リリー十歳 魔物襲来
私は十歳になった。
自分で工夫しながら穴を塞いでいるうちにそれなりの大きさの穴も塞げるようになってきていたが、相変わらず家族には秘密にしていた。それなりの大きさと言っても、人の頭が通らない程度の穴ではあるが。
穴が大きくなってくると、這い出そうとしてくるモノが凶悪になってくる。
その日は弟たちと野原で薬草摘みをしていた。そろそろ帰ろうと思った頃、ぞわぞわした感覚に襲われ、鳥肌が立った。この感覚はどこかに裂け目が出来たのに間違いない。
「穴だ。どこかに穴が開いた」
上の弟ニックが目を輝かせた。
「あな!どこ!ぼくがふさぐ!」
ニックに一度修復現場を目撃されて以来、しつこく聞かれ、小さな穴を塞がせたことがある。だが、ニックには塞ぐ事は出来なかった。リベンジに燃えているニックなのだが、今回は怖気立つ感覚がいつもの比ではない。
「駄目!ヤバそう!逃げよう!騎士団に連絡しなきゃ……」
薬草の籠を投げ捨て、下の弟のテオをおんぶすると、ニックの手を掴み、引きずり走り出した。
ヤバいヤバい、これはヤバい!
「おねえちゃん、うしろすごいヨ」
背中のテオの声に走りながらちょっと振り返る。
「!!!!!!」
遥か後方ではあるが、縦に大きく長く割けつつある大きな亀裂がこの距離でも見えた。
あの大きさなら、一体何が出てくるか分からない。大型魔獣でも通れる。
緊急事態だ!
首にかけている笛を咥える。
ピィーーーーーーーーー!
必死で吹く。何度も吹く。そして走る。
農作業から顔を起こした人がいた。
「おばさん、逃げて!大きな裂け目が出来た!」
「なんだって!」
畑仕事をしていた人たちも鍬を持ったまま駆け出す。
「どっちだ!」
「あっち!でも裂け目大きすぎるよ!」
「本当か!騎士団だ!騎士団に連絡だ!」
おじさんも首に掛けていた笛を吹く。笛が聞こえた遠くの人が自分の笛を吹くのが見えた。
村まで駆けてきて、家に飛び込む。その頃はそこら中で笛がピーピー吹かれ、村全体を緊張感が覆っていた。
「お母さん!大きな裂け目が出た!」
身重の母も、周りの笛の音で異常事態を知ったらしく、地下室への持ち上げ式の扉を開けて、中に食料を投げ入れていた。
「リリー!良くニックたち連れて帰って来たね!早く地下室へお入り!」
向かいのおばさんが駆け込んできた。
「うちの地下室の扉が壊れちまってて、閉まらないんだ」
「うちのに一緒に入って!」
私は周りを見回す。
「お父さんは?」
「さっき自警団と一緒に行ったよ。きっとお父さんが守ってくれる」
私は震えが止まらない。
「見たことないくらい大きな裂け目だったの。お父さん、大丈夫かな」
その時外を何頭もの騎馬が駆けて行った。
「やれやれ、騎馬隊が間に合った、きっと大丈夫だよ」
向かいのおばさんが言ってくれたが、まだ震えは止まらない。
地下室で母やおばさん、弟たちと息をひそめて隠れていた。
途中何度も魔獣の叫び声がした。地響きもした。
窓か玄関の扉が壊れる音がした。家の中を引っ掻き回す音が地下に響く。
地下室への持ち上げ式扉のすぐ上に気配がして、何度か扉を持ち上げようとしたり、扉の上で跳ねたりしたようだが、頑丈な扉はそれに耐えきった。
そのうちその魔獣は出て行ったようで、気配が消えた。
全員でほーっと息を吐きだした。
「魔獣が出て来るほどの大きな裂け目なんて、久しぶりだよ」おばさんがぼやく。
「本当に。でも、国中でもここらは特に良く裂け目が出来るらしいですよね」
母がテオをあやしながら相槌を打つ。
「その分、税が安いからねぇ。おいそれと引っ越しも出来ないねぇ」
この村では皆が危険をいち早く知らせるための笛を常に首からぶら下げている。そして、ひとたび裂け目が出来たらそれぞれがどう行動するのか、家族で話し合っていた。
私の家では、笛を聞いたらとにかく家に帰り、地下室に隠れる。家に帰るのが間に合わない時は、どこかの家に飛び込んで、地下室に入れてもらう。行き違いになる可能性が高いので、探しに出ないのがルールだ。
「食べられる時に食べておかなきゃ」
