一班の修復師たち
「馬、乗ったことないです」
フェリクスはにこにこと「また練習しようね」と言って、私を一緒に乗せてくれた。
結構な高さに少しお尻が寒く感じた。
「馬に乗れないといけないのですか?」
「修復師は現場に駆け付けるのに速さが勝負になるからね」
そう言えばそうだ、と思った。
生まれ育ったペトラ村から出るのは初めてだ。これから暮らすことになるヴェルゲの街まで馬で半日程の距離である。
今回の魔物に対処するためにやって来た騎士達と一緒に馬で移動した。私はフェリクスの馬に一緒に乗せてもらった。後ろから修復師のボサボサ頭のマルクの馬が付いて来る。
「ひぇ、高い、怖い……」
「大丈夫、僕にもたれ掛かっていればいいからね」
フェリクスの前に乗せられ、フェリクスの腕と胸に挟まれて安定しているのに、揺れが怖い。
なのに、慣れてくると疲れが一気に出て、時々眠ってしまっていたらしい。
「ほら、リリーちゃん、起きようか。ヴェルゲの街が見えて来たよ?」
フェリクスに言われて目を覚ますと、高い塀が延々と連なっているのが見えた。
「え、街ごと塀で囲まれているんですか?」
「獣、魔獣、それに盗賊や敵兵が入り込まないようにね」
「わ、大きな門!」
「騎馬隊が駆け抜けられないといけないからね。日が落ちると閉門して、昇ると開門だよ」
自他ともに認める田舎者なので遠慮なくキョロキョロする。
門を入ると大通りがあって、両側には立派な建物が並んでいる。
「ほえぇ、立派な建物」
「これが僕たちの住むところだよ。王国騎士団の西駐屯地だ。王都を除けば一番大きな基地だよ」
「門から近いんですね」
「何かあったら直ぐに出ていけるようにね。もう少し向こうの街の中心部にはお店が多いから、また休みの時に遊びに行けばいいよ」
煉瓦造りの建物の門をくぐると大きな厩舎があり、馬から降ろされた。
レンガ造り建物がいくつもあった。そのひとつにフェリクスたちと向かう。
「この建物が我々修復師の拠点だよ。修復師棟って呼ぶんだ。住むのも勉強したり練習したりするのもここだよ」
「こんなカッコイイ所に住めるんだ……」
うしろからマルクのぶつぶつ言う声が聞こえる。
「牢獄の方がマシかも……」
修復師棟のレンガの建物の重厚な扉を抜けるとまず広いホールがあった。天井が高い。
「すごい……」
思わず出した声がホールに響いた。ホールには何人かいたが、こちらを向く。
「フェリクス班長、お疲れ様です。」
声をかけてきたのはゴリマッチョのお兄さんである。
「はぁい、ゲラルト君、こちらは変わりない?」
「今は二班、五班は修復に出ています。残りは待機中です。その子は?」
「新しい見習いのリリーちゃん。うちに入れるよ。」
ゲラルトが目を剥いた。
「は?そんな子供の新人を精鋭の一班に?そんな馬鹿な」
ゴリマッチョに睨みつけられた。
ひぇぇ、怖いよ……
「オスカー君戻ってるかなぁ?」
フェリクスはゲラルトの視線を無視して続ける。
「あ、はい。小一時間ほど前にお戻りに」
「うん、ありがとね」
フェリクスとマルクに続いて奥の通路を進みながらちらりと振り返ると、先ほどのゲラルトが不満そうにこちらを睨みつけていた。
「あの、精鋭の一班って」
「ああ、気にしないで。リリーちゃんは才能あるから大丈夫」
フェリクスはにこっと笑った。
笑顔が胡散臭く感じた。
絶対嘘だ。適当な事言ってる!新人が精鋭な訳ないじゃん!
大丈夫じゃないんですけど!小さな穴しか塞いだ事無いし、馬も乗れないんですけどー!
