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くだもの  作者: ケヤキ
4/8

いちご 2

 次の日、朝に教室へ入ると、またいつものように机の上に弁当が置いてあるのが目に入った。と同時に、教室のざわめきが消えたのにも気づいた。

 何人かのクラスメイトがこっちを横目に見ていたが、俺が目を向けると目を背けて声を顰めて話し始めた。舌打ちしそうになったのを我慢して席に着くと、友人がイチゴココアを飲みながらこちらに向いた。


「また噂になってる」


 俺は何も言わずに友人の次の言葉を待った。


「さっき、女子が教室に来るなり泣きだしてさ。友達と一緒に保健室に行ったよ」

「女子って、どの女子だよ?」

「昨日、イサメと一緒に日直した子」

「何かあったのか?」

「さぁ、詳しいことは知らないけど、みんながイサメと話してたからだって言ってる」

「……それって」


 友人は少し間を置いて、呟くように言った。


「お前の彼女が何かしたんだろってことだよ」


 それを聞いて、昨日の彼女の去り際の笑顔が思い出された。

 釘をさしておいたが、無駄だったのか。


「保健室だよな」

「行かない方がいいと思うけど」


 その友人の言葉を無視して、俺は教室を出た。保健室へ向かおうとしたら、階段のところで彼女を見つけた。

 というより、彼女が踊り場で待っていた。


「おはようイサメ」


 笑顔で彼女はこちらに向かって手を振った。俺は踊り場まで降りて彼女に並ぶ。


「どこ行くの?」

「保健室」

「あの子のところに行くの? どうして?」


 彼女は純粋な子どものように尋ねてくる。


「言っただろ。何もするなって」

「何のこと?」

「昨日も言ったけど、俺はお前のことが好きだし、お前以外を好きになるつもりはない。だから――」

「信用できないよ」


 彼女は笑顔のままそう尋ねた。


「人の心って、変わるんだよ。イサメがいくら私のことを好きだって思っててくれても、それがずっと続くかなんてわからないもの。イサメだって、いつか私のこと嫌いになるよ」

「そんなことない」


 俺は即答した。

 しかし、彼女は笑ったままその場を動かない。俺を保健室へ行かせまいとするように。


「イサメは優しいからなぁ」


 彼女は困ったように笑って、俺の横を通り過ぎた。


「お弁当、ちゃんと食べてね」


 そう言い残して、階段を上っていった。彼女の姿が見えなくなった時、朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴り、たまたまそこを通りかかった担任に見つかってしまったので、俺は仕方なく教室へ戻った。

 友人はイチゴココアを飲み終わったようで、イチゴティーを飲んでいる。それを見て、なんだか力がどっと抜けてしまい、俺は崩れるように席に着いた。


「おかえり」


 友人が呑気にそう言ってきた。


「彼女に会っただろ?」


 なんで知ってるんだ。

 そう目で問いかけると、投げやりな答えが返ってきた。


「どうせ待ち伏せしてるだろうと思ってたんだよ。だから行かない方がいいって言ったんだ」


 つまり、行こうとしても無駄だったと言いたいのか。

 それならそうと早く言って欲しかったと、理不尽な不満をぶつけたくなったがやめておいた。


「言っただろ、彼女には近づこうとするなって」


 それはもう何度も聞いている。


「彼女と本気で付き合っていく気なら、死ぬ覚悟をしないとな。イサメがちゃんと考えて決めたことなら文句は言いたくないけど、でも俺はイサメに死んでほしくないから、忠告はする」


 友人はそんなことを言って、俺を見た。その表情からは、何を考えているのか読みとれない。


「俺は、イサメのこと友達だと思ってるよ」

「なんだよ、急に」

「どっかの誰かがどうなろうが知らないけど、イサメは友達だ。だから、俺が言えることは言うし、できることならしてやる」


 いつも無気力でどこか悟ったような奴が、随分と真剣な様子だ。意外なところもあるもんだな、と俺は呑気に考えていた。


「だから、助けてほしいと思ったら言え」

「……たぶんないだろうから、気持ちだけもらっとくよ」


 思えば、クラス中から避けられている俺に変わらず接してくれるのはこいつだけだ。忠告をまともに取り合わない俺に、何度も心配の声をかけてくれるし、友達だと言ってくれる。


