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『学校の屋上で待ってる』


 病院を訪れたその日の夜、桧並からメールが来た。簡潔で、それでいて強制力を伴った内容だった。

 わざわざ何故屋上なのか。意味も分からず、また千里が飛び降りた場所を指定した事に美恵は苛立ちを覚えた。


 ――結局、千里なの?


 恐怖政治の絶対支配の中で、千里への想いが桧並の中で育まれてしまったのか。ともかく会わないわけには行かず、美恵は学校へと向かった。



 闇の中に佇む校舎という存在はどうしてこうも不気味なのか。

 日中はにこやかに迎え入れてくれる正門は、何者をも拒絶する無骨な門番へと様相を変えていた。しかし、この先に桧並がいる。美恵は門を飛び越え校舎内へと踏み込んだ。

 思った以上に暗い校舎の中を歩くには光があまりにも足らず、美恵は持っていた携帯で辺りを照らしながら上へと進んだ。

 階段を昇り、屋上の扉の前に辿り着く。そして桧並に会う為に扉を開く。ぎいっと重々しい音と共に夜が視界に入る。その先に、制服姿の桧並が見えた。

 

「悪いな。今日はわがままが多くて」

「まったくだわ」


 月が照らす桧並の姿は神秘的にすら見える程に美しかった。太陽よりも月光の儚さが彼女の魅力を引き出していた。


「ねえ、何を話すつもり?」


 目的もなくこんな呼び出しをする人間ではない。はっきりとした意図が桧並にはあるはずだ。


「ありがと。一人じゃ不安だったから。おかげでちゃんと顔を合わせられた」

「……そ。よかったね」


 思わずそっけない返事になってしまう。千里に会えた事を嬉しそうに話している事に、美恵は無性に苛立った。


「おかげでちゃんと殺せた」

「ああ……え……?」


 ――殺せた?


「桧並、今なんて……?」

「ちゃんとお別れを言ってきた」

「お別れって、あんた……千里を……」


 桧並がこちらに近付いてくる。そしてその手には、カッターナイフが握られていた。

 刃にはべっとりと血がついていた。


「あの子のご機嫌とりの人生、長くて辛かった」

「……桧並」

「これでやっと、私は私の気持ちに遠慮しなくてよくなる」


 桧並の笑顔にいつもの不器用さはない。綺麗にあがった口角が、逆に美恵には不自然に見えた。


「あの子がここから落ちた時、ようやく解放されたと思った。晴れ渡るような気持ちだった。千里はいない。そして美恵がいる。でも、しばらくして、夢にあの子が現れるようになった。終わってないんだ。何も。ずっと意識が戻らなければいいと思った。でもいつ目を覚ますか分からない。そうでなくても、あの子は夢の世界にまで来て私を縛る。本当の意味で絶望を乗り越えるには、ちゃんと終わらせるしかないと思った」


 自分の胸の中に込み上げている感情が、悲しさなのか、辛さなのか、怒りなのか、虚しさなのか、怖さなのか。負の類ではあるが、それがどれに該当するかははっきりしなかった。


「なあ、美恵」

「……何?」

「こうならなきゃよかったって思ってる?」

 桧並と出会わなければ、確かにこんな事にはならなかっただろう。

 無味乾燥ながらも、それなりの平和と平穏の中で悪態をつきながら歩めただろう。

だが、それを肯定してしまえば、桧並の全てを否定する事になる。

 桧並との出会いも、時間も。

 それは、絶対に違う。


「そんな事、ない」


 本心を口にすると、桧並はその答えが当たり前のように笑顔を見せた。


「私も一緒」


 ほんの少しだけ、体温が上がった。

 ほのかに、微かに。でも桧並でしかあげる事の出来ない美恵の温度。

 その暖かさが欲しくて、その暖かさが幸せで、美恵は桧並と一緒にいる事を選んだ。

 


 沈黙。

 そして一際強く、風が吹いた。

 それを合図に、桧並の口が開く。

 薄く整った唇が冷気でかさついていた。



「死んでくれるよな、美恵」




 笑顔のまま、桧並の目からは涙が流れ落ちた。

 そしてあっという間に微笑みが崩れていく。

 桧並の絶望は、全く救われていなかった。


「消えないんだ! 心拍音が止まって、あの子が死んだ事が証明されて、これで本当に解放されたと思った! でも、消えないんだ! 鎖が切れないんだ!」


 桧並の嘆きが虚空に広がる。

 

「甘く見てた、あの子の事。そう簡単には、解放してくれないみたい」

「それで、自分も死んで、わたしも殺すのね」

「一人じゃ無理なんだ。一緒に鎖を切って欲しい。美恵じゃないと、駄目なんだ」


 最後のセリフが、千里のセリフと重なる。

 桧並に懇願した千里の言葉が脳裏をよぎる。

 

「桧並」

「私があの子を殺した事なんてすぐにばれる。どっちにしても、もうここにはずっといられない。私は、ちゃんとやり直したい。私の人生を。本当に大事な人と一緒に過ごせる世界を、やり直したい」


 絶望の果てを見ているようだった。

 もう何もかもが、最初から手遅れだったのだ。

 出会った時から、こうなる事は決まっていたのだ。


「希望の端が絶望でも、その先はただの終わりじゃない。またその向こうに希望があるって、私は思ってる」


 ――だったら。

 

「この世界に絶望の先はないかもしれない。でも別の所にならあるかもしれない。だから、私は、その先に進みたい。美恵と一緒に」


 ――わたしは、あなたと一緒にいる。あなたの絶望の為に。

 

「行こう、美恵」


 ――全ては、あなたの絶望の為に。


「うん、行こう。桧並」


 美恵から噴き出した鮮血が、桧並もろとも世界を塗りつぶしていく。

 その先にあるものが桧並にとっての、希望の世界と信じて。

 


         全てはあなたの絶望の為に(完)


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