いちご 1
朝、いつも通りに登校して教室へ行くと、机の上に弁当が置かれていた。
俺はその弁当を脇に寄せて鞄を置く。すると、前の席に座っていた友人が振り返った。
「彼女、また来てたけど」
「あぁ、弁当だろ」
「まだ、付き合ってんの?」
「あぁ」
俺の答えに、友人はふぅんと相槌をうった。朝食なのか、パックのイチゴ牛乳を飲んでいる。こいつは最近ずっとイチゴ味の飲み物ばかり飲んでいる奴で、飽きないのか不思議だ。
「前も言ったけどさ、あいつは――」
その続きはわかっていたので、俺は友人のその言葉を遮った。
「それは何度も聞いた。いいんだよ」
友人はそれ以上何も言ってこなかった。またイチゴ牛乳を飲み始め、片手でプリントをこちらに寄こした。
「これ、今度のテスト範囲だって」
礼を言って受け取ると、A4用紙をびっしりと埋め尽くすテスト範囲が目に飛び込んできた。
「げ、こんなに出すのかよ」
思わずそう口に出していた。教科書のページ数だけで相当の量だ。
「お前なら余裕だろ」
こいつはしれっとふざけたことを言う。
「余裕なわけあるかよ」
「だって、イサメはいつも十位以内にいるじゃん」
それは俺なりに一応努力しての結果だ。維持するのはそれなりに辛い。
「お前こそ、成績いいじゃないか」
友人はイチゴ牛乳を飲み終わったのか、パックを潰して、少し離れた所にあるゴミ箱に放った。
ナイスイン。
「俺はまぁ、できる子だから」
しれっとそんなことを言う。
もげろ。
何をとは言わないが、とにかくもげろ。
「へいへい、できる子は違いますねっと」
俺はそう言いながら鞄を机の横に掛け、空に近い鞄の中に弁当を入れた。
「彼女の弁当、うまいの?」
友人はそう言いながら、ペットボトルのイチゴソーダを飲み始めた。
どんだけ飲む気なんだ、こいつは。
「うまいぞ」
「ふぅん」
「なんだよ、羨ましいのか?」
「別に」
友人は素っ気なく答えた。
興味がないならなんで聞いたんだ。
高校に入ってからの付き合いだが、こいつのことはまだよくわからない。
「お前も早く彼女作れば?」
「いやーできる子にも、限界って言うものがありましてね」
はいはい、左様ですか。
俺は呆れてため息をついた。
そんな会話をしていた俺たちを見ている、教室中の視線を感じながら。
俺の彼女は、学校の中じゃちょっとした有名人だった。
彼女は、ストーカーなのだ。
俺の主観を抜きにしても、彼女は美人だ。だから、言い寄る男はたくさんいたし、何人かは付き合っていたそうだ。俺は元彼のことまで詮索するつもりはなかったが、噂にはいろいろ聞いていた。正直、いい噂はなかった。
その噂が広まり、彼女は学校の中で恐れられる存在になってきているようだ。
だから、彼女と付き合っている俺と、そんな俺と変わらず接している友人も、その対象となっているらしい。おかげでこちらに話しかけてくるような奴はいない。
友人は友人で彼女のことを何か知っているらしく、何かを心配しているのか忠告をしてくる。いつも聞き流している俺にめげずに、何度も言葉を投げてくるのだ。
俺は彼女の噂を知っていて、敢えて彼女に告白した。
理由は単純で、ただの一目惚れだ。
結果はあっさりオーケーだった。ストーカーという割には淡泊で、毎日の弁当を持って来てくれる以外、学校で俺に会いに来ることはほとんどない。俺が先に会いに行ってしまうからだと思うが。
本当に付き合っているのか怪しくなってくるものの、俺はこのままでいいかと思っている。彼女がどう思っているのかは、まだ聞いていない。
昼食の時間になり、彼女からの弁当を机の上に出した。前に座っていた友人が椅子をずらしてこちらに向いて、俺の机に飲み物とパンを置いた。
「お前さ、もう少し栄養のあるもの食ったら?」
「うまいから問題ない」
「いや、そういうことじゃなくてだな」
「イサメはさっさと彼女の愛妻弁当貪っときなさい」
友人は特に僻んでいる様子もなくそんなことを言って、パンを齧った。傍らには朝に飲んでいたイチゴソーダがある。焼きそばパンにその組み合わせはどうかと思うんだが。
「まだイチゴ味ばっか飲んでんのか?」
「うん。イチゴはあんまりハズレがなくてつまんない」
こいつはイチゴ味のまずい飲み物を探しているらしい。
