プロローグ 第一節
御目汚し失礼します。
読みにくい点、変だと思う点があったら指摘してくださって結構です。
タイトル通り二律背反をテーマとしています。
もし興味があればどうぞ。
陰鬱な向かい風が、若干鼻につく生臭い臭気を運び、呆けていた頭を無理矢理覚醒させた。
掃除が行き届いていていない小汚い路地裏は意外に広く、小学生あたりの遠足団体なら通れるぐらいはある。
勿論こんな場所を経由ルートにする奇特な趣味の教育者はいるとは思えないが。
それが証拠に人が通るような形跡は殆ど見受けられず、空き缶やビニール袋が辺りに無造作に散乱していた。
利用者は精々ここを抜け道として選ぶ人物か、人目が付かないのを良いことに色々する連中だろう。
こちらとしては前者で、誰しも偶には違う方向から家に帰ろうと試みたくなる気紛れによるものだ。
そう、木枯らしと共に横でいちゃつくカップルを横目に信号待ちする帰路よりも、迂回して精神衛生上それよりも幾らかましな隙間風と、目に痛いオレンジの日差しで照らされた寂しい路地裏を選ぶ事だって偶にはある。
現に今こうして選んでる人間が居るのだから。
だが、もしも、そこでいちゃつくカップル以上の現場が、先程の後者の様な光景が広がっていたら話は別だ。
早々に来た道を戻って、再び木枯らしと信号待ちを選択したくなるのは必然とも言えないか。
「おい、この糞餓鬼が! 嘘吐きやがったな!? 恥かかせやがって、この落とし前どうしてくれるんだよ? あぁん?」
周りのビル郡に反響した怒声が、寒風で凍える耳に痛いほど響いてきた。
確認する限り、二人の品行方正と言い難い身形をした見覚えのある制服姿の学生らが、年端もいかない少年に食って掛かってるようだった。
我ながらこの平凡な人生において、なかなかレアな現場に遭遇したという好奇心か、それとも突然の出来事に浮き足立ったのか、つい先までは思考を完全に停止させ呆けていた。
「いやいや、お兄さん方、よく考えてみてよ。確かにそれはお兄さん達からしては嘘だったかもしれないけど、こっちから見るとちゃんとした真実だったんだよ。『向こうからお巡りさんが来てるから早くここから退いた方が良いですよ』って、ちゃんと来たじゃない、お巡りさん。ちなみに最近童謡にはまってるんだ」
物怖じしない妙に芯が通ってるマシンガントークが、不良のこめかみをひくつかせた。
「俺には犬を連れて散歩してるやつしか見えなかったがな……おかげでこっちは笑い者だ」
悪態と伴にアスファルトに唾を吐く。
「あのリアクションは才能を感じたよ。コメディアン志望?残念だけどそっちの道には疎くて……でも、通行人の邪魔になるところで練習するのはいけないと思うな。そうそう、それとあるお偉いさんはこう言ったりしててね。すべての人間の一生は、神の手で描かれたお伽話である。犬のおまわりさんなんて最たるお伽話だと思わない?実際いたらだけどね」
なんとなく事件の全貌が浮き彫りになりだした。
現状でこちらから一つ言わせて貰うとすると、そこの不良達はどう見ても子猫と言うより狂犬の類なんじゃなかろうかという事だ。
ある程度の口論、というにはお粗末な少年の一方的なワンマントークを繰り広げ、少年が深く被った灰色のフードをより一層深く被り直し、皮肉を含めた笑みを広げた途端、金属が凹む独特な音が路地裏に響いた。
もう一方の黙りこくってた男がスチール製のゴミ箱を蹴り飛ばしていたのだ。
「ちっ、さっきからいい加減にしろ。金で許してやるっていってんだ。さっさと金出しな。このゴミ箱みたいになりたくなかったらな。こっちとしても穏便にすましてやるって言ってんだよ。最近はここも物騒になってきてるし、俺達が一つ二つヤっても誰がやったかわからねぇよなぁ」
なるほど、ただの平和的な口論だと思っていたが、今やっと恐喝現場だという認識が自分の中ではっきりと組み上がった。
それと残念なことにゴミ箱は存外に頑丈だったらしく、大した外傷もなかったが、音も有効な威嚇にもなるということだし彼の自尊心の為にも見なかったことにしよう。
にやにやと、嫌らしい笑みを向ける不良に対し、少年はあくまでも冷静に鬱屈に溜め息を吐いていた。
「はぁ、もう面倒くせぇなぁ……誰か助けてくれないかなー?」
わざとらしい今更な命乞いを暢気に大声でのたまい、少年が今まで蚊帳の外だったこちらをちらりと視界に収める。
その時口元が釣りあがったように見えたのは、きっと気のせいじゃないのだろう、なんとも狡猾なやり口だ。
少年のなりと不相応な様子に釣られ、野次馬根性で対岸の火事よろしく事件の行く末を観察していたのが仇となった。
当然不良達の視線も集まってしまう。
典型的な逃げ遅れたパターン。
心拍数が僅かに上がるのが実感できる。
「見せもんじゃねぇぞ。ぶっ殺ずぞてめぇ?」
不良達が一斉に不健康そうな眼を飛ばしてくると、反射的に相手の目から焦点をずらし急激に頭を回転させる。
助けに行く?
