ぶどう
ぶどう
私の彼氏は無愛想だ。
一緒にいる時もほとんど喋らないし、笑いもしない。私が話を振ってもそっけない態度。被害妄想なのかもしれないけど、嫌われてるんじゃないかなと思ってしまう。
「マコトって無愛想だね」
すると、
「そう?」
なんて素っ気なく反応された。
「マコトのことがよくわからないよ」
マコトは考えるように首を傾げた後、私を見た。
仮面を被ったような無表情だ。彼はいつもこんな感じで、私は笑ったところを見たことがない。
見てみたいな、と叶わない願いを抱いていたりする。
「本当、マコトってお兄ちゃんみたい」
「お兄さんは僕に似てるの?」
「うーん、雰囲気がちょっとね」
「そう」
そこで会話は途切れた。
いつもこんな調子なので、初めこそ悩んでいた時もあったけど、今ではもう慣れたもの。お互いの間に会話がなくてもあまり気にしないようになってきた。
それはそれでどうか、とも思う。
『そのマコトって奴、本当にあんたに告白してきたの?』
マコトについて電話で話していた時、電話の向こうのタツキがそんなことを言ってきた。
「そうだよ」
一応、マコトに告白されて付き合い始めたのだ。あの無愛想なマコトだからあまり信じられない話だけど。
『あんたはなんでオーケーしたわけ?』
「んー、なんでだろう。あんまり覚えてないけど、いい人そうだなって思ったのは覚えてる」
『へー、あんたらしいっちゃあんたらしいけどねー』
そう言ってタツキは電話の向こうで笑ったようだった。
『あ、それじゃ明日も仕事だから切るね』
「うん、おやすみ」
『おやすみー』
ボタンを押して通話を切り、携帯電話をベッドに放った。
ここ最近、同い年のタツキが働いていることになんだか寂しい思いを感じる。一緒に中学校に通っていた彼女が、違う世界に行ってしまったような感覚だ。
高校受験、私はどうにか目標の高校に合格した。
しかし、同じ高校にタツキがはいることはなかった。
秋に二人で呑気に梨を食べていた頃、突然タツキは受験を止めると言いだした。高校にはいかず就職することにしたと聞いた時は何かの冗談かと思った。
受験日に姿を見せず、タツキは高校受験をせず就職した。聞くと、タツキのお父さんが病気になり仕事を続けられなくなったらしい。奨学金を借りることもできたけど、早く家計を助けたかったと言っていた。
私がタツキの立場だったら、同じような選択ができただろうか。
それに答えを出さないまま、机の上のカレンダーを見た。長かった夏休みも終わり、残暑が続く九月。文化祭準備の話がちらほら出始めている時期だ。
そして、もうすぐマコトの誕生日だ。
あんな彼なので、もちろん欲しいものを聞いてもろくな答えが返ってくるわけもなく。私はここ一週間悩みに悩んでいた。
マコトは何をあげたら喜んでくれるだろう。
欲しいものはないのだろうか。
何かして欲しいことはないのだろうか。
悩めば悩むほどわからなくなってくる難問だ。受験の時の問題がやさしいと感じてしまう。
結局、その日の夜は悶々と悩みながら私は眠ってしまった。
朝学校に行く途中、マコトを見つけた。いつもピンと背筋を伸ばしているので後ろ姿だけでなんとなくわかってしまう。相変わらず姿勢がいいなと思いながら声をかけた。
「マコト、おはよう」
「あ、おはよう」
いつもの素っ気ない返事が返って来た。その顔もいつものように無表情。私は何か話そうと話題を探した。
「今日も暑いね」
「そうだね」
「もう秋なのにね」
「うん」
「今日は夕方から雨降るらしいよ」
「ふーん」
うーん、この話題は興味なさそう。
「そういえば、もうすぐ文化祭だよね」
「あぁ、そういえば」
「マコトは何か仕事あるの?」
「学内の掲示をしたりするくらいだったはず」
ちょっと自信ないみたい。まぁ、一年生だししょうがないか。
「じゃあ仕事終わったら一緒に回らない?」
「……クラスの友達のステージ発表見に行くって言っちゃったんだけど、興味ない?」
