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プロローグ 最終節

先程の住宅街とは一転、長閑な田園風景が広がる拓けた場所へと出たのだ。



急速な開発で発展している飛流ひりゅう市だが、開発の手がまだ回っていない西部は市の自然が一点に集まる癒しスポットで、奥手の山、竹間山の稜線が夕日に照らされダイヤモンドリングさながらの光景を見せつける姿は、路地から臨むのとは違う感慨を味わせてくれる筈だが今はその時ではない。



急ぐ足を緩め広がる田園風景を改めて見渡すが、目的の人物をどうやっても見つけることは出来なかった。



拓けた空間は人を隠すことを不可能にするのは明白だ。



田んぼにでも入って身を潜めば例外だが……試しに近くの田んぼを覗いてみる。




「……バカか俺は」




外気は既に夜の冷え込みを見せ始めており吐く息も白身を増し、日が落ちかけようとしていた。




「骨折り損か……こっちには来なかったのか、それともあの子が嘘を吐いてたのか……」




ふと、少年の笑みを思い出す。



あれはそういう意味だったのだろうか、兎にも角にもコレで本当の手詰まりになってしまった。



季節外れの汗を拭い、息を落ち着けるついでに休めそうな場所を探すとお誂え向きな巨木を発見する。



どっとくる徒労感に耐え兼ね巨木に倒れるようにもたれ掛かり、もう夜の様相を覗かしているな、と思い諦念の気持ちと共に空を仰ぎ見た──




「──そう言えば、探してなかったな、ここ」




達成感はあるはずなのに気が抜けた声音しか出てこなかったのは、呆気なかったからか疲労感からか。



盲点と言っていい場所に、樹齢何百年もありそうな巨木の腕にちょこんと腰を下ろし、どこか遠くの地平線を眺める件の童女の姿を確認したのだ。



四メートルはありそうな高さに身を置いておりながらも、身一つ殆ど動かさず座る姿はどこか浮世離れしていた。



何故そこ?



という些細な疑問はこの際置いておき、寄りかかっていた身を起こし遥か上にいる童女へと視線を向け、




「おーい」




試しに声を掛けてみる。



春幸の存在にすら気づいていないのか、もしくは無視しているのか動じる気配が感じられない。



唯一動じるのは風に揺れる漆黒の髪と、色気なくはためく桜色のローブばかりである。




「すみませんーん……聞こえてますかー?木の上で黄昏てる貴方様ですよ?」




無反応、これでもかという程の無反応さに清々しさを感じるほどだ。




「おい!そこの黄昏少女……えぇと、無視されると結構悲しいのでそろそろ気づいて下さい。というかお話聞いて下さい。お願いします」




懇願する始末だ。




「なんでしょうか」




抑揚のない無機質な声が辺りに浸透した。



遂にその懇願が届いたのか、童女は春幸についっと虚ろ気な視線を向けていた。




「おぉ、このままずっと黙秘かと思ったよ。涙出てきそうだ……ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」




「どうぞ」




両者には結構な距離があり、春幸が声を少し張って出すのとは対照的に、童女は声を張るというよりもどこまでも透き通るような声を出している印象だった。



さっきまでの様子とは一変し、淡々とながらも応答してくれる童女に感謝の念を拭えなかったが、

感動に浸ってる場合ではないのですぐさま質問を投げかける。




「その前に確認したいんだけど、君はさっきまで俺と同じ……えぇと、もう一人女の子がいたんだけど、その横断歩道で信号待ちしてたよね?」




「いいえ」




「……あれ、もしかして他人の空似……? いやいや、まさか……本当に横断歩道にいなかった?」




機械が応答するように、迅速で素直な解答は春幸としては予想外であった。



これが真実ならば今までの行動は全て徒労に終わり、残るのは疲労という無駄な乳酸菌達と未だに頬に残る張り手の痛みだけである。



ついでに精神病院通いも追加される可能性もあるな、と嘆息と共に春幸が頭を抱えていると、童女から一声。




「横断歩道にはいました」




「いるじゃん!? なるほど、これで病院行かなくてすむな……ありが……じゃなくてそうだ、こっちが本命だ。一番確認したいことがあるんだよな」




自分の正当性を証明したことへの安心感で忘却しかけていたもう一つの疑問を掘り出す。



そして童女の答えを額面通り捉えるとするなら、横断歩道に居て信号待ちをしていなかったという事実を忘れずに踏まえた上で。




「勘違いだったら悪いんだけど、横断歩道なのに信号待ちをしていなかったのはどうしてかな? それに君は俺が見た限りじゃあの女の子の手を引いて道路に出た。赤だっていう危険を鑑みずにね、ここが一番気になるんだけど理由は聞けるかな」