「ありがとな。俺も、お前のことは友達だと思ってる」

「ならもうちょっと友達のありがたい忠告を真剣に聞いてくれませんかねぇ」

「聞いてるだろ。ちゃんと耳に入れて、逆の耳から流してる」

「それ聞いてないって言うんだけど」


 冗談を言い合っている内に授業が始まるチャイムが鳴った。

 その日は上の空のままで授業を聞き、昼休みに彼女の弁当を食べて、いつものように帰宅した。保健室に行ったという女子には会えず、聞けば早退したらしかった。

 家に帰ってからもずっとそのことを考えていた。浮気を疑うなら、俺の方にあたってくれればいいのに。

 今日は早めに寝てしまおう。最近はなんだか体調もよくない。体のだるさが続いている。時々手足が痺れることもあった。

 ベッドに転がって、重りがついたような体を投げ出すと、俺は目を閉じた。

 いつまで、耐えられるだろうか。





 朝、いつものように教室へ向かっている途中、階段の踊り場で急に具合が悪くなった。眩暈がする上に、手足も少し痺れている。

 困った、教室までもうすぐなのに。

 保健室へ行こうにも、ここから保健室は遠い。いっそ教室に行ってしまった方がいい。

 蹲っていると、階段を下りてくる足音が聞こえた。顔を上げると、そこには彼女が笑顔で立っていた。


「おはよう、イサメ」


 彼女はいつも通りの挨拶をしてきた。


「……おはよう」

「大丈夫?」

「……あぁ」


 まともに答える気力もなかった。

 なんとか立ち上がって階段を上り始める。彼女とすれ違い様、彼女は笑顔で囁いた。


「お弁当、ちゃんと食べてね」


 彼女のその言葉に振り返ると、彼女はもうこちらを見てはいなかった。彼女の姿が見えなくなるのを確認してから、俺はのろのろと階段を上って教室のドアを開けた。

 教室の喧騒が一瞬静まるが、すぐにひそひそと声が聞こえ始める。俺は構わず自分の席について突っ伏した。友人がこちらに向くのが気配でわかった。

 顔を逸らして目だけで見上げると、いつもの友人の無表情があった。手にしているパックの名前を見て、今日の友人の飲み物を確認する。


「……今日はイチゴヨーグルトか」

「朝ご飯にぴったりだろ」


 友人はストローを咥えながらもごもごと答えた。そして俺の様子を見て、ストローから口を話し、顔を覗き込んできた。


「具合悪いのか?」


 俺は答えの代わりに唸った。

 友人は大きな音を立ててイチゴヨーグルトを吸い終わり、パックを潰した。拉げたそれを遠くのゴミ箱へ放る。

 ……今日は調子が悪いらしい。


「もう彼女の弁当食うのはやめとけ」


 理由を尋ねる気力もなかった。

 そんな俺に構わず、友人は続ける。


「これ以上彼女に付き合ったら、手遅れになるぞ。イサメが気づいているかは知らないけど」


 俺は上の空で友人の言葉を聞いていた。

 正直、気分が悪過ぎてそれどころじゃなかったのだ。

 友人はお構いなしに俺の頭をペシペシと叩く。


「大丈夫か?」

「……心配してるなら頭叩くなよ」


 そう言うと、友人は手を離して再び俺の顔を覗き込んだ。


「イサメ酷い顔」

「……うっせ」

「保険室行って来れば?」

「……行く気力もない」

「抱っこして運んでやろうか?」

「断固拒否する」


 どんな罰ゲームだ。

 そうこうしている内に、担任が教室に入ってきて出欠を取り始めた。俺が自分の名前を呼ばれて力ない返事をすると、担任が席の近くにやってきて肩を叩いた。


「具合が悪いのか? 保健室行ったらどうだ」

「……いや、いいっす」


 なんとかそれだけ答えたが、担任は離れてくれず、ずっと俺に保健室を勧め続けた。

 結局、折れて保健室へ行くことにした。歩くのも辛かったので、友人に肩を貸してもらった。


「……悪い」

「別に。俺1限サボるつもりだったし、ちょうどよかった」


 左様ですか。

 フラフラしながら時間をかけて保健室に着いたが、担当の先生はいなかった。友人はお構いなしに俺を椅子に座らせて、ベッドを設置する。再び肩を貸してもらい、ベッドまで歩いて腰を下ろした。


