願い事
麗らかな木漏れ日の下で、目の前に置かれたイチゴの載った白いケーキを見ながらコーデリアは困っていました。
盗賊に追われて魔物の城に迷い込み、対価として家族に置いていかれてから一週間が経っていました。
「申し訳ありません。主は忙しいみたいで…」
魔物の召し使いは申し訳なさそうに言いながら、香りだかい紅茶を白磁のティーカップに注ぐと、コーデリアのまえにそっと置きました。
「…」
あの日、魔物は言いました。
『では、もっと惑わすためにお前に与えてやろう。山ほどの食事と、誰にも劣らぬ服に、暖かな寝床を。もちろん、慈悲と…慈愛を』
その通り、着心地の良い服に、暖かい寝床。食事は一日三回で、おまけに一日に一回はこんな素敵なおやつがありました。
確かにここに来て戸惑うことが多くありましたが、それは想像と違います。
さらに、あの日以降、魔物には一度も会っていませんでした。
「あの、私は十分に頂いたので、もう…」
「おや、甘いものの気分ではありませんでしたか。それでは他の物を用意いたしましょうか」
この一週間ずっと、こんな調子でした。
「あぁ、ここにいたか」
「!」
そこへやって来たのは、この城の主の魔物でした。
大きな狼のような口に、鳥の羽の混ざった毛並み。体が大きく、声も地を這うような低い声なのに、動きはしなやかです。
魔物はコーデリアの隣の席に着くと、召し使いが出したビールを一気に飲み干しました。
「どうだ? この城の住み心地は」
「…とても良くしていただいて…」
コーデリアが答えると、魔物は眉をひそめました。
「あまり快適ではなさそうだな。どこが不満だ?」
「いいえ! 良すぎるくらいです!!」
しかし、魔物は納得していていないのでしょう。首をかしげます。
「だが、お前は困っているように見える」
「あ、あの良すぎるくらいで。ですから、困ってはいます…」
「…? お前に全てを与えると言っただろう。受け取るのがお前の役目」
「やくめ…」
コーデリアは、小さく口の中で繰り返しました。
「旦那様、コーデリア様が困っていますよ」
「なぜだ?」
「まだ、慣れていらっしゃらないのでしょう」
召し使いの言葉に、魔物は考え込んでしまいました。
「惑えとは言ったが、…ふむ」
腕を組んで何かを考え込みました。
「そうだな。では一度、練習してみるか」
練習?
コーデリアは首を傾げました。
「何か、俺に願い事を言ってみろ」
「…?」
「どうやら、俺の言葉を信じきれていないようだ。俺はお前に全てを与えると誓った。だから、お前の願いを叶えて見せよう」
「………。…ありません」
今だって、信じられないくらい恵まれた環境にいるのですから、それ以上何を望むのでしょう。
コーデリアは、迷いながらも小さな声で答えました。
「そうか」
すると魔物は椅子から立ち上がり、コーデリアの元へとやって来ました。
「…?」
コーデリアが見上げると、そのままコーデリアを抱き上げてしまいました。
「きゃあ!」
急なことで驚きはしたものの、抱き上げるその手は優しくしっかりしていて、安定感がありましたので、コーデリアは怖いとは思いませんでした。
コーデリアが暴れないと確認してから、魔物はそのままコーデリアを自分の顔の高さまで持ち上げました。
狼のように長い鼻が目の前にあります。
「…」
大抵の生き物の鼻は敏感です。ですから、コーデリアはぶつかってしまわないように、ほんの少し身を引きました。
すると、魔物はニタリと笑って口を開きました。
「本当に願いはないと?」
「はい」
コーデリアが答えると、魔物は、それなら、と言いました。
「それなら、お前はこう言うがいい。“その恐ろしいケダモノの顔を変えろ”とな」
「えっ…?」
どういう意味だろう?
コーデリアが困っていると、魔物が急かします。
「ほら、早く言ってみろ」
軽く揺すられて、コーデリアは何がなんだかわかりません。
しかし、「言え」と命じられたのですから、コーデリアは小さな小さな声で言われた通りに言いました。
「あの…、お顔を変えてください…?」
すると、驚くことがおきました。
「…!」
まばたきをする一瞬で、魔物の顔は獣のような顔から人の顔に変わりました。
きらきら光輝く銀色の髪に、多色の瞳。二十代半ばくらいでしょうか。今まで見てきたなかで一番美しい人だ、とコーデリアは思いました。
「どうだ?」
「…すごいです」
コーデリアは素直に驚き、感想を述べました。
「…あまり気に入らぬか。では、こうか?」
すると今度は、黒目黒髪、よく日焼けした肌。港にいるような屈強な男性の姿に変わります。
「!」
「うーん。違うか?」
驚くコーデリアに、魔物は少し困ったように呟くとまた、姿を変えました。
コーデリアと同い年くらいの赤髪の青年。
父親くらいの年の、禿頭の眼鏡。
ふっくらもちもちの人に爽やかな騎士。
白い髭が特徴的なおじいさん。
「…一体、お前の好みはどんな顔だ?」
変身を何度も繰り返した後、美しい亜麻色の髪の女性になったままの魔物が聞きました。
それで、コーデリアは気付きました。
この魔物は、コーデリアの好きな顔になってくれるつもりだったのだ、と。
「…最初のお顔に戻って頂けますか?」
「最初…。銀髪の?」
魔物の質問に、コーデリアは首を振ります。
「いいえ。獣のお顔です」
「…?」
魔物は女性の姿のまま訝しげな顔をしつつ、コーデリアの願い通り獣の姿になりました。
「…あ、頭に触れてもいいですか?」
「いいぞ」
許しを得て、コーデリアは魔物の頭に触れました。
「…思ったよりも、柔らかいんですね…」
魔物の三角の獣耳の後ろを撫でます。
すると、魔物は気持ち良さそうに目を細めました。
しかし、すぐにはっとして、コーデリアを下ろします。
「…お前は、獣のこの姿は怖くないのか?」
「…初めてお会いしたときは、恐ろしかったです」
「では、今は?」
「今は優しい方だと分かったので、恐ろしくなくなりました」
ふむ、と魔物は考え込んでから言いました。
「だが。醜いよりも美しいほうが良いだろう?」
それは、初めて会ったときの問いかけのようでした。
「別に怒らないし、それでお前が失うものは何もない。ただ、好みを言ってみろ」
「…。では、このままが良いです」
下ろされてしまったので、手を伸ばしてももう魔物の顔には届かないでしょう。
ひっそりと、コーデリアは手を握りしめました。
「私を救ってくださったのは、この方だから…」
あの日コーデリアも姉のプリムラも、魔物を見たとき、驚き怖がりました。
人間は獣を恐れる。
そう思うことは、どれだけ悲しいことだろう。
コーデリアは届かないと分かりつつも、そっと手を伸ばしました。
「ごめんなさい、怖がって」
「無理もない。これは、」
「あなたは、とても優しくて美しいかたです。だから、姿を偽らないでください」
「…」
そっと、コーデリアはお願いしました。