マルクがぼそっと呟くのが聞こえた。
「精鋭……聞こえはいいけど、一番キツイ班じゃん……」
えええぇ
とんでもない所に連れてこられたんじゃ……
『一班』との表示のある扉を開けるとフェリクスが私を手招きした。
「ようこそ、一班のホームへ。リリーちゃん」
中に入るとこちらを見て目を丸くしている男の人がいた。十五歳くらい?騎士服をピシッと着ている美形、実にかっこいい。
「班長、誰連れて来たんです?」
「オスカー君、この子は新人のリリーちゃん。修復師になりたいんだって」
「見習いですか?見習いは研修所に連れて行ってください」
「いや、見習いだけどこの子は即戦力。もう自分で術具を出せるし、修復も出来るからね」
オスカーというその騎士はまた目を丸くした。
フェリクスはにこりと笑った。
「オスカー君、この子の指導係、よろしくね」
「はぁぁぁっ!お断りです!何でも厄介ごとは俺に振ればいいと思ってるんじゃないですか!」
フェリクスは肩をすくめた。
「僕が教えるよりきっと良い修復師に育つと思うよ」
「当たり前です!でもお断りです!班長、何でも俺に振ればやると思ってませんか!今回もペトラ村の大きい裂け目修復してクタクタなのに次の修復依頼、近くだからって俺一人に丸投げしましたよね!」
「オスカー君なら若いし、一人で修復できるじゃない」
「結構な大きさでしたよ!他の班なら三人以上で当たりますよ!」
「ホント出来る子だね、僕の見立てに間違いはないねぇ。まぁ指導係はもう決定ね。班長命令」
私は目の前でがっくりと項垂れるこの美形を怖々見つめた。
「あの、その、リリーです。よろしくお願いします」
美形がギロリとこちらを睨んだ。めっちゃ怖い!
「はぁぁ、なんだってこんな事に……」と言いながら美形はぐったりとソファーに沈み込んだ。
マルクは「寝る」と言うとひとつの扉を開けて中に消えた。
よく見ると、この居間のような部屋には入ってきた扉以外に四枚扉がある。マルクが消えた扉の上には『マルク』と消えそうな字で書かれた名札が掛かっていた。
フェリクスは一人用のゆったりとした椅子に座ると、背もたれを倒してブランケットを被り、寝る体勢だ。『フェリクス』と書かれた部屋もあるようだが、帰らないらしい。もう一枚の扉には端正な字で『オスカー』と書かれていた。最後の扉は名札が無い。良く見ると、もう一つ小さめの扉もあった。
私はどうしたらいいんだろう?
キョロキョロしていると、美形のオスカーが椅子を一つ指さしたのでそこに座る。
「年は?」
「十歳です」
「学校は?」
「教会学校だけです」
「馬は乗れるか?」
「乗れません」
「一応聞くが、剣を触ったことは?」
私はぶるぶると頭を振った。剣?どうしてそんなものが必要なんだろう?
オスカーにそれは深いため息をつかれた。
「……朝、日の出で起床。騎士団の朝練に混ざれ。朝食後から乗馬訓練。午後は勉強だ。文字・計算から地理・生物学・植物及び薬草学、外国語。それぞれ手続きはしておく。夕方、また騎士団の夕練に混ざれ」
目が回りそうだ。
「修復の訓練は無いのですか?」
「穴が無ければ練習もできないだろうが。ああ、術具が出せるんだったか、信じられないが……ちょっと見せてみろ」
先ほどの話の流れから言うと、私が出したハンカチもどきが術具なんだろう。
私は掌を拡げて小さめのハンカチをイメージして具現化させた。白く光る布が私の手に現れる。オスカーはそれを見て、目を瞠った。
「確かに、出来ている。信じられん……誰かに教わったのか?」
「いえ、自分で考えました。初めは本当のハンカチを使ってたんですけど、持ってない時があって」
「それをもっと大きく、早く出せるように空いている時に練習しろ」
私は頷いた。
「それと緊急呼び出しがあれば何を置いてもホール集合だ」
「呼び出し?」
「けたたましい笛で呼ばれる。どこかに裂け目が出来た時だ」
ちょうどその時、ピリピリピリーという強烈な笛の音が聞こえた。
「これだ」
「じゃあ、今からホールに集合するんですか?」
「うちは帰って来たところだから一日は免除される。休養日と呼んでいる」
外の廊下を走る靴音が部屋の中にも聞こえてきた。
ドキドキするが、フェリクスはブランケット被ってピクリともしないし、マルクも出てくる気配が無い。
オスカーに板切れを渡された。
「名前書いて」
ペンをインクに浸して渡される。
リリー、と書く。
「字はマシだな」
オスカーはその板切れを取ると立ち上がり部屋にある扉の一つに向かい、その板を表札部分にはめ込む。名札の無かった最後の扉である。
「この部屋を使え。荷物は?」
小さな背負い鞄を見せた。またも目を丸くされた。
「着替えから俺が面倒見るのか……」
オスカーは頭を抱えているようだが、私はそれどころではない。開けられた扉の中を見て、私は新しい自分の部屋に興奮してしまった。
私一人の部屋!
