8.見舞い
歌が聞こえたような気がした。
だが重たいまぶたを開いてみたけれど、部屋の中はシンと静まり人の気配は無い。
(気のせいか…)
一度目を開いたら、眠気はすっかり覚めてしまった。
リーレイはまだいくぶん重い体を起こしてベッドヘッドにもたれかかった。
そんなに繊細なはずではなかったのに、慣れないことをしたせいか、熱を出して起き上がれなくなったのは今朝の事。
こんなことは本当に何年かぶりのことで体が全く対応できず、『俺って死ぬのか?』なんて似合わないことを考えたりもしたのだけど、眠ったおかげか体のだるさはだいぶとれている。
このぶんであれば翌日には完全に回復するだろうと思われた。
リーレイはベッドの上でゆっくりと体を起こす。
「人の気配がしたような気がしたんだけどなぁ…」
腑に落ちなくて辺りを見回してみるものの、この狭い部屋の中好き好んでかくれんぼなどする人間などいるものか。
(寝てる間にフィルフォードでも様子見に来たのかな…)
どうも彼とは気配が違うような気がしたのだけれど。
うまく回らない頭で考えるがラチがあかない。
コンコン。
部屋のドアがノックされた。
「はい」
返事を返すと扉が開く。
現れたのは、同じ戦闘班のアウォースだった。
片手には器の乗ったトレイを抱えている。
「よぉ。調子はどうだ?」
「悪くない」
食事を運んできたのだろう様子にもうそんな時間かと思う。
「食えそうか?」
「……少しなら」
朝から何も食べていないというのに、空腹感は感じない。
それでも作ってくれた調理師に悪いと思い、手渡された器の中から粥を掬った。
アウォースはベッドの傍ら、来客用の椅子に腰掛ける。
「お前がいないと艦の中が静かだよなぁ…」
しみじみと呟くアウォースの言葉に、口に入れた粥を噴き出しそうになってしまった。
「そんなにうるさいか? 俺」
「うるさいっつか、賑やかだよな。いいじゃねぇの? 辛気臭いよりは」
歳が近いこともあって戦闘班の中でも仲のいい間柄、言い方には容赦が無い。
「ま、問題児がいるからしょうがねぇか」
『問題児』と言われてふと思い出す。
「そういや、ローウェは?」
「ジェイクが買い出しに街へ行くのについて行ったらしいぜ」
「……そうか…」
自分は朝からずっとベッドの中だというのに、同じ状況を体験してこの差は何なのだろう。
「ま、育ちの差だな」
アウォースは一言で片付ける。
「ま、お貴族様には野宿は酷だよな」
「うるさい」
アウォースの揶揄いを、リーレイは一言で一蹴する。
今でこそ空族などという組織に属してはいるが、元貴族、というのがリーレイの肩書である。
それも結構な名家らしい。
興味がないのでアウォースは詳しく知らないが…。
それがどういう経緯でスカイコードの一員になったのか、も正直そんなに興味はない。
おそらくはリーレイの性格的に、家での生活が性に合わず飛び出したというところではないか、とアウォースは踏んでいる。
意外にも素質が人一倍あったために、護身術程度のはずが最終魔法までついつい習得してしまったらしい。
今じゃ、世界中の魔術師のトップクラス扱いだ。
その実力を買われてここにいる。
元貴族、と言ったが家の名を捨てたとは聞かないから、今も貴族ではあるのかもしれない。
ただ、本人は貴族扱いをことのほか嫌う。
「別にいいだろが。そのうち実家の力が必要になる時もあるかもしんねぇだろ」
「そんなことにならないよう祈る」
「わっかんねぇぞ。何しろ問題児がいるからなぁ」
「だから、今躾けてるんじゃないか」
「上層部の連中はローウェに甘いからなぁ…」
どうかなぁ、と言いつつアウォースは楽しげだ。
どちらかというとローウェがいろいろと問題を起こす事を楽しんでいる派である。
スカイコードの平均年齢は26、7歳。
中でも10代は少なく、ミヴィア・ローウェ・リーレイの3人のみだ。
上の連中はようやく構う相手が出来たとばかりにことのほかローウェを気に入っている様子。
まぁ、自分の可愛さを自覚しているミヴィアや、辛口発言連発のリーレイなどは構いがいが無い、というか構った時の反応が怖い、のかもしれない。
「っつか、お前もローウェ気に入ってるじゃん」
「誰が」
アウォースの言葉に、心外だとばかりに反論する。
「だって同じ年下でもミヴィアとは仕事以外であまり接触無いだろ」
「ミヴィアとは王宮魔術師の頃からの付き合いだからな。いまさらベタベタする間柄じゃない」
しばらくの沈黙。
「そうか」
意味深な笑みを浮かべてアウォースは立ち上がる。