「私は大丈夫だよ。あ、でもあんまり友達に見られたくなかったら、私は別に友達と行くけど、どうする?」
「……うん」
その反応は一緒に行くのか行かないのかどっちだろう。
「……文化祭終わったら、一緒に帰るのは?」
行かない方だったらしい。
でもマコトからの提案というのは珍しいのでちょっと嬉しくなった。
「わかった。じゃあ文化祭が近くなったらまた話そう」
「うん」
文化祭の話が終わってしまった。さて、どうしよう。
「あのさ、マコト」
「何?」
「もうすぐ、誕生日だよね?」
「……あぁ、うん」
微妙な反応をされた。
「何か欲しいものある?」
「別に」
「私にできることで、何かして欲しいこととか」
「特には」
予想通り、やっぱり手強い。
「あ」
彼が急に声を上げたので、私は期待を持って尋ねた。
「何? 何か欲しいもの思い出した?」
「文化祭の当日、案内の仕事もあった」
「……そ、そっか」
文化祭の仕事を思い出しただけだったか。
結局この時は、学校に着くまでマコトの欲しいものを聞き出すことができなかった。
その日は、授業中でもずっとマコトの誕生日プレゼントのことについて考えていた。友達に相談してみたら茶化されたけど、そんなことを気にしていられないほど真剣に悩んでいた。
マコトは何をあげたら喜んでくれるだろう。
当然、私一人が考えていても答えは出ない。本人に聞いたところでロクな返事は返ってこなかったし、他に聞けるような人もいない。
帰りにもう一度聞いてみようかな。
私は放課後、掃除が終わってからマコトの教室に向かった。教室を覗いてみると、マコトは鞄に教科書を入れているところだった。
「マコト」
「あ、今行く」
マコトは私の姿を見つけるとそう言って、手早く鞄に教科書類を入れて肩にかけた。
「お待たせ」
マコトはそう言いながら歩いて来た。
「今日はもういいの?」
「うん」
そう答えてマコトが歩き出したので、それに続いて私も歩き出した。
家の方向が同じなので、時々こうして私たちは一緒に下校する。マコトは私の家まで送ってくれるけど、マコトにとっては遠回りになる。申し訳なく思う反面ちょっと嬉しい。
「ねぇ、マコト。朝も聞いたけどさ」
「誕生日のこと?」
無関心なようで一応覚えていたらしい。
「そうそう。何か欲しいものないかなって」
「別にないよ」
朝と変わらず素っ気ない返答だ。
「現状に不満はないので、特別希望はありません」
「でも、せっかくの誕生日なのに」
「その日は平日だし、いつも通り一緒に帰るだけで十分」
嬉しいことを言われているのはわかった。
嬉しさと恥ずかしさで私は何も言えなくなってしまい、家に着くまで無言のままマコトの隣を歩いた。
いらないと言われても、何かあげたいと思ってしまうのが乙女心……かもしれない。
有難迷惑とは思いつつ、普段何もしてあげられていない身としては、せめて特別な日ぐらい何かしてあげたいと思うものだ。
「やっぱり何かあげたいと思うわけで」
『何か適当にあげたらいいじゃん。そのマコトって子の趣味とかに合うものとかさ』
電話の向こうでタツキは軽い口調で言う。
「それが趣味っていう趣味がないんだよね、マコトって」
『じゃあ、あんたがあげたいものあげなよ。欲しいものはないって言ってるなら、何あげてもいいんじゃない?』
「そうかなー……」
『あんたはちょっと深刻に悩み過ぎ』
そう言ってタツキは笑った。
『好きな人からもらったものなら、なんでも嬉しいもんでしょ』
なるほど。確かに私なら嬉しい。
しかし、あのマコトはどうだろうと考えてしまうと、素直に頷けなかった。
そもそも、マコトは本当に私のことを好きでいてくれているのか、それすら確証はない。
『ま、あんたがこれだって思ったものをあげな。話を聞く限り、そいつならあんたのものは喜んでもらってくれるって』
「そうかなー」
『悩み過ぎ。もっと気楽になりな』
タツキはそう言って笑った。
そういうところは、昔とまったく変わらないなと私もつられて笑った。