広いベッド!
私だけの机!
信じられない、部屋に洗面所がある!
私専用の水道の蛇口!
「その水は飲めないぞ。顔や手を洗う為のものだ」
家では考えられなかった。水を共同井戸から汲んで運ぶのは私の役目だった。ベッドは小さく、弟たちに蹴られながら寝ていたのだ。
嬉しくて顔がにやけてしまう。
ベッドに飛び込もうとしたら、オスカーに襟首を掴まれた。
「先に服とシーツだ。備品庫に行く」
居間に出ると、フェリクスが眠っている椅子の向こうにある小さめの扉を指さされた。
「あれがトイレだ」
「この部屋の人だけのお手洗いですか?」
私は目を丸くした。
「そうだが」
「頑張って掃除します!」
オスカーが頭を振った。
「トイレも居間も掃除人が入る。個室は自分でやれ。掃除道具は部屋の洗面の下にある」
「掃除人……」
信じられなかった。何だろう、この待遇の良さ。
「風呂は男女別でこの建物の地下にある。」
風呂ぉぉぉ!!
盥にお湯を入れた風呂もどきしか使ったことないよぉ。
ここは天国でしょうか?
修復師棟の地下にある備品庫に連れて行かれると、職員のお姉さんに丸投げされた。
「エルマ、修復師見習いのリリーだ。一式頼む。リリー、俺は明日からの手配に回るから、備品貰ったらお前は部屋に戻れ。」
それだけ言うとオスカーは踵を返して出て行ってしまった。エルマさんは肩をすくめると私に向き直る。
「一式ね。リリーちゃん、下着は持ってるの?」
「エルマさん、持ってきたのはこれだけです」
「エルマ姉さんとお呼び。この棟では貴重な女性仲間よ。仲良くしましょ」
背負い鞄を下ろして中を見せた。エルマ姉さんは手早く中を改めると、「そこで座って待ってなさい」と言って奥に消えた。
目の前にはカートがあった。その中にエルマ姉さんが次々に品物を入れていく。
騎士服が3種類ほど、靴も3種類、これらは試着させられた。試着を手伝ってくれたエルマ姉さんは叫ぶ。
「痩せすぎよ!もっと食べなさい!」
確かに目の前のエルマ姉さんはボン、キュッ、ボンッと色っぽい。
仕方ないじゃないか、私はまだ十歳で、毎日弟たちと食事を分けて食べてたんだから!
鞄、下着、部屋着、靴下、タオル、シーツ、毛布、枕カバー、洗面器、歯ブラシ、コップ、ノート、インク、ペン……
「足らないものはまた都度言いなさいね。部屋に入れたらカート返しに来て」
「お洗濯ってどうしたらいいんですか?」
「洗濯人に出すのよ。部屋に洗濯物を入れる籠があるからそれに入れなさい。仕上がったら籠に返してくれるわ」
「へ?パ、パンツもですか?」
「自分で洗いたいなら部屋の洗面所を使って、部屋に干すしかないわね。でもあんたまだ子供じゃない。恥ずかしがる事無いわよ。全部出しちゃいな。それともチビちゃん、寝小便癖でもあるの?」
私は慌てて首を横に振った。
スロープを通って一階へ戻り、一班の待機部屋に入ると爆睡中のフェリクスを起こさないように静かにカートを押し、そっと自分の部屋に入る。
クローゼットに服を吊るしていくが、顔がにやけていくのを止められない。
嬉しい!私の部屋!私の騎士服!
どこに置こうと悩むのも楽しい。
荷物を全て片付けて、ベッドにシーツや毛布をセットする。カートを備品室へ返し、再び部屋に戻り、靴を脱ぎ棄ててようやくベッドにダイブした。
くるくると転がる。
ひっろーい!柔らかーい!いい匂い!
オスカーが諸手続きを終わらせ、私の部屋に来た時、私は爆睡していて何をしても目覚めなかったらしい。