10話
緊張する。
目の前にいるのがあの有名な長谷川成政だと思うと、喉がカラカラに
なる。
全く話さない息子と違って成政は饒舌だった。
「彩さん。息子の慎司はどうですか?一緒に暮らし始めてもう2ヶ月
といったところですかな?」
「え…あ、はい…」
「可愛らしいお嬢さんだな?一緒に寝てるのか?」
「…!」
吹き出しそうになるのを堪えると慎司の方を見た。
慎司はいたって顔色も変えずに黙々と食事を口に運ぶ。
「お前は本当に何も語ろうとしないな〜、これではお嬢さんは退屈
するだろ?」
「いえ…別に…」
「お!これはデザートにこのケーキを作ってくれるとは今日は何か
のお祝いかな?」
「いえ…あの、お好きだと聞いたので…」
「君が作ったのかい?」
成政が意外そうに聞いてきたので頷くと慎司の時より大袈裟に驚く。
「それはすごいな。君は実に気が利くようだ」
褒められているのだろうか?
それとも…
「あんな堕落した両親が勧めてきた娘さんだったが、悪くない。慎司
お前はどうだ?このままここに置くか、いらないようなら別の人間
に変えるのもありだぞ?代わりはいくらでもいるからな」
そうだろうとは思っていた。
慎司の答え次第で追い出されると言う事らしい。
ただ頷くしかしないこの男に期待などしていない。
できる事は父親の成政の好感度を上げる事だ。
「飲み物が少ないですね。お継ぎしましょうか?」
「おぉ、気がきくな?本館で家政婦として雇ってやってもいいぞ?」
「え…それはどう言う…」
「まぁ、慎司の読め探しだったが、こいつは誰にも興味を示さないか
らな〜、無理矢理一緒に住まわせたんだ。いろんな女をしればどれ
かしら手放したく無い女ができればいいと思ってな。今日はそれを
確認しに来たんだ。慎司どうだ?」
「あ、あのっ…私を本館で…」
「このままここに置いておいてくれ」
「…」
「…」
慎司が一言言うと、そのまま部屋へと戻ってしまった。
せっかく本館へ移るチャンスで、確実に身の安全を確保できる予定だ
った。
それに家政婦となれば性別をばらしても問題もない。
はずだった。
が、慎司の余計な一言で、目の前の成政が大笑いをしている。
(あ…これは詰んだ…)
逃げるどころか、このままの生活が続くことを意味していたからだ。
「慎司のやつがあんな事を言うとはな〜、彩さん、君は本当に面白い」
「いえ…」
「どうやってあの慎司を懐かせたんだ?」
「そんな事は何も…」
「そうか?どれだけ多くの女と合わせても全く興味すら持たない奴が
あんな事を言う日が来るとはな〜、実にいい日だ。」
終始嬉しそうにワインを開けると一本飲み干してしまった。
酔っ払いに付き合わされる方は冗談じゃない。
爽は早く帰ってくれと願うばかりだった。
帰り際、ぎゅっと手を握られると酒の臭いがむわって漂って来た。
「彩さん、これからも慎司の事よろしくお願いしますよ?もし、浮気
するような真似したら…慎司と同じ部屋での軟禁する事になるので
そのつもりでいてください」
「えっ…」
最後に爆弾発言をされると帰っていった。
後片付けは明日の朝にやると言って帰っていったお手伝いさんに、愚痴
の一つでも漏らしたかった。
洗い物を終えて片付けるとちょうど二階の階段で慎司とばったり会った。
「帰ったか?」
「さっき帰ったよ。なんだよ、あれは…」
「ここを出ても行くところないんだろ?」
「それは…そうだけど……」
「なら、このままここにいればいい。変な女がくるよりはお前のがマシだろ」
「マシって…」
「何もしなくていいんだろ?僕はデートしろとか、気を使うのが嫌いだ。だが、
お前は何もしなくていいと言ったな?」
「あぁ、できれば干渉してほしくない」
「同感だ。こうしようじゃないか。これからはお互い干渉しない。親の前でだけ
婚約者らしいふりをすればいい」
「分かった」
そう言われると少し寂しい気もするが、その方が楽でいい。
会話も最低限。
会うのも食事の時だけ。
話だけ合わせればなんの問題もない。
理想的な同居人だった。