そして、マコトの誕生日当日。
私は前日に購入したプレゼントをしっかり鞄に入れて学校へ向かった。いつ渡そうかとそればかり考えながら登校して、結局その日の朝はマコトに会うことはなかった。
休み時間にマコトの教室へ行ってみたけど姿は見えず。昼休みにも見当たらなかった。
休んでいるのかとも思ってクラスメイトに聞くと、朝には見かけたと言う。
結局、私はマコトを見つけられないまま、放課後になってしまった。
掃除をさっさと終わらせてマコトの教室へ行くと、マコトの席は空だった。クラスメイトに聞くと、五時間目に戻ってきて鞄を持って帰ったらしい。具合が悪そうだったと聞いて不安になった。保健室に行っていたのだろうか。
私はクラスメイトにお礼を言って踵を返し、足早に校舎を出て走り出す。
マコトの家に着いた時には、だいぶ辺りが暗くなってきていた。
このところ、日が短くなってきているなあとしみじみ思う。そんな薄暗い中でも、マコトの家には明かりがついていなかった。マコトの両親は仕事でいつも帰りが遅いと聞いていたけど、今はマコトがいるはずだ。
私は恐る恐るインターホンを押した。ドアの向こうで音が鳴っている。少し遅れて、物音が聞こえた。解錠の音に続いてドアが開くと、中からいつもの無表情を張り付けたマコトの顔が出てきた。帰って来たばかりなのか、制服のままだった。
「……どうした?」
「どうしたじゃないよ。なんか授業休んでたって聞いたけど、具合悪いの?」
「あー……うん、ちょっと」
曖昧な返事をされて私は余計不安になった。
「風邪? 熱は?」
「いや、そんな大したことは――」
「熱は?」
私が否応なしに尋ねると、マコトは無表情のままぼそりと答えた。
「38度」
「寝てないとだめじゃん!」
私はマコトをぐいぐい押しこんで家に押し入った。
「大丈夫だから」
「いいから、早くベッド行く!」
「……布団だけど」
私はマコトの背中を押して部屋の奥へ進んだ。
マコトの部屋には、ほとんどと言っていいほど物がなかった。
机とクローゼットと布団だけ。机の上もきちんと整頓されているし、布団もきちんと整えられていた。
生活感が、ない。
本当にマコトはこの部屋で生活してるのかな。
そこで、私は今日初めてマコトの部屋に入ったことに気づいた。
「そういえば、来るの初めてだっけ」
きょろきょろ部屋を見回している私を見て、マコトは布団の上に座ってなんでもないことのように言った。
「うん、初めて入った」
「感想は?」
「……何にもないね」
「何もないよ」
素直な感想を言うと、機械のように返された。
「制服着替えなくてもいいの?」
「着替えていいの?」
むしろ駄目な理由が思いつかない。逆の立場ならまだしも。
「制服のまま寝るわけにもいかないでしょ」
「まぁ、うん」
マコトは頭を掻いてそのまま横になってしまった。私はため息をついて布団の横にしゃがむ。
「……話聞いてた?」
「聞いてた」
また機械のように返された。
「じゃあなんで着替えないで寝ちゃうのよ」
「眠いんです」
そう言いながらマコトは小さく欠伸をして、布団の上で丸くなった。
「掛け布団の上で寝ないの。ほら、ちょっと動いて」
私は無理矢理マコトの体の下から掛け布団を引っ張りだして、丸くなっているマコトにかけてあげた。
「ご飯とか平気?」
「平気」
「薬は飲んだ?」
「飲みました」
体調が悪いはずなのに、返答はいつも通りの調子だった。見た感じも普段と全く変わらないし、そこまで辛くはないのかなと思ってしまう。
私だったら、38度もあったら受け答えもまともにできる自信がない。
「ごめん」
「え?」
突然謝られたので首を傾げると、マコトはいつもの無表情をこちらに向けていた。
「誕生日、一緒に帰るって言ったのに」
この前話してたことかな。
「いいよ、風邪なら仕方ないでしょ」
私はそこで思い出して、鞄の中から小さな紙袋を出した。
「こんな状態で悪いけど、これ。誕生日の」
