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(8)

 自分に出来る事は何なのか。

 本当の救いとは何なのか。

 桧並がまた絶望に落ちてしまわないようするにはどうすればいいのか。

 静かに横で寝息を立てる桧並を見て美恵は思う。そこにある無防備で穏やかな顔が歪む所を、見たくなかった。

 





「みーえーちゃーん」


 学校に着くと一番見たくない顔が教室に入ってきた。


「千里」

「またお話しましょ。放課後、空けといてくださいね」


 大衆用の表向きの笑顔だったが、その言葉には獰猛な憎悪が宿っている事が、美恵には感じられた。

 

「分かった」


 胃が重くなる。どうせまた脅しでもかけてくるのだろう。


“脅しじゃねえよ”


 何を言ってくる。

 何をしてくる。

 油断は出来ない。

 言い知れぬ緊張感を抱きながら、美恵はつとめていつも通りに時間を過ごしきった。





「お前さ、何様なの?」


 屋上に着くや否や、早速千里は牙を向いてきた。しかしそれより驚いたのは、その場に桧並の姿もあった事だ。てっきりまた自分と一対一になるかと思っていた。


「ひな、どういうわけ? なんでこいつがあんたの家に何度も何度も出入りしてるわけ?」

「……」


 見ていたのだろうか、聞いたのだろうか。どこからそれを知り得たのかは分からないが、ともかく千里の怒りは二人に向いていた。

 桧並はうつむいたまま何も答えない。桧並からは怯えや恐れが滲み出していた。

 

「答えてよ」

「……」

「答えろよ!」


 悪鬼のような禍々しい顔だった。初見の者からすればその表情は日頃のギャップも相まって衝撃は相当なものだろう。だが一度それを目にしている美恵に、恐れはなかった。


「やめなよ」

「ああ?」

「あんたこそ何様なの?」

「……は?」

「あんた桧並の何なのよ。何でそんなに桧並を縛るのよ。桧並、怖がってるじゃん」

「黙れよ。昨日今日知り合ったばっかのお前には到底理解出来ない深い絆があんのよ、私達には」

「絆? 鎖の間違いでしょ。桧並を飼いならす鎖をあんたが無理矢理引っ張ってるだけじゃない」

「……どういう意味だよ……」


 しまったと思った。千里を追いつめるつもりの言葉だったが、昂ぶった感情そのままにいい気になってしまっていた。言うべき言葉ではないと気付いた時にはもう遅かった。

 千里の視線が、桧並に突き刺さる。


「こいつに何話したの?」

「何話したって関係な……」

「このクソ女! 喋ったのかよ! こいつに喋ったのかよ!」


 今までの激情とは比べ物にならない感情の爆発。捲し立てる千里の言葉を遮る事が美恵には出来なかった。そして、あっと思った時には、ポケットから取り出した千里のカッターナイフが桧並に振るわれていた。


「桧並!」


 最悪の事態がよぎったが、桧並は寸での所でなんとか刃を避けていた。しかし、切り裂かれた制服の刃の一線が、千里の殺意を物語っていた。


「ひなー。ねえ、ひなー。あたしでしょ? あたしだよね? あたしじゃないとだめだよねー?」


 千里がもう壊れ始めているのは明らかだった。視線が定まらず、ふらふらとカッターを持ちながら歩く様は生きる屍のようだった。


「ねえええ。だめなんだよ。ひながいなくちゃああー、だめなんだよおおお。すてないでよー。すてないでよーひなー!」

「ちさ……」

「桧並、離れて!」


 完全に足のすくんだ桧並は、腰が砕けてその場にくずれてしまう。

 

「ひな。あいつとあたし、どっちが必要?」


 まずい。直感的にそう思った。

 桧並が美恵を選んだ瞬間、次こそ千里は桧並の命を確実に奪うだろう。

 だが、桧並が千里を選んだとしても。

 そこで命は助かっても、それは永遠の呪縛が今まで通り続く事を意味する。

 どちらを選んでも、桧並には、救いがない。

 選ばなくていい。桧並が苦しむ必要はない。

 その時、微かな、でも確かな声が聞こえた。


「私には、美恵が必要」


 怯えはなく、桧並はしっかりと千里を見据えていた。

 美恵は、勢いよく地を蹴った。


「あっそ」


 刃が振り下ろされる。


 ――ダメだ、間に合わない…!


 そう思った時、桧並のすくんでいたはずの足が千里の腹に突き刺さった。


「あがっ……!」


 腰が折れた千里の体に、美恵はそのまま全力で体をぶつけた。

 千里の体が勢いよく吹き飛び、地面に転がった。

 

「桧並、大丈夫!?」

「うん……」


 咄嗟の桧並の行動がなければ危なかった。火事場のくそ力というやつか。

 

「何ですか……何なんですか……」


 千里がむくりと起き上がる。その顔は涙でぐちゃぐちゃで、髪は乱れきって無残なものだった。


「桧並は、あんたの道具じゃないの」


 千里に言葉が届いてるのかどうかは分からなかった。だが、決別以外に、もう手段はない。それを簡単に分かってくれるとは思わなかったが、それでも言わなければいけない。

 しかし。


「あー、何勝った気でいるんですかー?」


 千里の目は死んでいなかった。初めて美恵は千里に恐怖を覚えた。


「鎖って、言いましたよね?」

「……」

「もっと、いい鎖に変えてあげますよ。美恵ちゃんにも、誰にも外せない鎖に」


 景色が止まった中で、千里の動きだけが時間を無視して走り出した。

 目の前で始まろうとしている事が予想出来ず、美恵はその場を動けなかった。

 千里の顔がぐるりと向こう側に回り、それに合わせて体も同じように向きを変える。

 自分達がいる方向は逆側へと千里が駆け出す。

 そして、そのまま――。


 千里の足が、地面から完全に離れた。

 空の上に千里の体が浮かんでいた。

 

 千里が屋上から飛び降りたと認識出来たのは、彼女の姿が消えてしばらくしてからの事だった。



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