なつめ
彼女に告白する時、死ぬかもしれないと思うくらいに緊張した。
正直、断られると思っていた。
あまり話をしたこともない相手に告白されて、受け入れてくれる人がいるとは思えなかった。
それなのに、
「うん、いいよ」
彼女は目を泳がせた後、はにかむように笑った。
「私でよかったら。よろしく、マコト君」
耳を疑った。
本当にいいのだろうか。
彼女をまじまじと見つめてしまう。
「……本当に、いいの?」
「マコト君から告白してきたんじゃない」
おかしそうに笑う彼女。
確かに、そうなんだけど。
「……マコト、でいい」
戸惑いながら言ってみると、彼女は笑って頷いた。
「じゃあ、よろしくね、マコト!」
いつもよりも早く目が覚めてしまった。
天井を見上げてぼんやりしていると、枕元の携帯が震える。見ると、彼女からのメールだった。
『おはよう、いつもより早く起きちゃった(´∀`) まだ寝てた?』
起きてる、と返信すると、すぐにメールが返ってくる。
『迎えに行くの、昨日言った時間でいい?』
大丈夫、と返す。
『オッケー! (ゝω・)v』
しばらくそのメールを眺めて、携帯を枕元に置いた。
今日は、彼女の家で一緒に過ごすことになっている。
笑えるようになったら彼女の兄に会わせてもらうと言う約束の日。
去年の誕生日には、僕の時同様、彼女が風邪を引いてしまったのでプレゼントを渡すだけになった。
お互い自分の誕生日に風邪引くなんてツイてないね、と彼女は笑っていた。
体を起こして、机の上に目を向ける。昨日用意した、彼女への誕生日プレゼントがそこにある。
いそいそと洗面所へ向かい、鏡の前に立った。グッと顔に力を込める。顔の筋肉が少し動いたようなきがしたけど、これが笑っているかと言われたらわからない。
僕は、笑えているのだろうか。
彼女との待ち合わせの場所に着いて、僕は時計を確認した。
約束の30分前だ。早すぎたかもしれない。
「あ、マコト!」
声に顔を上げれば、目の前には笑顔の彼女が立っていた。
「マコト早いね、まだ30分もあるよ」
それはお互い様だと思うけど。
「……なんで、こんな早いのにもういるの?」
「ケーキ買ってきたんだー」
そう言って彼女は手に持った小さな箱を掲げる。
「思ったより並ばなかったから、時間余っちゃったんだよね」
「そうなんだ」
「ちょっと早いけど、行こうか」
言って彼女は僕の手を取った。
彼女は意外とスキンシップに抵抗がないので、いつも僕の方が緊張してしまう。彼女から見ると、僕は余裕があるように見えるらしいがそんなことはない。
今だって、口から心臓が出そうだ。
彼女と手を繋いでしばらく歩き、彼女の家へとやって来た。
いつも家の前までは送り届けているが、中に入るのは初めてだ。
「どうぞ、あがって」
「お邪魔します」
会釈すると、彼女は小さく吹き出して笑った。
「そんなに畏まらなくていいのに」
「……そう?」
「さ、早く入って!」
彼女の案内でリビングに通された。すると、ソファに座っていた人がこちらを振り向いた。
「おぉ、おかえり」
「あぁ! お兄ちゃん、そこ片づけておいてって言ったのにー!」
憤慨して彼女が指すテーブルの上には、バナナオーレと書かれた紙パックが散乱していた。
ソファに座っていた人は彼女の兄のようだが、これは彼が1人で飲んだのだろうか。
今も、バナナオーレに刺したストローを咥えている。
「こんな早いと思わなかったから」
「あの、お邪魔してます」
声を掛けると、彼女の兄はこちらを振り向いて、おぉと小さく声を上げた。
「……想像と違った」
「え?」
「なんでもない。まぁ、座れば」
想像していたよりも気さくな態度に戸惑ながら、僕は勧められるままソファに座らせてもらった。
そこへゴミ袋を持った彼女が戻ってきて、彼女の兄に突き出す。
「はい、片づけて!」
「わかったから」
「手伝いましょうか?」
「マコトはお客さんなんだから座ってて」
彼女に制されてソファに座る僕の前で、彼女の兄は黙々とゴミ袋にバナナオーレのパックを放り込んでいく。
「……好きなんですか?」
「ん?」
「バナナオーレ」
尋ねれば、彼女の兄は手に持ったパッケージを見て目を瞬く。