すると、マコトはのろのろと体を起こして私と向き合った。
「寝てた方が――」
「いい」
私は遠慮がちに紙袋を差し出した。マコトはゆっくりとした動作で紙袋を受け取ってくれた。
「お手数かけました」
大真面目に言ってマコトは頭を下げた。なんだかおかしくて私は笑ってしまった。
「いえいえ」
「開けて平気?」
頷くと、マコトは紙袋の中から小さい包みを取り出して包装を破った。
目の前でプレゼントを開けられるとすごく緊張してしまう。
私はつい正座をして固唾を飲んでその様子を見守っていた。
マコトは包装されたプレゼントを取り出した。私が選んだのは、小さな葡萄の下がったストラップだった。
「ストラップだ」
「……うん、マコトの携帯何もついてなかったし、よかったらつけないかなーって」
実は私がつけているのと色違いのストラップだったりする。
以前、誕生日に兄からもらったものだ。お揃いは嫌がられるかなと思ったけど、他に思いつかなかったので思い切って選んでみたのだった。
「ありがとう、嬉しい」
マコトはじっとストラップを見つめて無表情でそう言った。
本当に喜んでもらえたのかまったくわからない。
私はつい口を尖らせてしまう。子どもみたいだなってわかってるけど。
「無愛想だね、
どうして
嬉しそうにしないの?」
「ごめん。でも、本当に嬉しい」
マコトは自分の携帯を取り出して、さっとプレゼントしたストラップをつけてくれた。それを掲げて見せる。
「ありがとう」
「気にいってもらえたなら私も嬉しいよ」
笑ってそう言うと、マコトはまたストラップを見て、
「お揃いだ」
と呟いた。
「同じストラップ、そっちにもついてるよね?」
気づかれたことに驚いた。
私の持っているものなんて、覚えていないと思っていたのに。
「そりゃ、彼女のことですから」
驚いているとマコトはそんなことを平然と言ってのけた。
こっちが恥ずかしくなる。
「じゃ、じゃあ私もう帰るね」
「帰るの?」
「病人の家に長居しちゃ悪いよ。お大事にね」
「うん」
私はそそくさとマコトの家を後にした。顔が赤い気がしてなるべく顔を上げずに足早で家まで歩いた。
次の日。けろっとした様子でマコトは学校に来ていた。
「本当にもういいの?」
「うん」
学校帰りに私は隣を歩くマコトの顔を覗き込むけど、頷くその表情はいつもと変わらなかった。試しにおでこに手を当ててみるけど、よくわからない。少なくとも、熱くはなかったから大丈夫なんだと思うけど。
ふと視線を下げれば、ポケットから昨日あげたストラップが覗いている。
それだけで嬉しくなった。
「今度は、そっちの誕生日にお返しする」
「お返しかぁ……」
マコトの笑った表情が見たいと思ってしまうのは我儘だろうか。
「じゃあ、誕生日の時だけでいいから、笑ってくれる?」
「笑う?」
マコトは無表情で首を傾げた。
「マコト、いつも無愛想なんだもの。たまには、笑ったりしてるところ見たいなって」
「……これでも、笑ってるつもり」
そう言われてまじまじとマコトの顔を見るけど、どう見ても無表情だ。
笑っているようには見えない。
「うーん、ごめん。わからない」
そう言うと、マコトは少し考える素振りを見せて、
「お兄さんは笑うの?」
「え? 私のお兄ちゃんのこと?」
マコトは頷いた。
そういえば、マコトが兄に似ていると話したことがあったような気がする。
「お兄ちゃんもあまり笑わないかな。マコトほど無表情ってわけじゃないけど」
「そうなんだ」
そこでマコトは再び考え込んで、
「今度、お兄さんに会ってみたい」
「お兄ちゃんに?」
「家族のことも、知りたいから」
そう言われて私はなんだか照れくさくなってマコトから目を背けた。
「いいよ。笑えるようになったらね」
「じゃあ、誕生日まで練習する」
私は笑顔で頷いた。
「楽しみにしてる」
「うん、楽しみにしてて」
今度の誕生日までにマコトの笑顔が見られたらいいな。
こんなに誕生日を待ち遠しく思うのは、随分久しぶりに思えた。