独り苦しむ貴方に捧げる
私は少し、疲れてしまったようだ。
『きっと、頑張りすぎてしまったんだよ』
ちょっとだけ、休んでもいいかな。
『休むことも大切。だから……』
──『……ゆっくり、おやすみ』──
“人それぞれ”と、人はよく言う。
なら“頑張り”というのも、一人一人違うもの。
誰かの基準に合わせる必要などない。
自分自身が「よく頑張った」と言えるなら、それでいい。
それで十分だ。
誰かと比べられたとしても、それは貴方ではない。
貴方には“貴方なりの”ものがある。
そこには必ず、“貴方なりの頑張り”がある。
それを誇りに思いなさい。
“頑張れた自分”を誇りに思いなさい。
誰かが貴方を責めたとしても。
私は貴方を責めたりしない。
私は“貴方の努力”を認め、そして“頑張れた貴方”を尊敬する。
今の貴方は、敵が大勢いると思っている。
それは友人であったり、家族であったり。
もしかしたら“自分”なのかもしれない。
“自分”でさえ信じられないのなら。
私を信じて。
私の言葉を信じて。
私は貴方を裏切らない。
絶対に、裏切らない。
大丈夫。
貴方は独りじゃない。
──“私”がいる。
頑張りすぎてしまったのなら、休めばいい。
“疲れたから休んだ”
それはおかしなことではない。
ごく自然で、ごく普通なこと。
休むこともまた、大切だ。
苦しいのなら、つらいのなら、吐き出せばいい。
我慢することなんてない。
我慢する必要なんてない。
我慢をすれば、その痛みはただ増すだけ。
だから吐き出してしまえばいい。
私がその聞き役となろう。
貴方の言葉は私が受け止める。
見捨てたりなんかしない。
「助けて」と言う声も、
その伸ばした手も、
全て私が受け止めよう。
誰かに助けを求めることは、何の恥でもない。
だから安心して、助けを求めなさい。
私が“私”であるように。
貴方は“貴方”。
他の誰でもない。
その痛みや苦しみを知っている貴方は、優しい人になれる。
その痛みや苦しみを知った時点で、貴方は優しい人だ。
必要とされない人などいない。
貴方は必要だ。
貴方のその優しさは、人を救うことができるだろう。
その優しさを必要とする人がいる。
だから、いなくなろうとしてはいけない。
ゆっくりでいい。
どれだけ時間がかかっても構わない。
ゆっくり、一歩ずつ、歩いて行こう。
前に、少しずつ。
どんなに小さな勇気でも。
その勇気をもてたことに意味がある。
どんなに小さな自信でも。
その自信をもてたことに意味がある。
“勇気をもてたこと”に自信をもって。
“自信をもてたこと”を勇気にかえて。
ゆっくり、ゆっくり、前に進もう。
いずれ必ず、光は見えてくる。
いずれ必ず、“幸せ”はやってくる。
私も一緒だ。
私も一緒に前へ進もう。
貴方は独りじゃない。
共に、前へ進もう。
読んでいただき、ありがとうございました。
私が言ってほしい言葉を連ねました。
そして私が考え思っていることです。
貴方は独りじゃない。
同じ苦しみを知っている人がいる。
それを忘れないでください。