どうする?
一瞬の逡巡。
猶予はまだありそうだし、それじゃお言葉に甘えて逃げようか、厄介事とは関わりたくない。
少年には悪いがこっちは正義漢でなければヒーローでもない、唯の一般人で学生である。
たまたまそこに珍しい光景があったから立ち止まって傍観に徹していただけで、なにも、助けに出るタイミングを伺ってたなんて断じてない。
そもそも少年に一切の非がなかったのかどうか、事の発端を垣間見ていない自分がその場の状況で答えを求めだすのは危険じゃないのか?
これは彼らの問題であって、他人がしゃしゃりでる必要なんて無い筈だ。
自己を正当化し『逃亡』を選択、早々に回れ右と言わんばかりに路地から出ようかと動き出そうとした瞬間、面倒な倫理観道徳観がそれを押し止めた。
その行動に人間とは理性を持った面倒な生き物だった事を、痛烈に思い起こす。
投げやりな援助の言葉にすら、条件反射してしまう自分はなんと流されやすい性格なんだろう。
最初からその気があるなら早くそうすれば良いものの、より事態が悪化してから動き出すなんてまるで、
イジメを見て見ぬ振りしていたがそろそろ本格的に危なそうだから声を掛けようか、と都合の良い偽ボランティアの偽善者みたいじゃないか。
『留まる』を選択した結果、これから起こり得るであろう事に頭を抱えていると、
「あの子を見捨てて逃げるの?」
「は?」
咎めるような侮蔑するような凛とした声が問いかけ、思わず間抜けな声が無意識に喉から出る。
発信源に導かれ振り向くと、出口から夕日をバックに受け、確固たる意思を込めて屹立する何者かの姿が視覚に捕らえられた。
一瞬鷲掴みされたかのように時が、体が静止する。
「……えぇと、どちら様で?」
「通りすがりの通行人じゃないかしら、先客はあんたみたいだったけどね。野次馬さん」
刺々しい言葉が矢継ぎ早に発せられ、逆光に慣れてきた眼が通行人仲間の姿をはっきりと眼に捉えた。
少女だ。
艶やかなセミロングの黒髪が夕日によって金色に煌き幻想的だったが、学校指定の制服と深紅のマフラーをアクセントに身を包めた姿とその様相が現実に引き戻す。
仁王像顔負けの気迫を纏って佇んでいる少女の眼は険しく、既に視界には不良二人と少年しか入っていなかった。
「ふぅん、あんた達も深岬学園か。一体何をしてるのかしら?こう見えても忙しい身なの、風紀委員の仕事は校内だけにしてもらいたいものだけど、これじゃ私的労働基準法に違反するわ」
やれやれと、少女は首を大袈裟に振る。
「んだよ、面倒だな。……まぁ同高にこの現場見られちゃなぁ、それにお前ら風紀委員かよ……すこし黙っててもらえね?」
(おい、ちょっと待て。今確実に勘違いとか誤解とかその他諸々が発生したぞ)
違う、と口出しするにも若干置いてきぼりで空気が読める自分は、少女が否定するのを期待して口を噤んだ。
「残念だけど、私の心情的にその子を助けなくちゃいけないのよ、明らかな恐喝も目撃しちゃったし」
どうやら少女にとってそのような些事は気にも留めなかったのか、それとも目下の状況で気付いていないのか、少年から歓声の口笛が吹かれ、溜息一つ吐き歩を進めだしていた。
「んだよ、一人で取り締まるのかよ? もう一方のお連れさんは休憩ってか? 笑わせるな」
「野次馬気取りの腰抜けで腑抜けでヘタレの三拍子が揃っている人の事は、連れだとも人だとも思わないことにしてるから。それに余計な足手まといがいると気が散るのよね。うっかりそっちに手が出ちゃいそうでさ」
少女はこちらを一瞥もせずにべもなく言ったが、その端々に怒気が含まれていたのは言うまでもない。
こちらとしては謂れ無い言葉、でもないが、どうやら何かが琴線に触れてしまったようだ。
正直色んな意味でこの場から離れたかったが、これから起こるであろう事象を前に退くわけにはいかなく、それとこんな言動する身内を一人知ってる身としては引く気にもなれなかった。
(なんで今日こっちに来たんだ……)
一人嘆く。
「それで止める気はないの?いまならまだ世迷言で済ましてあげるけど」
「バッカじゃねぇの?正義の味方ごっこもこの辺にしとけよ?数でも実力でもこっちの有利なんだよ、
いきがってんじゃぁねぇぞクソアマが!」
「単細胞ね、こういう余裕を見せてるときって相場が決まってるじゃない。あんた達って本当に下らない生き物ね。正直ゾウリムシとかの方が実験にも役立つからそれ以下かしら」
少女のわざとらしい挑発的な嘲笑に、
「ふざけるなぁぁ!!」
不良の一人はついに常人よりも細い堪忍袋の尾が切れ、我先にと怒号を上げ殴りかかってきた。
(おい!さすがにこれは挑発しすぎだろ!?)
