チューリップのドレス
「このチューリップ、欲しい」
買い物も終わり、スーパーから出る時、長女の春美が、立ち止まった。
出口の側の小さな花屋で、春美は、チョーリップの鉢植えにくぎ付けになってる。
「春美、家の庭にもチューリップあるじゃない。何も鉢植えで買わなくても・・」
「このチューリップがいいの。」
春美は4月から小3になった。ちょっと気の強い次女の夏美と違い、この子は、あまり自己主張もしないおとなしい子のはずだったのに。こんなに物をねだったのは、初めてかもしれない。
「すみません、このチューリップの鉢植え下さい」と声をかけたが
店員さんに”すみません、それ、売り物じゃなくて”と申し訳なさそうに断られた。
「春美ちゃん、庭のチューリップをこうやって、鉢に植え替えましょう。それでいいでしょう」
「いや、これでなきゃいやだ」
やれやれ、おとなしい子ほど、一旦言い出すと、頑固なものかもしれない。
「これは、お客様が通られた時、花の成長を楽しんでもらえればと、思っておいたもので・・その、球根が小さかったので売り物にもなりませんでした。」と店長らしき男性が、説明してくれた。
「まあ、そうでしたの。どうも失礼しました」
私は、軽く会釈をしてその場を離れようとしたのに、春美がテコでも動かないとばかり、その場に座り込んでしまった。
「あのチューリップ・・」
春美は、今にも泣き出しそうだ。まいったわ。他のお客さんがジロジロみてる。店長さんは、思いついたように、言ってくれた。
「じゃあ、こうしましょう。商品ではないので、この鉢植えを貸すという事で。」
店長さんは、小声で、”お嬢さんが飽きたようならこちらに戻してください”と私に耳打ちしてきた。花が終わったチューリップは、あまり見栄えがよくなく、夏には葉は枯れてしまう。そのころには、春美の心も変わっているだろう。
本当にいいんですか?と、確認する前に、春美はチューリップの鉢植えを手にして、満足気だ。
「すみません、この子が迷惑かけてしまって。いつもは、ここまで頑固じゃないんですけど。」
「いいんですよ。ああそれと、週末からは、花の苗なども置く予定ですので、よかったら見に来てください」
私は平身低頭で、何度も頭を下げた。この花屋で、今年の花の苗を買うのは当然の結論。
庭の空きスペースを考えながら、帰った。
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家で、春美に聞いてみた、”花も咲いてないのに、なぜ、そのチューリップが欲しかったのか”
「お母さん、このチューリップの中から、声が聞こえたの。”一緒に連れて行って”って。」
大真面目に言う。この子って、空想好きだったかしら。。
「春美、鉢植えをテーブルの上に置かないで。窓の近くの日の当たる処においておくのよ。水やりも忘れずに。面倒をちゃんと見てね。それが出来ないようなら、お店に返すから」
買い物で買ってきた食料品を片づけながら、声をかけた。さあ夕食を作らないと。
春美は、自分の部屋で、ピアノの練習を始めた。そうだ、衣装を決めないと・・
春美は、2年生の時から、ピアノを習っていて、2週間後、発表会があるのだ。たかだか子供の発表会とタカをくくってた私は、すごく恥をかいた。
発表会では、女の子は、皆、貸衣裳でも借りたのか、フワフワのお姫様のようなドレスを着ていた。うちの春美は、小学校の入学式に着た服だった。春美は、一人、目立ってしまった。本人は、まったく気にしてないようだったけれど、私が恥ずかしかった。
その次の発表会では、奮発して貸衣装から借りた。春美に”どんなドレスがいいかな?”って聞いても、別にどれでもいいとかって、気のない返事ばかり。私の趣味と予算で選んだドレスは、失敗だった。ちょうど寒い日だったので、薄い生地のドレスは、春美に風邪をひかせてしまった。
次の日の夕食後、春美は、”発表会にはチューリップのドレスがいい”と、言ってきた。食後の片づけを手伝いながら、ストーカーのように後にくっついて、何度も言ってくる。私は降参して、片づけの途中で子供用の貸衣装のカタログを見せた。
「これがいい、お母さん。これ着たい。これ来たらチューリップのお姫様に見えるでしょ?」
キラキラを目を輝かす春美だけれど、残念ながら、春美の選んだドレスは、あの子にあうサイズがない。問い合わせたが、他のサイズの入荷予定はないとの事。
「ねえ、この服じゃなきゃ、だめかな?ほら、これなんかどう?」
「この服がいい。だって、チューリップのお姫様は、こんなドレスをきてた。私、お姫様と約束したの。発表会で同じ格好で一緒にピアノを弾くって」
ははん。そんな夢でも見たのね。女の子らしい夢だわ。
「春美ちゃん、なぜ、同じ格好じゃなきゃだめなの?」
「あのね、お姫様、一人ポッチで寂しいんだって。寂しくて元気が出ない。だから、お姫様を励ますのに、ピアノの発表会にお揃いのドレスで出ようって言ったの。とても喜んでくれた。」
我が子のメルヘンな夢に私はほのぼのしながらも、なぜ、そんな夢をみたのか不思議だった。
春美が、夢の話しをすることはたまにあった。怖いお化けに追いかけられる夢をみた時とか、私に泣きついてきた。
それにしても、ドレス、どうしよう。市内に住んでいる伯母に頼んでみようか。希望のドレスと似せて、”なんちゃってお姫様ドレス”でいいから。でも、間に合うかしら?