「……まぁ」
微妙な反応だったので、好きなのか嫌いなのかわかり辛い。
でも、これだけ飲んでるなら、少なくとも嫌いではないはずだ。
「名前なんだっけ?」
「はい?」
「君の名前」
「あ、マコトです」
「そうだった」
さっき彼女が呼んでいたと思ったけど。
僕の名前を小さく何度か呟いた彼女の兄は、ゴミ袋を縛るとどこかへ持ち去ってしまった。しかし、すぐに戻って来てソファに座ると、僕の方をじっと見つめてくる。何か話があるのだろうか。しかし、一向に口を開く気配はない。
……なんだか居た堪れない。
「あの……」
「ん?」
「僕の顔、何かついてますか?」
「いや、別に」
彼女の兄は首を振って、尚も僕のことを見つめてくる。
「僕に、何か?」
「いや、あいつと付き合ってる奴がどんなんかなーって思ってたんだけど」
そこで言葉を区切ると、彼女の兄はソファにもたれる。
「真面目系だとは思わなかったもんで」
「……どんな人が彼氏だと思ってたんですか?」
気になって尋ねれば、彼女の兄は顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「もっと、チャラい感じ」
「はぁ」
生返事を返して、僕は目の前の兄をまじまじと見つめる。
一見するとあまり彼女と似ていないように見えたが、よくよく見れば目元が似ている。
確か、彼女の兄は大学生で、僕が通う高校のOBのはずだ。一年間、同じ高校に通っていたはずなのだが、高校では一度も彼女の兄を見たことがなかった。
「あのさ」
「はい?」
彼女の兄に声をかけられて、話に意識を戻す。
頭を掻きながら明後日の方向に視線を向けて、彼女の兄は続けた。
「なんか
つまんないこと聞くかもしんないけど
面倒だったら答えなくていい」
「なんですか?」
「あいつのどこがいいの?」
聞かれている意味が分からなくて首を傾げる。
「妹のこと、好きなんだよな?」
「はい」
「どこがよくて付き合ってるわけ?」
心の底から不可解だという表情を向けられて、僕は答えに迷う。
どこが好き、と聞かれてもはっきり答えられない。
彼女のことは気づいたら好きになっていたのだ。
ただ、きっかけはきっと自分に笑顔を向けてくれたことだろう。無表情の自分に対して怪訝な顔をする人が多い中、彼女は何も気にした様子なく、笑ってくれたのだ。
その笑顔をまた見たいと思った。
学校でも彼女を見かけたら自然と目で追うようになり、彼女の隣で彼女の笑顔を見たいと思うようになった。
そうして告白し、あっさりと付き合うことになり、今に至っている。
「全部、じゃ答えにならないですか?」
「……ふぅん」
空気が抜けるような相槌の後、彼女の兄は立てていた膝に肘を乗せて頬杖をついた。
「いいね」
「え?」
「そう言えるような奴がいるの、いいんじゃない。いいことだと思うよ」
「……お兄さんは、いないんですか?」
「ん?」
「付き合ってる人」
彼女の兄は無言のままで僕を見ていたが、徐に立ち上がるとどこかへ行ってしまった。
何か怒らせるようなことだっただろうかと不安に思っていると、先程テーブルに散乱していたものと同じバナナオーレのパックを片手に戻って来た。ソファに座ってストローを指すと、口に含む。
そんなに好きなのだろうか。
「今はいない」
ぽつりと答えが返ってくる。
「そうなんですか」
「もう作るつもりないから」
素っ気ない答えをしてストローを咥えるその姿は、少し寂しそうに見えた。なぜそう見えたのかはわからない。
「お兄さんは、彼女とか興味がないんですか?」
「興味とか以前の問題」
あまり話したくない空気が伝わってきて口を噤めば、大きな音を立ててバナナオーレを飲み終わったらしい彼女の兄が口を開く。
「考えられないんだよ」
「え?」
「これから先、他の誰かと付き合うとか、結婚するとか……俺には考えられない」
「……そう、なんですか?」
「うん」
その言葉を聞く限り、以前は付き合っていた人がいたのだろうとわかる。きっと、彼女の兄はその人のことが忘れられないのだ。そこまで想っていたということだ。
すごいな、と素直に感動した。
