16話
爽は部屋に入ってから、イラついていた。
いきなり帰ってから見せられた光景に腹が立つ。
「なんなんだよっ…何が女に興味ねーだ!あの変態野郎…」
男とのキスも嫌だが、それ以上に誰とでもキスすると思うと余計に
気に入らない。
あの後、二人はどうしたのだろうか?
自分には関係ない。
そう思ってはいたが、キッチンであんな事されると、非常に困る。
なぜなら、さっきからぎゅるるるるぅっとお腹が鳴っているからだ
った。
「もう…部屋に行ったかな?」
こっそりとドアを開けると、目の前に長谷川が立っていて驚いた。
「なっ…なんでここにいるんですか?」
「彩…今日のキスがまだだっただろ?」
「さっきしてたじゃないですか…あんな綺麗な人とキスできてよか
ったですね?」
「あれは関係ない…だからっ…」
触れてこようとした手を叩き落とした。
「その汚い手で触らないでくれます?」
「お前にそれを言う資格があると思うのか?」
「…」
言われてみればその通りだった。
気に入らない…
でも、反論の余地もない。
睨み返すと、力を抜いてまっすぐに見つめた。
「キスしたければすればいい…誰とでもするような奴なんだし?
私にこだわる意味ないですよね?」
「…」
長谷川はそれ以上言わず、ただ、唇を合わせると舌を捻じ込ませて
きたのだった。
気持ち悪いと思いながらも爽は何も考えないようにしていた。
犬にでも噛まれた程度に思えばいい。
男同士なんてノーカンだ。
初めてのファーストキスがこんな変態野郎だなんて思いたくなかっ
たからだ。
何度も啄むようにキスが繰り返される。
いい加減に終わってほしい。
やっと離れると、服の袖で唇を拭った。
「これで満足ですか?だったらもういいですよね?」
「…あぁ」
返事を待たずに横を通り過ぎるとそのままキッチンへと降りる。
食事を済ませると風呂場へと入った。
鍵を閉めて広い湯船に身体を沈める。
「本当に…最低だ…」
どうしてこんな気持ちになるのか?
爽自身も理由がわからない。
彩の代わりになんかならなければよかったのだろうか?
いや、今更そんな事考えちゃいけない。一年…たった一年我慢すれば
それでいいのだから…
こんな贅沢な暮らしができるのだって爽が彩のフリをしているからで
爽だとバレれば、きっとすぐにでも追い出される。
今追い出されたら、行く場所すらない。
親の支援が受けられない以上、バイトで食い繋ぐにも限界があるのだ。
今はただ我慢だ。
そう思うと着替えて部屋へと戻る。
もう、自分の部屋に戻ったのか長谷川はいなかった。
今日見た女性はどこかで見覚えがあった。
あの綺麗な顔立ち…芸能人?
いや…違うだろう。
では、誰だろう?
…そうだっ!その前のパンフレット!
机の上に無造作に置かれたパンフレットを見て思い出す。
南陵大学の生徒会長の顔を…
尚弥が仕切りに綺麗だって連呼していたのを思い出すと、笑いが込
みあげてくる。
「そうか…知り合いだったんだ…」
お似合いではある、見た目だけなら…
あの性格では付き合えるとは思えない。
なら、何か頼み事でもしたのか?
もう騙されまいと思うと、少し心が軽くなった気がする。
どうせ今だけだ…
一年の辛抱だと、それが終われば爽は自分に戻る。
もう二度と会うことはないのだから…
その頃、彩が降りて行った後、部屋を出ようとして長谷川は足を止
めていた。
見覚えのあるパンフレットを見つけるとそれは南陵大学のものだっ
た。
それ以上にパンフレットの横に緑のカラーペンの跡がついていた。
それは会長がいたずらで書いたものだ。
一人何部か渡した後で横のところにカラーペンで色を入れたのだ。
会長のならピンク、副会長なら青、長谷川なら…緑。
と言うことはこの彩の持っているパンフレットは長谷川が持って
いた束からの一枚という事だった。
「どうしてあの日のがここに?」
彩が来ていたのか?
それも知らずに長谷川からのパンフレットを受けとっていたこと
になる。
記憶を探っても渡した覚えはない。
なぜなら最後、門の近くで何人もの女子高生に渡してしまったか
らだ。
あの中に彩がいたのだろうか?
それほど嬉しいことはなかった。
他の誰かではなく自分のを大事にとっておいてくれるという事実
に惹かれつつあったのだった。