1.迷子
前方の空に浮かぶ飛空艦は近づこうとするほどにその姿を小さく変えていく気がする。
慌しく通りを行き交う人々に対抗するように、ローウェは足を止めて空を仰いだ。
「何で全然近づかない…?」
向かって歩くこと十数分。なかなかたどり着けない目標に、ぼやいてみるが返事が返るわけもなく。
心底不思議そうに首をかしげる。
ただ単に、自分が方向音痴だということは認められないらしい。
人ごみに完全に埋まったその身長も原因となり、明らかな迷子に周囲は気がつかないのか、
はたまたかまっている余裕がないのか、ただただその脇を素通りしていくだけ。
「みんなどこ行った…?」
油断したのはほんの一瞬。店先に並んだ品物に目を奪われていた隙に、
同行していた仲間の姿は見えなくなっていた。
なおも立ち尽くすローウェの背を、後ろからすれ違った男がドンと押した。
「危ねぇぞ!」
振り返りざま怒鳴られて、ようやく自分が邪魔だと悟ったローウェはすごすごと道の脇に避けた。
ただそれだけなのに、再度見上げた飛空艦はまたその大きさを変えたように感じる。
「何故だ…」
もちろんただの錯覚なのだが、がくりと肩を落としたローウェに優しげな声がかかった。
「どうしたの? 迷子かな?」
見上げたローウェの目に、色白で痩せた男の姿が映る。
細く、垂れた瞳がいかにも人がよさそうな風貌だ。
「よかったら案内しようか?」
願ってもないその申し出に、しかしローウェはただだんまりとその青年の顔を見返すだけ。
人見知りなのか。いや、それにしてはあまりにも不躾な視線だった。
まっすぐすぎるその視線に、さすがに青年も少したじろいだ様子を見せた。
「えーと…。どこに行きたいのかな?」
優しげに微笑む顔をなおもじっと見つめていたローウェが、ふいにその視線を外しふっとため息をついた。
「あいにくだが金はない。よそをあたれ」
キッッパリと言い切ったローウェの言葉に、男の表情が固まった。
「…なんのことかな?」
すぐにその表情はもとの穏やかなものへと変わったが、笑顔が若干引きつっている感は否めない。
「お前スリだろう。残念だが俺は金を持ってないと言っている」
今度はあからさまに男の顔が強張った。
図星、というところだろうか。
それ以上ローウェが男に声をかけることはなく、背を向けてまた歩き出した。
「え? ちょっと…、おい…!」
背後からかかる声は意味をなさず、無視して足を進めるローウェを追う足音がひとつ。
それはすぐさま隣に並んだ。
「すげぇな、ボウズ。よく見破ったもんだ」
ガハハと大きな口で笑った男。
ちらりと隣に目をやれば、体のつくりも一つ一つが大きくて山男かという風貌が目に入った。
「間に入ってやろうかと思ったが必要なかったな」
そういう男は、先ほどのスリ泥棒の仲間というわけではないらしい。
ローウェが足を止めて隣に向き直ると、男もすぐに足をとめてこちらを向いた。
先ほどの優男よりもだいぶ高い位置にある顔をローウェは同じようにじっと見上げる。
それに対し臆することなく見返してくる視線を受けて、ローウェはすっと右腕を前方へ差し向けた。
「おじさん。あの飛空艦のところまで連れてってくれ」
「おじさんー?」
不服そうに男は眉をしかめたが、無造作に伸ばされた髪も口周りに生えた無精ひげも、
若々しいとは言いにくい。
だがローウェはしばらく考えた後、
「…素敵なお兄様、あの飛空艦まで連れてってください」
「棒読みかよ」
呆れたため息をこぼしつつ、まぁいい、と男はニヤリと笑った。
「俺はカジマ。ボウズは?」
「ローウェ」
名乗るや否や歩き出したカジマの後を答えながらついてゆく。
「俺は今ここの自警団に雇われてる身だからな。迷子のお世話もまぁ仕事の範疇といえなくもないか…」
独り言をつぶやきつつ歩くカジマは一足一足が大きく、ついていくローウェは自然と小走りになる。
