでごにゃる。某の名は国家直属の隠密部隊【影運び】のメンバー、千春でごにゃる」
独特な語尾で話す少女はそう言ってフードを外すと栗色の神の隙間から髪色と同じ栗色の毛並みを持つ猫耳が飛び出す。
目元は鋭くクールな印象を放ち、髪の長さは肩にかかる程度で身長は小学生の平均程度でかなり小さい。
そんな少女を見ながらリシアは呆然としていた。
「こ、こここ国家直属ぅぅぅうう!!!!」
国家直属部隊は存在こそ知れ渡っているが見たと言う者はいないと言われている。主な部隊は三つ、遊撃部隊、殿部隊、隠密部隊である。
これら三つの部隊が王国の持つ最終兵器である。
今それが目の前にいる。今すぐにでもサインを貰いたい衝動に駆られるがそれを押さえ込んで剣を収める。
「へぇー、隠密部隊ねぇ」
「そうでごにゃる。某は気水様奪還の手助けをするために馳せ参じたのでごにゃる」
「なっ!」
栄水が隠密部隊である千春に対して全く驚いていないことに動揺するがそれよりも彼女は貴族の奪還に参加すると言わなかっただろうか。これは朗報過ぎる朗報だ。
「騎士ちゃん、部下達に伝えてきなよ。やる気に繋がるだろうからさ」
確かにそうだ。国家直属の隠密部隊のメンバーが参加しているとなれば誰もがやる気になるだろう。
なぜなら王国国民にとって国家直属という肩書きは正に王国のヒーローであり、雲の上の存在であり、誰もが一度は必ず夢見る存在だからだ。
もしかしたらスカウトされるかもしれないと皆が躍起になるのは間違いない。
部下達に伝えるために部屋を出ていこうとする。
「握手してもらってもいいだろうか」
「うむ、良いごにゃる」
その前に握手も強請るのは忘れ無い。
握手を終えて上機嫌で出ていくリシアを見たあと、栄水はニヤニヤと笑を見せながら千春を見る。
「いやー、見事な驚きっぷりだったなぁ。でも真実を聞いたら卒倒するぞ、あれは」
栄水は更に笑みを深める。
「なぁ、隠密部隊〝隊長〟千春殿?」
「ふっ、お主にそう言われるのは何年ぶりか…」
その声には優しさと懐かしさがあり、悲哀の感情が溢れていた。
俯いた彼女から雫が落ちる。
「某も含め皆が、どれだけお主を探し回ったか……ッ!」
「すまねぇなぁ。
ふっ、それにしても相変わらずだなぁ。いい加減その語尾直せよ」
「黙れ!この!」
声を荒らげて怒鳴るが顔は笑顔だった。絵画のように美しく、悲しい涙を流しながら。
「わかってるとは思うが戻る気はねぇよ」
「あぁ、分かっているでごにゃる。
それでも、お主の〝居場所〟は残しているでごにゃるよ。小刀東一郎殿が煩くてのぅ」
「ははっ、相変わらずだな。アイツも」
「そうじゃな。
さて、某も今回の件に関しては面倒な事この上ないでごにゃるが気水殿となれば話は別でごにゃる。色々と調べ物もあるので失礼するでごにゃるよ」
そう言って千春は煙となって消える。
千春がいなくなり、一人になった部屋の中で栄水は窶れた顔のままゆっくりと目を瞑る。
「さて、千春が出しゃばってくるくらいの価値が気水って奴にはあるのかな?
アイツが何を隠しているのかは知らねぇが、きな臭いなぁ」
そして電池が切れたように眠りにつく。