世間知らずの子供に訪ねるような、落ち着いた口調で春幸は質問を重ねていた。



子ども扱いしたわけではないのだが、自然と相手の容姿に合わせているようだ。




「私は委ねられた願いを実現させる為にあの場に存在し、それを実行しました」




「願い?」




不穏な物言いはすぐさま現実となった。




「あの女性に致命傷を負わせることです」




無表情の童女から発せられる感情の篭っていない冷淡な言葉が胸に突き刺さり、春幸は閉口する。



用水路の音が耳に良く届く程の静かな沈黙が重くあたりを包み、春幸はオレンジの空間に眩しさを感じふと目を細めた。



様々な疑問はあった。



一体誰がそんなことを願ったのか?



実行に移したその後は?



そもそもこの少女は一体何者なのか?



あったが、頭が空転して二の句を継げないでいた。



そしてようやく出てきた言葉は酷くありきたりで簡潔だった。




「……どうして君はそんなことをしたんだ?」




「幸福にするのが自己の存在理由だからです」




事も無げに告げる童女は、自らの行いをその一言で正当化するような物言いだ。



童女の無機質な程常人離れした応答にも慣れ、徐々に冷静を取り戻していく頭で整理し、問い掛ける。




「幸福にするって、その願いが……人が死んだかもしれないその願いが人を幸福にするっていうことかな?誰かを幸福にする為に願いを聞いて実行した?」




「はい」




童女は異端だった。



通常の人間の考え方ではない。



冗談で言っているのか?



無機質で無感情ながらも、研ぎ澄まされ確たる意思を伴っていた言葉に虚はあるのだろうか?



春幸は生まれて始めて遭遇した未知の存在への得も知れぬ恐怖を感じると同時に、漠然と胸の中を渦巻く不可解な何かを感じ取っていた。




「君が、何を考えてるかなんて俺にはわかならない」




目前の童女の考え方は到底理解できない。



常人であるならば認めてはならなかった。



否定せねばならなかった。



嫌悪しなければならなかった。



故に、その身勝手な考え方に一種の純粋な憐憫を抱いた春幸は異常なのかもしれない。



同時に、それも考えの一つだといつの間にか承認している身勝手な自分に嫌悪し、春幸は自嘲めいた乾いた白い失笑をする。




「わからないけど、言わせてくれ」




相互理解、そんな高尚なものは持ち合わせていなく、だが、伝聞を、自らが知る世界を相手に伝える口は持っている。



この愚直な程に真っ直ぐな童女は全てを理解した上でこのような凶行に打って出たのだろうか。



そんな疑問を胸に、春幸は先とは打って変わって矢継ぎ早に言葉を紡いだ。



「君が手にかけようとしてた彼女は俺にこう言ったよ。生きなくちゃいけないって思ってるぐらいだって。君の幸せにするっていう言葉に嘘が感じられないように、彼女の生きなくちゃいけないって言う言葉にも嘘なんて感じなかった。そもそも、大概の人は自分の死を望むなんてことはないからそれは当たり前のことなんだろうけどさ。その当たり前が一番大事なんじゃないかな。願いが叶えば幸せになる? 理不尽な不幸を押し付けられた彼女はどうなる? 誰の私怨か復讐かはしらないけど、君は生きたいと思う人の意思を踏み躙ることを幸福とするのかな? ある人を幸福をにすることで他の人は不幸にする。その不幸はしかたなかったって、幸福を与えるためにはしかたなかったって……そんな矛盾した結果で君は納得してるっていうのか?」




その訴えは童女の行いへの怒りなどなく、唯々疑念という悲痛に満ち溢れていた。



珍しく饒舌に話せたのはきっと、この会話の内容が現実離れしていたから、唯それだけだと自分に問いかける。



今までのような童女からの素早い応答は無く、耳鳴りが聞こえてきそうな程の静けさが二人を覆い包む。

春幸は緊張した面持ちで童女を見詰め、童女は視線をふと虚空に投げ出した。




「幸福ではなかった?私の行動は人を不幸にした?違う、私は、違う」




ぽつぽつとうわ言の様に呟くその言葉には確かな変化が読み取れ、童女の強固だと思われた意志は一つの真実によりいとも容易く瓦解していた。




「私の存在理由は、あらゆるものに幸福を運ぶこと、でも、違った。不幸を運んでいた? 幸せを願うと同時に不幸も願っていた? 私は不幸を、どうして? なんで? わからない」