さすがに目のまで喧嘩が起ころうとするのに仲裁に入らないのは、どうかと思い構えていたが、不良の気の短さが自身の予想の一歩も二歩も上を行ったことで出遅れる。
「ちょ、待っ──」
「──これで正当防衛成立かな?本当に単細胞で助かったわ」
何か少女の呟きが聞こえてきたが、無我夢中に走りよろうとしている身としては殆ど聞き取れない。
(間に合え!!)
だが、その望みは叶う片鱗すら見せず。
「うらぁぁぁ!!しねぇぁ!!」
(ダメか!?)
一人の不良の恐拳が少女の顔面へと吸い込まれ──
「うぐぁ!?」
(え!?)
──不良は胸を押さえて冬場の凍てつく地面に蹲った。
「鳩尾だけど、そこまで強く打ってないから安心して……これ過剰防衛にならないかな、平気だよね。うん。峰打ちってやつね」
平然とこの所業を成し遂げた少女は乱れた髪の毛を手櫛でとかし、マフラーを巻きなおしていた。
というか峰打ちって骨は折れそうなんだが、というツッコミは心の内に留め現状の理解に勤める。
不良が大きく振りかぶり、覆い重なる瞬間を見極め右手の突きでカウンターをお見舞いした……ように見えた。
簡単に言えるが、実践でこうも涼しくやってしまう程に何かやっているのだろう。
これがいまいち理解できてない現状を、無理やり理解しようとした結果だった。
「な……ど、どういうことだよ」
丁度向こうだと仲間の背中で死角になっていたのか、理解が追いついていない不良の片割れは立ち竦み、
未だに蹲り苦しんでいる一方に視線を向けて放心状態だった。
「あぁ、言ってなかったけど。物騒な世の中だから日々鍛錬してるのよねぇ。そうだ、こういうのする時ってこれ付けないと落ち着かないわね」
少女が肩に掛かっているバックから無造作に何かを取り出した。腕章だ。風紀委員と書かれている。
(確かうちの学校だと委員はわかりやすいように腕章をつけるとか名目があるけど……なんだろ、すごく……変なデコレーションが多数見受けられる……不細工な鬼?)
「そ、その不気味な鬼の腕章は……!?」
こちらの疑問に呼応するかのように、放心状態だった不良が叫ぶ。
「鬼じゃない!!ウサギ!!全く、どこからどうみたら鬼に見えるのよ、ぷりてぃーできゅーとなウサギちゃんじゃない」
可愛らしく言っているつもりなのだろうが、眉間に皺を寄せて眼を飛ばしている時点で台無しだ。
(正直360度どこから見てもウサギには見えません。百歩譲って……も無理です)
「深岬の鬼神……噂話じゃなかったのかよ……いや、でも女……」
唯々立ち尽くす不良はぶつぶつと呟くばかりで、それ程に今起こった情景が異常だと言うばかりだった。
「それ、もしかして私に言ってる?初耳なんだけど……」
不服そうに眉根を顰める少女の渾名は、不穏な響きを匂わせているのは気のせいではないだろう。
というか今時そんな二つ名みたいなの付くのか、なんだか自分の世界観が今変わりつつあった。
「なにが鬼神だ……ふざけんじゃねぇぞ……」
ようやく喋れるようになったのか、蹲ったまま不良の一人が怨嗟を宿した瞳を少女に向ける。
「まだする気?あたしとしてはもう目的も果たしてるからあんた達に興味は無くなったんだけどね」
少女の視線に倣って視線を路地の奥へ向けると、そこには少年の姿はもう無かった。
「こっちはまだ終わっちゃいねぇ……ぜってぇぶち殺す……ゆるさねぇ……」
既にその不良の目的は少女へとシフトしていて、少年を気に留めてはいなかった。
駆け寄られたもう一人の肩を寄りかかるように貸してもらい、ようやく立っている状態だったが、異様な狂犬の闘志を目にぎらつかせていた。
それに臆することもなく少女は不良達に一瞥をくれる。
「そんな元気あるなら大丈夫か、これに懲りて二度とこんなことしないことね……このセリフって再犯率高める気がしなくも無いけど一応」
そう言うと少女は翻り元来た道、出口に向かって──必然的にこっちの方に向かって歩いてきたのだが、一瞥もくれず冷淡に唯一言。
「何もしない身分はいいわね」
一陣の木枯らしが水のようにコートの上から染み渡る。
上泉春幸高校二年生の冬の出来事だった。