地下室の小さなろうそくの灯りで食事も摂った。残念ながら排泄は桶にする。テオは母の膝で寝たようだ。ニックと私は一つの毛布にくるまっていた。
何時間経ったろうか。
地下室の扉が外からノックされた。
「誰かいますか?」
声が聞こえて、みなホッと息を吐きだし、母が返事をする。
「ええ、大人二人、子供三人います」
「魔獣は全て退治して、亀裂は修復されました。もう出てきて大丈夫ですよ。」
階段を上がって重い扉を開け、部屋に出ると、そこは惨憺たる有様であった。
「うわぁ……片付けが大変だ」
魔獣がどうも窓から飛び込んで暴れ回ったらしい。獣臭く、あちこちひっくり返り、黒い毛と羽が散らばっていた。
声をかけてくれたのは騎士だった。神妙な面持ちをしている。
「奥さん、その、良くない知らせがあります。ご主人ですが、怪我をされまして」
ドクンと私の心臓が跳ねた。
母は目を見開いて、抱いていたテオを私に渡した。
「リリーごめん、ちょっとテオ見てて。主人が怪我したのですか?どんな怪我でしょう?」
「足を魔獣にやられて、今、出張所で回復術師が診ていますが」
「命の危険があるのですか?」
詰め寄る母にも騎士は冷静に言葉を続けた。
「命の危険はありませんが、右足は諦めないといけないようです」
母は呆然とした。
「足……」
「死なないのね!良かった!」
私は無邪気にそう思ったのだが、向かいのおばさんが首を横に振った。
「働けなくなっちまう」
「どうしましょう、私もしばらく働けないわ」
大きなおなかをさすりながら母が絶望的に呟いた。
「国からいくらかは助けがありますが、残念ながら昨今被害者が多すぎて、一人当たりが十分な手当とは言えません」
騎士の言葉に母はまた呻いた。
「ああぁぁぁぁ、どうしましょう」
うちは全く裕福ではない。カツカツの生活をしている。私だって、上の学校は諦めたのだ。
でも父も母も働けないなら、私が稼げばいいんじゃない?
私は騎士に尋ねた。
「ねえ、修復師ってお給料高い?」
騎士は子供が一体何を言うのか、というような眼をしたが、頷いた。
「高給だよ。出来る人が少ないのに、あちこちで必要とされているからね。」
「じゃ、あたし、修復師になる!」
母が目を剥いた。
「リリー!あんたまたそんな事言って!」
「だって、小さな穴なら塞げるよ、私。」
騎士がまさかというように肩をすくめた。
「お嬢ちゃん、残念だけど、そんなに簡単に修復できるものじゃないよ」
「おねえちゃん、あな ふさげるもん!ぼくなんかいもみたもん!」
ニックが横から叫ぶ。
騎士が訝し気に母を見た。
母の声は躊躇いがちだった。
「その、以前修復師の方がこの子を見てくださって、修復師を目指すのなら騎士団に声を掛けろと仰られたようで……」
騎士は瞠目し、私と母を代わる代わる見た。
それからの騎士の行動は素早かった。
あっという間に騎士団出張所に連れて行かれ、今回の騒動で村に来ていた修復師に引き合わされた。
「あれぇ、前見たおチビさんじゃないの」
「フェリクス殿、お知合いですか?」
「知ってるよぉ。なかなかの素材を持つお嬢ちゃんだったねぇ。おうちの人に修復師になる許可貰えた?」
私は頷いた。確かにこの人は前に私に修復師になれそうだ、と言ってくれた人である。
「ならないと、家が大変なの。お父さん、怪我しちゃったみたいなの。修復師って沢山お給料貰えるのよね?」
「あははっ、貰えるよ。どっさりとね」
「じゃ、なる!」
「名前、教えてくれる?」
「リリー!」
その時、後ろから厭味ったらしい声が聞こえた。
「そう簡単になれるもんじゃないってのに……」
振り向くと私と同じくらいの男の子がいた。ボサボサの髪を無造作にひとつにくくって陰気な感じ。
「誰?あんた」
返事もしてくれない。ぷいとあちらを向いてしまった。
「この子も修復師だよ。マルクって言うんだ」
マルクの手から不思議に光るリボンが紡ぎ出されている。
見た瞬間に分かった。
私の修復用の布と同じ光だ……
でもリボンでどうやって穴を塞ぐんだろう?