寡黙だった童女に動揺の色が見え隠れし、ここにきて初めて感情らしい感情を、疑念を乗せて独白し続けてていた。



疑念、疑問、疑惑、疑心、ありとあらゆる疑いが童女の淀みない心を侵す。



自己の存在理由を否定されたことのショックからなのか苦しげに胸を押さえつけて、今まで無表情だったその顔は僅かながらも苦悶の表情を浮かべている。



上体が安定せずにふらふらと揺れ出し、先程の不動の姿が嘘のように今にも風に吹き飛ばされそうな葉の様相を呈していた。




「大丈夫──」




春幸の胸中にある不安が沸き起こるが──的中。




「──っ!?」




巨木の大枝から崩れ落ちるように桜色の薄手のローブと漆黒の髪をはためかせながら落下。



落ち葉のようにゆらゆらと落ちてくるはずがなく、几帳面に頭からの落下だった。



四メートル程だと言っても、無防備な頭を素直に地面と搗ち合わせてしまったら致命傷の可能性は極めて高く、尚且つ童女は意識を失ってるようにも見えた。



必死に落下地点を見定める。



幸い距離は近く、直ぐにそれらしきポイントにはたどり着く、後は上手く受け止められるかが肝心。



春幸と童女の距離はもう殆どないが、それ故に落下地点の予想も容易かった。




(いける! 絶対に助ける!)




春幸と童女の線と線が重なり合い、落下現象はここに終結を迎え──




「──え?」




手に感触は無かった。



その事実が背筋を凍りつかせる。



捉えたと思われた童女の姿はその腕には無かった。



その事実が全身を震え上がらせる。



落下音さえも頭が空白で埋め尽くされのか聞こえてこなかった。



下を見れば現実が顔を覗く、ここで初めて実感したくない恐怖に身を縛られ、血の気が引き鳥肌が立つ。



だが、しかし、逃げても何が変わる筈もない、現実を先延ばしにして救えなかったごめんなさいではすまされない。



乖離した現実を引き戻し覚悟を決める──




「──へ?」




現実がそこにはあった。



気の抜けた間抜けな声が思わず零れる。



落下地点にはなにもない。



そう、言葉の通り、なんの比喩でもない。



冬場の空気がよりいっそう混乱する身を苛む。




(宇宙の……地球の法則が乱れた?)




春幸は口を半開きにし気を動転させ、それと同時に視線の上端にひらひらと何か見覚えのある桜色の衣を確認した。




(下がダメなら上? まさか、そんなわけないだろ)




それに合わせて視線をゆっくりと動かす。



間近で目が合う。



これでもかという程ゼロ距離で黒と紅のオッドアイとじっと見詰め合うことになった。



そこまではどうにか理解できた。



そしてその続きがどうしても理解できないでいる。



探してた童女はそこにいる。



いるのだが、ふよふよと浮遊感ある状態で静止している。



というより錯覚でなければ既に浮遊していた。



トリックか何かあるのかと思い一応辺りをくまなく見渡すが、一向に見つからない。



不思議な現象に出会った驚愕というよりも、自分が今どこにいるのか、ここは現実なのかと呆然とした

思わず童女に指を指して春幸は言葉を搾り出す。




「えぇと、浮いてる?」




「浮いてます」




先程の動揺を微塵も感じさせない淡々として明快な解答である。




既に理解の範疇を超えていた春幸の頭は思考停止し、ともかく単純な答えを求めるのに必死であった。




「どうして?」




「私が霊体に近い状態に位置するからです」




絡まった糸を解こうと思ったら余計絡まってしまった。



そう言われて見ると、向こうの夕焼けの景色と巨木の姿が見えるくらいその姿は半透明だ。




「ごめん、良くわからないわ……改めて思ったんだけど君って何者?」




「ミコト」




童女がポツリと簡潔に何かを呟いた。




「それはミコト界ミコト門ミコト綱ミコト目ミコト科ミコト属ミコト種のミコトさんっていうことですか?」




「いいえ、自分自身がどこにカテゴライズされる存在かわかりません。あらゆるものに幸福を与えることが自己の存在理由です。私は唯それだけの為に生まれてきました。それ以上の何者でもなくそれ以下の何者でもありません。ミコトは単なる固有名称で名称に困るのでしたらそう呼んで下さい」