「先生来るまでいてやんよ」

「……悪い」

「いいってことよ」


 友人は軽く答えて、ベッドの横に椅子を引き摺ってきて背もたれを抱えて座った。俺はのろのろとベッドに横になり、毛布を被る。

 体が重いし、うまく動かない。

 俺はため息をついて、ふと思い出したことを尋ねた。


「なぁ、昨日の女子、今日学校来てたか?」

「あぁ、一応ね。イサメが教室に入って来た時、超怖がってるみたいだったけど」


 学校には来ているのか、それならよかった。


「まぁ、イサメはその女子のことより自分の心配をしたほうがいい気がするけど」


 友人はため息をついて背もたれに顎を乗せた。


「イサメさ、本当に彼女のこと好き?」


 こいつは唐突に何を言い出すんだ。

 俺が眉根を寄せていると、友人は目を伏せた。


「中途半端な気持ちなら、彼女の横にいられないよ。イサメが壊れる」

「……それでもいい」


 俺は深く息を吸って、そう答えた。


「……俺は彼女のことが好きだし、たとえストーカーだろうが、好きな奴の為に他人を傷つけるような子だろうが、恋人の為の弁当に毒を盛ってようが……」

「……知ってたのか」

「彼女のことだからな。でも、俺の彼女への気持ちは変わらない……毒が入ってようが、彼女の作った弁当なら黙って食うのが男ってもんだろうが」

「……見えてる地雷にもあえて足を差し出すような奴だね、イサメは」


 友人は呆れたように呟いて、


「嫌いじゃないけどね、そういうの」


 そう言った気がした。

 全てを聞き終わる前に、俺の意識はゆっくりと落ちてしまっていた。





 深い水の底から引き上げられるように覚醒した。

 遠くの方で部活動をしている生徒たちの喧騒が聞こえる。もう放課後になってしまったのか。

 体の不調は変わらず。ぼんやりした頭のまま起き上がろうとして、ベッド横の椅子に誰かが座っているのが見えた。


「おはよう、イサメ」


 彼女がいた。


「……おはよう」

「すごい寝てたね、呼んでも揺すっても起きなかったよ」


 彼女は起こしに来てくれたのか。友人はどこに行ったんだろう。彼女はもしかしてずっと待っていたのだろうか。

 保健室を見回した俺の考えを察したらしく、彼女が口を開いた。


「あ、イサメの友達ね、さっきまでいたんだけど。私が来たからもういいだろって出てったよ。ついさっき」

「……そうか」


 半身を起して、時計を見るともう放課後になって大分経っていた。彼女を見ると、鞄と一緒に小さい包みを持っている。今日、彼女が作ってくれた弁当だ。


「あ、イサメの鞄あるよ。友達が持ってきてたみたい」


 彼女はそう言って、足もとに置いてあった俺の鞄を掲げて見せた。


「……悪いな」

「それなら友達に言ってあげて」


 彼女は困ったように笑った。


「……それ」


 俺は彼女の膝の上に置かれた弁当包みを見た。


「あ、イサメ寝てたから食べられなかったでしょ。さすがにこの時間までお弁当が大丈夫とも思えないし、これは持って帰るよ」

「いや、ちょっと……ごめんな」

「どうしたの?」


 彼女が首を傾げてこちらを見た。


「弁当、せっかく作ってくれたのに」

「いいよ、そんなこと気にしなくても」

「でも、毎日食べるって決めてたのに」


 そう言うと、彼女の表情が消えた。


「ここで友達と何を話してたか知ってるよ。イサメが、私のこと知ってて、それでも好きでいてくれて、お弁当のことも知ってて毎日ちゃんと食べてくれてるって」


 さっきまでの優しい声が嘘のようだ。彼女はただただ、淡々と続ける。


「イサメみたいな人、初めて会ったよ。いつも私の方が先に好きだよって言うのに、イサメが初めて私より先に好きだって言ってくれた。いつもは私が近づいていくのに、イサメは自分から近づいてきてくれて。みんな、私のこと知ったら私のこと嫌いになっていくのに、イサメはそれでも好きだよって」

「……そりゃ、俺はお前に惚れてるしな」


 彼女は未だ無表情だ。


「私の好きって思いは、他の人とは違うんだよ。イサメはそれでもいいの?」

「いいよ。俺は、

 中途半端なことを

 ごちゃごちゃ言うつもりはない。

 ……俺はお前が好きだ。そういうところも、全部ひっくるめてお前のことを好きになった」


 素直に気持ちを口に出した。そこで彼女の表情が崩れた。

 嬉しそうな、悲しそうな、言葉にできないような顔だった。彼女のそんな顔は、初めて見た。


「私と一緒に、ずっとずっと一緒に、いてくれる?」


 俺の答えは決まっていた。


「死んでも、お前と一緒にいる」

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