「マコトー、ケーキに紅茶とコーヒーどっちがいい?」
キッチンから顔を出した彼女がそう尋ねて来て、紅茶と答えた。
「お兄ちゃん、お腹すいてる?」
「空いてる空いてる」
「そんなに飲んでよく空いてるね。じゃあ、お兄ちゃんも一緒に食べよ。お兄ちゃんはバナナオーレでいいでしょ?」
「おぅ。ケーキって何のケーキ?」
「シフォンケーキ。新作なんだって、ベリーと棗がトッピングされてた」
「へぇ」
「あ、マコト。紅茶に砂糖とミルクいる? レモンもあるよ」
「……じゃあ、ミルクだけ」
「オッケー。もうちょっと待っててね」
手伝おうかと言う前に、彼女は戻っていってしまった。いろいろしてもらってしまって申し訳ない。
今日は彼女の誕生日のはずなんだけど。
そこに、彼女が盆を持ってやって来た。テーブルにティーカップとケーキの載ったお皿を並べた。
「はい、フォーク」
「あ、ありがとう」
「お兄ちゃんも」
「さんきゅ」
フォークを受け取ると、彼女は僕の隣にいそいそと腰を下ろした。
「いっただきまーす」
「……いただきます」
彼女の言葉に続けて手を合わせる。彼女の兄はすでに食べ始めていた。
「わー、おいしい!」
ケーキを口に運びながら幸せそうな笑顔を浮かべる彼女。
それを見ているだけでこちらまで嬉しくなる。
彼女の言うように、ケーキもおいしかった。
「あ、そうだ。これ」
僕は鞄から彼女へのプレゼントを取り出して彼女に渡した。
彼女はフォークを咥えたままキョトンと僕を見返していたけど、ハッとなってフォークを皿に置いた。
「もしかして、誕生日の?」
「うん」
「ありがとう!」
嬉々としてプレゼントを受け取った彼女は、そわそわと僕を見つめた。
「開けてもいい?」
「いいよ」
頷けば、恐る恐ると言った手つきでプレゼントを開ける彼女。
僕もフォークを置いて、緊張しながらその様子を見守った。
彼女の手が小さな箱を開けると、中を見て目を輝かせる。
「わぁ、かわいい!」
彼女の声を聞いてホッとする。
箱の中に入っていたのは、ブドウをあしらったネックレスだ。
プレゼントに悩んでいたところ、たまたま通りかかったお店で見つけた物だった。
「つけようか?」
「うん!」
ネックレスを受け取って、彼女の首にかけた。緊張で手が震えたけど、なんとか留め具をつける。
彼女は照れたような笑みを浮かべて僕を振り返った。。
「ありがとう! 大事にするね」
「喜んでもらえたなら、よかった」
そう答えれば、彼女は驚いたような顔をして僕を見つめた。
「マコト」
「何?」
「今、笑った」
「え?」
彼女はその両手で僕の顔を挟むと、グッと顔を近づけてきた。
思いの外近くまで迫ってきた彼女の顔に、僕の頭の中が真っ白になる。
「笑ったよ、マコト! 今笑えてたよ!」
「え……そ、そう?」
「うんうん! いいもの見ちゃった」
嬉しそうに頷いて彼女の手が離れる。
暴れる心臓に気づかれてはいないかと思ったけど、彼女は僕が笑ったということに夢中でそれどころではないようだった。
「お二人さん、いちゃいちゃすんなら部屋行ってやって」
バナナオーレを飲みながら、彼女の兄がそう口を挟んだ。
「い、イチャイチャなんかしてないよ!」
「お前さ、それ無自覚でやってるんなら……彼氏に同情するぞ」
「どういう意味?」
彼女が僕を振り返ったので、咄嗟に目を逸らした。
彼女の兄にはどうやらお見通しらしい。
「マコト……だっけ? こいつ、いつもこんな感じ?」
「は、はぁ……そうですね」
「悪いね、出来の悪い妹で」
「いえ、そんな……」
「悪かったね、出来が悪くて」
口を尖らせてそっぽを向いた拍子に、彼女の首にかかったネックレスが揺れる。
「それ、似合ってるよ」
本当によく似合っている。これにして正解だった。
すると彼女はみるみる顔を赤くして、口をもごもごと動かした。
「ぁ、ありがとう……」
「熱でもある? 顔赤いけど」
「な、なんでもないよ! 元気元気!」
彼女は笑顔を浮かべて手を振る。
その様子に安心して僕も口元を綻ばせた。
「……こりゃ、お互い様って奴だな」
彼女の兄がストローを咥えながら、ぽつりとそう零していた。