私の伯母は小さな生地屋を営んでいて、自分で洋裁もする。春美にはお出かけ用の服を作ってもらった。
「あのね、伯母さんに頼んで作ってもらうから。でも間に合わないようだったら、違う服で我慢してもらえるかな?カタログのこのドレス、お店には春美ちゃんの体にあわないの。わかる?」
春美は、エっていう顔をしてから、”お姫様に言ってみる”といって、部屋に戻っていった。
あの子の部屋からは、シューマンの「はなうた」という穏やかな曲が、聞こえて来た。
発表会の曲だけど、親のひいきじゃないけど、まあまあの出来じゃないかと思う。もちろん、上手い子は一杯いるだろうけど、春美は春美なりのペースがあるのだし。
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発表会当日は、小さなお姫様で一杯だった。やはり、白やピンクのフワフワギャザーのドレスが多い。髪は、綺麗にセットして髪飾りをつけてる。
うちの春美は、オカッパ頭なので セットはできないけれど、赤くて細いカチューシャを、頭につけてやった。あの子の黒くてツヤツヤした髪に、それはよく似合ってる。
ドレスは、伯母に頼み込んで、なんとか間に合った。ドレスは赤で靴が少しみえるくらいの丈。ウェストは、下が膨らむようにギャザーが入ってる。そして、赤いレースの長袖。
伯母さん、感謝です。ウチの子が一番綺麗で輝いてる。
9時半、発表会が始まった。春美の出番は、10時半ごろ。今日は、お父さん、祖父母、伯母と、春美の演奏を楽しみにしてる。
出番が近づいて来た。舞台袖で控えてる私のほうが、緊張した。”あの子、長いドレスを踏んでこけないかしら。はじめと終わりのお辞儀、忘れちゃわないかしら。そうだ、あのカチューシャ、演奏中に落ちてきたらどうしよう”と、急に不安になってきた。
「じゃ、落ち着いて頑張ってね」とステージに春美を送り出したけど、落ち着いてないのは、私のほうだ。あの子は平然として、もちろん転ばなかったので、私はホっとした。
演奏はあの子の演奏の中では、一番の出来だった。舞台と袖の仕切りのドアのガラス窓から、あの子の演奏する姿を見た。
あれ?と目をこらした。ピアノの前に春美ともう一人女の子がいる。ほぼ同じドレスで。
その子は、体が透けてる。もう一度、目をこらしたら見えない。気のせいだったのかな。
短い曲が、あっという間に終わり、あの子は立って挨拶をした。
お辞儀ではなく、ドレスを両手でつまみあげ、膝を軽くまげた。お姫様挨拶だ。あちゃー。ああいう挨拶の仕方は、教えた事ないのに。そして、春美の斜め後ろで”体が透き通ってる少女が、一緒に挨拶してる。
もしかして、彼女がチューリップのお姫様?
鉢植えのチューリップの花の色は、ドレスと同じ明るい赤だった。私は、店長にお願いして、そのチューリップを、貰う事にした。
庭のチューリップがひと段落したら、日当たりのいいところに、お姫様チューリップを植え替えよう。春美にそう伝えると、嬉しそうに”これでもう寂しくないね”って。