「迷子じゃない。ちょっとはぐれただけだ」
横に並んで反論するも
「それを迷子っていうんだっての」
呆れて笑うカジマに、返す言葉が無く黙り込む。
「で? スカイコードの近くに同行者がいんのか?」
突如カジマが尋ねてきた。
「知ってるのか?」
スカイコードはローウェが目指している飛空艦の名前だ。
「知らないわけねぇだろ、あんな有名なもん」
ガハハとまたも大きな声で笑う。
スカイコードは艦の名前であると同時に、それに乗っている集団の総称でもある。
移動手段として主に飛空艦を利用し、報酬に応じてさまざまな依頼に応えることを生業とした者たちだ。
彼らは空族と呼ばれ、組織の大きさも知名度もピンからキリまでの業界の中でいて、
スカイコードはその実力と依頼の成功確率から見て全世界のトップクラスといわれている。
「仲間が乗ってる」
さらりと答えたローウェの言葉に、カジマが瞬時固まった。
「冗談はやめとけよ」
「冗談ではない」
「うそだろ? お前みたいな子供がスカイコードの一員だぁ? そんななりで剣豪だったりすんのか?」
頭から信じていない様子でからかってくる。
「違う。魔術師だ」
「へえぇ、偉大なる黒魔術師様ってか?」
「いや、青だ」
まじめに答えたローウェに、カジマの足がピタリと止まった。
「青?」
「そう。青魔術師」
カジマにつられてローウェも足を止め、しばしの沈黙。
そして…。
「がはははは!!そりゃすげぇ!!天然記念物なみよ、はじめてお目にかかったね!!」
大爆笑とともにバシバシと肩をたたかれる。
決して本気で嬉しがっているわけではない。馬鹿にされていることはローウェも重々わかっていた。
―
大気を具現化して術として使う、魔術師。
気の種類によって4つに色分けされるそれは、最大級の攻撃力を発揮する黒魔術が主流だ。
ほかに、黒の攻撃を補佐する術を得意とする赤魔術。
対照的に防御や癒しの能力を持つ白魔術もともに人気だ。
それに比べ青魔術は…。
「へぇぇ、じゃぁ、お空飛べちゃったりするわけね。すげぇすげぇ!!」
青魔術が得意とするのは『回避』だ。
空を飛んだり、空間移動をしたり、さして戦闘では役に立ちそうもないものばかり。
防御補助魔法を得意とし、そして攻撃魔法を持たないのが一番の特徴でもある。
よって時とともに自然とその需要は減っていき、青魔術師の人口も合わせて激減した。
「ひひひ、わ、悪い悪い。馬鹿にしたわけじゃねぇのよ。いやほんと珍しくてね」
なおも笑いの波はおさまらないようで、その大きな図体を折り曲げてひいひいと喘いでいる。
そんな相手の反応には慣れているのか、ローウェはそれ以上言葉を返すことなく歩き出す。
と、カジマもようやく笑いを抑えて追ってきた。
「悪かったって。ほら、もうすぐ着くぞ。すぐその先が飛空艦の停留場だ」
カジマが指を指した先に視線を向けると、さっきまであれほど遠くに見えた飛空艦がだいぶ大きく見えた。
(戻ってこれた…)
ほっとして、すぐさま駆け出そうとしたローウェだが、思い立ってカジマの元に戻る。
「お、どうした」
「世話になった」
腰に下げた袋をはずしてカジマに差し出す。
だが、中に入っているのが金だとわかったのだろうカジマはそれを受け取ろうとはしなかった。
「そういうつもりで連れてきたんじゃねぇよ」
「礼だ。素直に受け取れ」
「お礼にしちゃ偉そうだな…。ったくお前がへんなことするから変な奴に見つかったじゃないか」
さも面倒くさそうに頭を掻き掻き振り返ったカジマの目の前に3人の男が立ちはだかる。
「なんだ、金もってるじゃねえか」
屈強な男が2人。その背後に隠れるように現れたのは色白の優男だ。
(さっきの…)
あとをつけてきたのだろうか。なんとも暇な人間たちだと呆れるばかりである。
「金を持ってないとは言ってない。お前たちにやる金は無いと言っただけだ」