「ねえ、そのリボンって……」
そう言いかけた瞬間だった。
また肌が粟立つ感覚がした。何度も感じた空間が裂ける感覚。
慌ててきょろきょろと場所を探す。
絶対近い!
フェリクスも目の前のボサボサ頭のマルクも何か感じたようだった。
私は駆け出した。フェリクスが追い付いてきた。
「リリーちゃん、場所がわかるの?」
「大体の距離と方向だけ」
「へぇ、大したもんだね」
農道のど真ん中にその穴は浮いていた。
蠢き、押し拡がろうとしていた。が、大きさは親指と人差し指で丸を作った位である。
このサイズなら塞げる。
「これ、私にやらせて」
「出来るのかい?」
「これくらいなら」
私はもう、最近ではハンカチを使わない。ハンカチを持っている気になって、両手で布を形作るように動かす。ハンカチがあるかのように平面が輝き始めてハンカチの形になった。その輝き方は先程見たマルクのリボンと似ている。それを穴に押し当てた。
「へえぇ、もうイメージだけで術具を出せるんだねえ」
フェリクスが何か言っている。
「ふさがれ、ふさがれ、ふさがれ……」
きらり、と光って布が消えうせた。その時には穴も塞がっていた。
ふう、と一息ついてフェリクスを見上げた。
「どう?」
「上手いもんだよ。即戦力だね。明日からうちの班においで」
「明日から?」
「そうだよ。このペトラ村にいるのは今晩迄だからね。おうちの人ともお話させてもらうね。」
フェリクスと一緒に家に帰り、事の次第を説明すると、母に抱きしめられ、弟のニックに泣かれた。
「まずは見習いから始めますが、給金はしっかり出させますよ。危険が無いとは言えませんが、騎士たちが誇りに掛けて守ります。取り敢えずの支度金というか、リリーちゃんの給金の前払いです。」
そう言ってフェリクスは貨幣の入った袋をテーブルに置いた。
「この村で使いやすいような種類の硬貨にしておきました」
母が「失礼します」と言って中を改めて目を丸くした。
「こんなに?」
「それで見習い給金ひと月分位ですね。後は本人が休暇の度に運べばいいでしょう。当面、足りますか?」
母は頷いた。
「十分です。助かります」
そう言うと母は私にキスをして、もう一度抱きしめてくれた。
「ありがとう、リリー。本当にありがとう。フェリクスさん、お転婆で言う事聞かない娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
「おねえちゃん、おうちのかたづけ、ぼくがんばるぅぅぅ」
私はぽろぽろ涙をこぼすニックをぎゅっと抱きしめた。
「お母さんのお手伝いをしっかりしてね!テオを見てあげてね!」
「ぐすっ、うん、がんばる」
父には診療所に会いに行った。父は治療を終えてまだ眠っていた。右足が膝から無くなっていた。
「お父さん、私、修復師になるね。頑張るから、お父さんも頑張ってね」