(3)
スクリーンを離れるや否や、目を爛々とさせながらコイカノについて熱く語るえみり達に適当に同調する美恵だったが、もちろんその本心には何一つの感動も残っていなかった。いや、感動どころか無に等しい。
あの映画から一体何を得る事が出来るのか。どうしてえみり達はそんなに馬鹿みたいに熱くなれるのかが不思議で仕方なかった。
夜も更け、日をまたぐ寸前にまで時計の針が回ろうとしていたのでコイカノ談義は切り上げ解散の流れとなった。
それじゃあと美恵が自分のスクーターに跨ろうとした時、桧並がすぐそばに立っている事に気が付いた。
「近いの?」
相変わらずのぶっきらぼうな態度で桧並が尋ねてくる。
「20分くらい、かな」
「どの辺?」
「橋倉。あそこにコーエーってスーパーあるでしょ。あの近く」
「ああ、そなんだ。じゃあ送ってくれない?」
「え?」
「方向そっちなんだ。電車で帰るの面倒だし。駄目かな?」
「ああー……別に、いいよ」
そう言いながらも断る理由なんてないよね、と言わんばかりの無遠慮さに美恵は押し切られてしまった。
「ちさ。あたし送ってもらうよ。近いみたいだから」
「えーずるいー!」
「ごめん。また明日な」
えみり達の輪の中でまだ向こうでぷんすか文句を言ってる千里をよそに、桧並は当たり前のように美恵の後ろに跨った。
「じゃあ行くよ。場所だけちゃんと教えてね」
「分かってる」
桧並と美恵を乗せたスクーターが夜道を走り抜ける。深夜で車もほとんど通らない開放的なアスファルトをただただ走る中、桧並の道案内以外は特に二人に会話はなかった。
何か話しかけられたらそれはそれで面倒だなという思いもあったので、特に美恵から話題を提供する事もしなかった。まるでタクシードライバーのような、仕事のような走りに美恵は心の中で苦笑した。
しばらくして、桧並がここでいいと言ったのでスピードを緩め路肩にスクーターを停めた。そこにあったのは何の特徴もないありふれた二階建てのアパートだった。
「ありがと。助かった」
「いいよ、全然」
思ったよりも近い距離に桧並が住んでいる事に多少驚いたが、特にそれを口にはしなかった。だからと言って何があるわけでもなかったからだ。
「あのさ、一個聞いていい?」
「何?」
だが、苦々しい表情を浮かべ首をさすりながら心底だるそうに桧並が言った次の一言が、美恵の心を少しだけ開いた。
「あのクソみたいな映画、何がおもしろいの?」
嫌悪感むき出しの表情と口調と言葉に一瞬ぽかんとした美恵だったが、その言葉が清々しくて気持ちよくて、思いっきり吹き出してしまった。
「うわっ! ちょ、何!?」
「ごめんごめん。全く同じ事思ってたから」
「あー。やっぱそうだと思った。ホント、くっだらない映画だったね。どこがいいんだか」
その時初めて、美恵は桧並の笑顔を見た。満面の笑みというわけではない、口角がほんの少しだけあがった不器用な笑顔だったが、その顔が美恵の心をまた少しほぐした。
「美恵って言ったっけ?」
「うん」
「覚えた。じゃあ、また。おやすみ」
「うん、おやすみ」
美恵は桧並の背中を見送りながら、はっとして自分の顔を触った。
――今わたし、笑ってた?
感情と直結しないはりぼての笑顔を作る事に慣れていた美恵にとって、無意識の笑顔は久しぶりの事だった。