「何だよ、今の間は」
睨んでくるリーレイから、さほど中身の減っていない器を受け取りトレイに載せる。
「少し話しすぎたな。疲れたろ、もう少し寝てろよ」
そう言ってアウォースは部屋を去ろうとする。
リーレイの問いかけはまるっきり無視だ。
食いかかろうとしたリーレイであったが、少し頭が重い。アウォースの言うとおり少し話しすぎたせいだろうか。
体を横にしたとたん、眠気が襲ってきた。
素直に布団の中に戻ったリーレイにアウォースが扉の前で振り返る。
「俺は、ローウェがお前の探していた奴だと思うけどね」
扉の閉まる音は、もうリーレイの耳には届かなかった。
—
相棒が欲しかった。
その表現が正しいのかどうかはわからない。『それ』にしっくりとくる言葉が見つからない。
自分の背中を預けられる相手。誰よりも信頼できる相手。
そしてそれだけじゃなく、同じだけの信頼を相手からも預けてもらえる相手、だ。
いかに相手より優位に立つか、相手を貶めるか、という貴族の考え方にはうんざりだった。
だから早々に家を出た。そこで理想を見た。
グレンとフィルフォードである。
グレンの出自もある意味特殊だ。
本人は特に隠しているという感じではないものの、組織内では暗黙の秘密事項になっているが…。
リーレイなど及ばない血筋でありながら空賊へ、信じられない選択を誰より先にフィルフォードに相談したグレン。
高い地位を約束された学師の仕事をあっさり捨てて、グレンに従ったフィルフォード。
思い描いていた理想の形が目の前にあったものだから、自分も、と焦がれる気持ちは膨らむばかり。
はじめはアウォースがその相手になるかも、と思った。
実力は申し分ない。彼の腕は信頼に値する。
けれど彼にはすでに背中を預けられる相手がいた。だから『自分の』相手ではない。
(そう簡単に見つかるわけ無いか…)
一生見つからないかもしれない。
熱の所為か、消極的な考えが浮かんでくる。
すると、
リーレイを慰めるかのように、微睡む意識の中、歌声が聞こえ始めた気がした。
(あれ? さっきの…)
同じ声のような気がする。
大丈夫、必ず見つかる。そう語りかけるような声。
心地よくて、ずっと聴いていたかったけれど、ハッキリと覚醒するのと同時に歌声はあとかたもなく消えた。
目を開けると部屋の中が薄暗かった。
だいぶ眠り込んでしまったようだ。
ゆっくりと上体を起こす、と。
ベッドの隅にうつ伏せて眠る人影。
「ローウェ、ここで寝るな。熱がうつる」
ゆさゆさと肩を揺する、とローウェのまぶたがゆっくりと開いた。
「ん? リーレイ起きたか?」
「起きたか、じゃねぇよ。ここで寝んな」
「あ、そうだ。これを飲め」
「お前、人の話を聞けよ」
まったくといって人の話を聞かない。
リーレイの言葉をまるっきり無視してコップを差し出してきたローウェに呆れつつもリーレイはそれを受け取る。
透明な液体。水だろうか。
寝起きでちょうどのどが渇いていたものの、その液体の中に花びらがいくつか浮かんでいるのを見て躊躇する。
「何だ? コレ」
「植物の花びら」
「それは見ればわかる。何でこんなもん入れた?」
「疲労回復によく効くんだぞ」
「ホントかよ」
半信半疑であったものの、見るからに毒草ではないので体に影響は無いだろうとのどの渇きに耐えられずそれを飲み込むことにする。
後味にほんのり甘い香りがした。
「うまいな」
「でしょう?」
素直に感想を述べればローウェは相変わらずの能面ながらやや得意そうな様子に見えた。
ローウェなりに心配して持ってきてくれたのだと思えば文句も程々にしてやろうと思う。
「ごちそうさん」
そう言ってリーレイはコップをローウェに返す。
「艦の様子はどうだ? 変わりないか?」
「ん? そうだな、明日の朝に出発するからちょっと慌ただしい」
「明日?」
予定ではあと2、3日は先のはずだが。
嫌な予感がリーレイの頭をよぎる。
「ローウェ。街で何しでかした?」
沈黙。
「てめぇは、毎度毎度面倒起こしやがって」
決め付けてかかったリーレイだが、そのカンがさほど間違いでないことはこれまでの経験からわかっていた。
「俺は歌を歌っただけだ」
「言い逃れすんな。さっさと整備班を手伝って来い!」
病人とは思えないほど強い力で背中を叩かれて、ローウェは渋々部屋を出て行った。
なるほど、寝てる合間に歌声を聴いたような気がしたのはこの事態を予期してのことなのか。
「アウォース、あいつは絶対違うぞ。っつか頼むから違ってくれ」
熱がぶり返してきたような気がした。