この状況でも臆することなく発言するローウェの態度に、男はあきらかに気分を害した様子である。
「礼儀のなっていない餓鬼だな」
忌々しくはき捨てられた言葉にも、ローウェがひるむことは無い。
スリに礼儀を語られようとは思わなかったとばかりにきょとんと目を丸くしている。
さすがに人数的に少々不利な状況に、カジマが一歩前に出ようとするより先に、
「わかった、カジマ。お前への礼は別のものにする」
ローウェがトコトコと無防備にも男らに近づいていく。
「おい!下がってろ!」
打って変わって厳しい表情となったカジマが叫んでも、ローウェは聞こえていない様子。
そのままカジマの前へ出ると、
「希少な青魔師の術を見せてやろう」
淡々と言い放ち、地に向かって両手をかざす。瞬時に複雑な紋章が地面に浮き上がった。
紋章から噴出した気が、ローウェの衣を揺らしている。
「護法壁」
ひとつ唱えると、青い光がドーム状になってローウェを包み込んだ。
突然の行動に、カジマも、そして男たちも一言も言葉を発する余裕がない。
「拡張」
またローウェがひとつ唱えると同時に、光のドームはその面積を広げカジマをも包み込んだ。
だが衝撃はなかった。まったく。感触すらも。
しかし、さらに膨らんだ光は屈強な男2人と1人の優男の体を激しく弾いた。
数メートルをも飛ばされた男たちは、地に伏し、その衝撃で気絶をしたのか動かなくなる。
時間にしてほんの数十秒の出来事に、カジマはただ呆然とそれを見守るしかなかった。
「青には攻撃魔法なんてないはずじゃ…」
しばらくして、かろうじて出たのはそんな言葉。
「攻撃魔法じゃねぇよ。防御魔法の応用だ」
それに対する答えは、ローウェからではなく、カジマの背後から返ってきた。
ゆっくり振り返ったカジマが見たのは仁王立ちした少年の姿。
顔立ちは美しいが、今はあいにくとしかめっ面だった。そしてカジマはその顔を知っていた。
スカイコードの主要人物。
黒魔術においては彼の右に出るものはいないとまで噂されているー
「リーレイ!」
ローウェがその名を呼んだ。
「てめぇ…。どこほっつき歩ってやがった!!」
が、帰ってきたのは怒鳴り声。美人が怒ると迫力も半端ではない。
さすがに怯んだローウェを、後ろから現れた新たな男がひょいと抱き上げた。
「まぁまぁ、リーレイ。無事見つかったんだからいいだろう?」
金色の髪をした男は、苦笑いを浮かべてリーレイを見る。
男性的な野性味を感じさせながらも、女性が好みそうな柔和さも交じる男前。
その男の名もカジマは知っていた。
スカイ・コードの核。トップ中のトップだ。
あんぐりと開いた口が塞がらなくなった。
「グレン!こいつを甘やかすな!」
「久々に街に下りたから、もの珍しかったんだろう。しかし、派手にやったなぁ」
グレンは吹っ飛ばされた男たちを見てまた苦笑い。
それからカジマに視線を向ける。
「うちのが面倒をかけてすまなかった」
「い、いえ! とんでもない!」
とたん恐縮するカジマに、グレンは優し気な笑みを浮かべ、
「少しだが迷惑料だ。とっておいてくれ」
「あ、ありがとうございます!!」
グレンが放った袋を、両手で受け取るカジマ。
(俺のときと態度が違うんだが…?)
そんなカジマの様子にローウェは不満に思ったが声には出さなかった。
「さて、ローウェも戻ったし、出発するぞ」
ローウェを抱えたまま歩きだしたグレンの後を、リーレイが小言を言いながらついていく。
その様子をカジマはただ呆然と見守るしかなかった。
色々なことがいっぺんにありすぎて頭がまったく追いつかない。
(なんだったんだ?いったい…)
『護法壁』…青魔術の一つ。防御魔法。ドーム状の壁を展開し敵を阻む。守る対象を術者の意思で選択可能。守護対象の前方でしか発動できない防御魔法が多い中、全方位から発動可能で大変使い勝手が良い。