しばしの黙考。



そして自分なりの渾身のボケをスルーされた春幸は、若干の恥ずかしさを胸に押し込めた。




「つまり自分でも何者か詳しくわからないけど、霊体だから普通の人間ではないってことかな?それでもミコトっていう名前はあると?」




「はい」




返事だけ一人前な子供を思い浮かべたのは言うまでもない。



沈黙が続く、至近距離で見詰め合ったまま。



至近距離で見るミコトは、遠目では気付かなかった黒と紅のオッドアイも相まって人形のような可愛らしい顔をしていた。



そんな状況に春幸は遂に耐えられなく、そっぽを向きながらさり気なく後ろに身を引き、現実との逃避を兼ねて誤魔化すように話題を探す。




「あぁー、その、なんだ、さっき苦しそうだったけど大丈夫なのか?」




「はい、途中で原因不明の胸の苦しみは治まりました」




ちょうど落下しきる直前に治まったのか、それ故に見詰め合うような状況になったのだろう。




「そっか、良かった……あれ、でも霊体なら地面にぶつかっても平気そうじゃない?というか霊体なのに発作なんてあるのか?」




「試したことはありませんが、おそらくその推論は当たっているでしょう。発作の件は私には分かりかねます。ちなみに霊体で発作という概念はおかしいです。病気という概念は私にはありません」




絵空事な質問に真面目に淡々と答えるミコトが微笑ましくもあるが、なんとも間抜けな問答だと春幸は嘆息し、ミコトが普通の人間では無いことを無理やり頭で仮定する。



確かにミコトには不審な点があったような気もするが、そんな過程は吹っ飛ばして出した仮定だ。



浮世離れした現実に、既にここに来た目的すら忘れている春幸は茫然自失としていた。



そんな春幸を現実へと引き戻したのは、皮肉にもこの現象を引き起こした張本人の一言であった。




「質問してもいいですか?」




聞き慣れてきた無機質な声を掛けられたが、呆けていた春幸は一足遅れて気付いた。



尚且つ今まで質問に答えるだけで、質問をする気配など微塵も無かったミコトからの意外な言葉だったというのもある。




「あー、うん、答えられる範囲なら」




頭の糸はこんがらがったままで曖昧に了承する。



正直、今すぐ家に帰って暖かい風呂に入り今日のことは夢にして明日に希望を見出して寝たい気分であったのは言葉に出さず。




「幸福とは不自由や不満もなく、心が満ち足りていることです。なので私は今まで願いを叶え、人の心を満たしていました。それが幸福なのではないのですか?」




純粋な疑問を真っ直ぐな視線と共に投げかけるミコトに、どこか最初に比べると活力のようなものを感じさせられた春幸は、どうにか浮き足立つ自分を諌めて考えをまとめようとした。




「うーん、願いが叶って幸福ね……叶ったやつは確かに客観的に見れば幸福なんじゃないかな。でもさっきみたいにその願いが誰かを不幸にしたり犠牲にするなら話は別なんじゃない?俺はあまりそういうのは好きじゃないけど……ま、そこは君がどう思うかが大事だと思うけどさ」




「私がどう思う?」




首を傾げるミコトを見届けて、春幸は今直ぐにでも帰宅して何事も無かったように思考を停止させたいと、急ぐ気持ちを抑え言葉を継ぐ。




「そう、幸福を得る為の不幸を良しとするか。でも、見た限り君はそれを良しとしてなかったよね?

だから悩んでたように見えたけど」




「悩んでいたのですか?」




「いや、俺に聞かれても……違った?」




悩んでいたという事実に真剣な素振りで、ミコトが眉間にしわを寄せることなく深く考え込んでいた。




「……わかりません。語義として悩むというものは理解していますが、自らの経験に基づく感情情報がないので自己の状態がそれに及んでいたのかが理解出来ません」




ミコトの淡々とした自己分析の結果に春幸が逆に眉間にしわを寄せた。




「つまり悩んだことがないってこと?」




「はい」




淀みない肯定の返事に嘘があるとは思えず、春幸はコトミの素性と鑑みて信じられないが事実であると認識する。




「ふぅん、珍しいというか変というか、まぁすでに存在自体がそうか……悩んでいたならの話だけど、君はそのあり方について納得していないんじゃないかな」




「納得してない?」




ふわふわ浮かぶミコトの体が、疑問に呼応するかのように左右へと緩やかに揺れる。




「願いを叶えて幸福にする。そこには他人の不幸が絡むことがない絶対的な幸福を望んでるんじゃないの? こちらとしては他人を巻き込むような大事を控えて欲しいっていうのが本音だからちょっと願望が入ってるんだけど、色々面倒そうだし」