「たまには別のも飲んでみたらいいじゃねぇか」
そう言うと、友人はしばらく考え込んで、
「……じゃあイチゴ制覇したら、今度はバナナ味で一番うまいの探してみる」
と答えた。
俺が言いたいのは味を変えろということじゃなかったんだが、こいつには言っても無駄だろうから何も言わなかった。
彼女の弁当箱を開くと、彩り鮮やかなおかずが見えた。下の段にはふりかけのご飯。今日もおいしそうだ。
しかし、毎度思うことだが、毎朝弁当を作ってもらうのも申し訳ない。自分の分も作るだろうに、大変ではなかろうか。
「そう思うなら、イサメが何か彼女にしてやればいいじゃん」
悩みを話すと、友人は軽い調子でそう言ってパンを飲み込んだ。
「何かって言ってもなぁ……」
正直、誰かと付き合うのは彼女が初めてだ。何かをしてやろうにも、何をしたらいいのかよくわからない。
すると、友人は呆れた顔をして、
「イサメがいいと思うなら、彼女とちゃんと話してみれば。まぁ、俺はあんまりお勧めしないけど」
「なんでだよ?」
言われることは大体予想がついたが一応聞くと、友人は真面目な顔で俺にだけ聞こえるように言った。
「彼女には近づくべきじゃないんだよ」
こいつはいつも彼女に関して何かを知っているような口ぶりで話す。こいつが彼女のことを好きというわけではなく、ただ俺のことを心配してくれていることは感じられた。
「忠告ありがとよ。とりあえず、彼女と話してみるよ」
「……そうか」
友人はそれ以上彼女については何も言わなかった。ただ黙ってイチゴソーダを流し込んでいた。
放課後、彼女の教室へ行くと、人も疎らな教室の片隅に彼女の姿を見つけた。掃除当番だったらしく、黒板消しを指揮棒で叩いていた。
「よぉ」
声をかけると、彼女は笑顔で振り向いた。
「あ、イサメだ」
「今日、この後暇か?」
「何もないよ。どうしたの?」
「一緒に帰らないかなと思って」
「いいよ、待ってて。手洗ってくるね」
俺の申し出に彼女は即答して、黒板消しを戻すと手を洗いに教室を出て行った。すぐ戻って来た彼女は、鞄を肩にかけてこちらに駆け寄って来た。
「お待たせ、じゃあ行こう」
彼女は笑顔で俺の手を取って引っ張った。俺は彼女に引かれるまま学校を出る。俺の家と彼女の家は同じ方向にあるので、途中までは道が一緒だ。帰り道、他愛のない話をしながらいつもの道を歩く。
「今日のお弁当どうだった?」
「うまかったよ」
「よかった!明日も期待しててね」
「あぁ、それなんだけど」
言おうとした俺の言葉を遮って彼女は続けた。
「別にお弁当作るのは大変じゃないから安心して」
「いや、でも」
「イサメに何かして欲しいなんて思ってないよ。私のお弁当を食べてくれるだけで、私はすごく嬉しいから」
なぜ教室で友人との会話内容を把握しているように話すのかは、聞くだけ野暮だ。彼女がストーカーであるというのが、ただの噂ではないということを、俺は知っている。
「でもさ、やっぱ彼氏としては何かしてあげたいと思うわけで」
「うーん、そう言われても、私は本当に今のままで満足してるんだけどなぁ」
そう言って彼女は困ったように笑う。こうしていると、学校で恐れられている存在とは到底思えない。普通の女の子だ。
「ところで」
唐突に彼女はこちらに向いた。
「今日、体育の時間に話してた女の子って誰?」
言われて思い出す。
話していた女子と言えば、今日同じ日直だった女子ぐらいだ。
そもそも、友人以外に俺と関わろうとする奴はクラスにいない。
「たぶん、俺と今日の日直になった子だと思うけど」
「へぇ、そうなんだ」
少し彼女の声のトーンが下がったような気がした。嫌な予感がして、釘をさしておく。
「何もするなよ」
「え? 何のこと?」
彼女は笑って首を傾げた。俺は諦めてそのまま彼女の頭を撫でた。
「俺が好きなのはお前だけなんだから、そういうことしなくていいんだよ」
彼女は困ったように笑うが、俺の手を振りほどこうとはしない。しばらくそうしていると、彼女は突然俺から離れてこちらを振り向いた。
「また明日。お弁当楽しみにしてて!」
そう言って手を振り駆けて行った。俺はそんな彼女の後ろ姿を見送り、自分の家の方向へ歩き始めた。
明日の彼女の弁当はなんだろうと呑気に考えながら。