ソニー凋落と日本凋落を重ね合わせて考える
元ソニーの丸山茂雄のインタビューが面白くて、ここ最近読んでいた。日経にほかのソニーOBの話も載っていて、それをざっと読んでいくと、盛田昭夫、井深大以来ソニーにどんな変化が起きたのか、ぼんやりと見えてくる。自分なんかはあまりにのめりこんで読んでいたので、自分も元ソニーの役員の一人であるかのような錯覚を覚えた。
丸山茂雄のインタビューは面白くて、特にプレイステーションがどうやってできたのかの話が面白い。プレイステーションは、丸山茂雄という才能あるプロデューサーと、変人技術者の久夛良木健のコンビから生まれたという事がよくわかる。そしてこのへんてこな(褒め言葉)コンビを背後で支えたのは、大賀社長だ。大賀社長の、へんてこコンビを好き勝手にやらせていたという度量の広さがあったからこそ、ソニーはプレイステーションを作れたのだろう。そして大賀社長は、盛田昭夫や井深大の薫陶を受けている。そこにはスタート地点からの「ソニーイズム」があったわけだ。
それからソニーは凋落していく。これには理由や戦犯も考える事もできるが、僕は読んでいて、別にソニーだけの問題だとは思わなかった。好奇心、創造力の枯渇は日本全体の問題であり、ソニーが出井伸之の時に数字にばかり目をつけて、生き生きした創造力を消失させたというのは、日本全体の暗喩であると考えたほうがわかりやすい。
自分の友人などを見てもそうだし、ネットの意見を見てもそうだが、今や人は企業に待遇や給料の問題しか求めていないように見える。また、企業が人を採用する時もそんな見方になっていると思う。人間という存在が、生き生きした存在である事をやめて、数量化できる存在に限定される事によって僕達は、自分達の創造性を失う。ソニーで言えば、自分達の面白いと思った事、愉しいと感じる事を現実のものとしていく大きなエネルギーが過去にはあった。そして、それは元は、戦争の敗北から来ていた、と僕は思う。僕は盛田昭夫らの根源的なエネルギーは戦争に敗北した時に味わった屈辱ではなかったかと考える。戦後の日本はその屈辱をポジティブな方向へのエネルギーへ変えてきた。もちろん他にも色々な理由はあるだろうが、おおまかに見るとそうではないかと思う。しかし今や日本も大きな国となった。経済的にも成功した。すると、皆が保守的になり、自分達の待遇や会社の保全、あるいは株式の数字ばかり目にして、新しい事をやろうとする気概は失せていく。
この事をもう少し掘り下げて考えてみよう。人が自分の好奇心や創造力を、「仕事」と結びつける事ができている時、その人はその存在そのものを社会的な事柄と結び合わせる事ができている。その人の嗜好やその人の性格、その人の生きざまそのものが、文系理系を問わず、社会的な事柄と結びつける事のできるような場合、そうしたものは非常に強い。なにせ、人間のあり方そのものを外的な、社会的な物と結託する事ができるからだ。
しかし、誰しもが感じるように、そうした事を達成するのは難しい。自分のしている仕事に自分の有様を投入できる、そんな幸福な時代は過ぎ去った。今の僕達はそんな事をイメージする事すらできない。だからこそ、僕達は待遇や給与の事しか考えられず、経営者のトップは、自分の名誉や地位や、経理上の黒字の事しか考えられない。
もっと単純に考えてみよう。そもそも、「ソニー」「任天堂」「電通」などの看板だけ見て入った優等生というのは、ある程度の待遇や、良い生活保障を受けるために会社に入ってくる。というか、もともと、その為に頑張って受験勉強をしていた、という事だろう。すると、この人達に、リスクを負ってでも新しい事をやる気概があるかというと、そんなものがあるわけではない。しかし、僕はそうした人達を非難したいわけではない。それは彼らの責任というよりは、時代の流れというものが大きいからだ。
こうした流れは日本社会全体に見る事ができる。夢を叶える、という都合の良い言葉は単に、努力して自分を社会的に押し上げる事として捉えられている。そこでは、自分の興味、関心、嗜好、そうした人間のあり方は忘れられている。小説が好きで、その分野で何かを成し遂げたいという理由よりも先に「作家になって印税で楽に生きたい」みたいな欲望が先に来る。この事は社会の色々な事に当てはまるだろう。おおまかに言うと、今の日本の活力がないのは、そうした問題が大きいと思う。しかし、考えようによっては今の日本に活力がないのはかつてが良い時代であったからであって、それほど悲観する事でもないのかもしれない。日本は戦後は概ねうまくやってきた。そしてもその「概ね」がうまくいかなくなった今、僕らは新しい倫理、技術、組織について考えなければならないが、結局、既存のものの中で幸福になる事を願うほうが可能性があるように見える為に、同じループにはまっていく。
と、まあ、丸山茂雄らソニーOBのインタビューを見ていて、そんな風な事をイメージした。新しいものが生まれる時は、どこでも「ワクワク感」があるものだが、今はそれはなくなっている。今の時代に、「好奇心が大事だ」と言われれば多分笑われてしまうだろうが、「何かをする」というのは、持たざる者が窮余の一策で考えだした、という風情がある。僕は同世代の「神聖かまってちゃん」というバンドを高く評価しているが、彼なども、明らかに、持たざる者である事を逆手に取った創造力だ。今の日本は不況続きなので、そろそろもう自分達はそんなに世界のトップでもないと腹を括って何かをしてもいいのではないか、と思っている。ソニー凋落についてネットで見ていて、おおまかにそんな印象を持った。…後は全くの余談だが、ジャンプの鬼編集者として知られた鳥嶋和彦のインタビューも非常に面白かった。丸山茂雄、鳥嶋和彦のインタビューは、ヒット作を出したいと思っている人には読む事をおすすめしたい。必ず得る所があると思う。