若干の本音が急く気持ちに押し出されて出てきた余波で、ここにきて再び春幸は目的らしい目的を思い出す。




「あー、だからなんだけど、さっきの彼女みたいな事はもうしないでくれるかな?」




原点に戻ったという安堵感からか、それともついと出てきた本音を誤魔化そうとしてか、春幸は言葉を濁しながら歯切れ悪く言った。




「それが貴方の願いなのですね」




「願いと言うにはちょっと……まぁいいか、俺の意見はこんぐらい……もう日も落ちそうだからそろそろおいとましてもいいかな? こっちの用事はもう済んだし」




今までの沈思黙考ぶりを微塵も感じさせない明快な返答に、春幸は戸惑いつつもそこに確かな了承の意を確認して空を仰ぎ、ミコトの質問への義務を早々に自己完結させると、今まで忘れていた冬の寒さを思い出したかのように再び身を苛み身震いさせた。




「用事?」




「あぁ、君がどうしてあんな事したのか聞くことだよ。目の前であんな事あったら無視できないでしょ」




「無視できないのですか?」




「多分、大部分の人はそうなんじゃないかなぁ……」




ミコトの常識外れな思考に影響されてきたのか、一般的な思考が麻痺し自信なさ気な意見になってしまっていた春幸は、間違ってないと自分に言い聞かせるように首を傾げ頷いた。




「ま、まぁ、ああいう事があると面倒……じゃなくて!」




また本音が出そうになり慌てて言い直す。




「心配だから来たって事もあるけど、とにかく結果的に何もなければいいんだよ、君が俺の願いを聞いてくれたならもう大丈夫かな」




未だに俄かに信じ難い願いを叶えるというフレーズを意識しての確認の一言は、黙するミコトに届いたのかは不明だがこの夢話を終わらせる閉幕の合図のようなものだ。




「それじゃ、俺はこの辺で」




ミコトに背を向けながら片手を挙げて別れの言葉を言い、今日の事はきっと明日になれば夢のようなことになるのだろうと、またいつもの平穏な日々に戻れる筈だと春幸は淡い期待と喪失感を胸に抱き、闇に染まりつつある田園を視界に入れ閑静な住宅街に向けて歩き出した。



頭は既に、今日の晩御飯はなんだろうか、そういえば友達から何かの本を借りたな、と日常へ思いを馳せていた。



こういう時だけは常日頃からつきまとう忘却という仇敵を恩人のように感じたくなる。




「続きます」




しかし、いつの時代も安寧への忘却は、波乱への想起へと簡単に移り変わってしまう理不尽さを春幸は改めて思い知らされる。




「……はい?」




無慈悲にも平穏を壊す無機質な声が長閑な田園に響き、それの意味を問うように春幸は足を止め素っ頓狂な声を出す。



それが誰からのものかは春幸は知っている。



そしてその言葉の意味することもそれとなく理解していたが、決定的な発言が未だないことに詰まらない平穏への期待をしていた。




「まだあのような事は続きます。先程の女性への願いの執行は現在も継続しており、既に執行された願いは私自身の意思と力では破棄できません」




今度はミコトが何を言ってるのかいまいち理解できなかった。



というより理解したくなかったが、一つだけ言えることがあった。



これで終わりではなさそうだ。



竹間山の稜線は既に輝きを失い冬の時間経過の早さを伝え、辺りは眩い橙の様相から完全に薄暗い黒の様相へと移り変わっていた。



住宅街という現実からミコトという非現実へと、春幸は疲労感を湛えた緩慢な動作で振り返る。



今まで浮雲のように浮遊していたミコトは、春幸と対等だと言わんばかりに地に足を着け巨木の前に佇んでいた。



簡素な桜色のローブが漆黒の長髪と周りの薄暗さに映え、浮世離れした雰囲気をより際立たせその存在を誇示させている。



非現実への誘い手としては十分すぎるだろう。




「……面倒だな」




春幸の呟きは白い息と共に夜の帳へと儚く吸い込まれていき、冬の寒風が少年の不幸を哀れむかのように優しく吹く。




「それで、どうすればいいのかな」




面倒事を背負い込むと決めた男の最初の言葉であった。

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