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祈り   作者: sing
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祈り 第二話

祈り 第二話



「それほど強いお酒ではないけど、リラックスはできると思いますよ」


そう言って河野は、オレンジジュースの様な飲み物を私の前に置いた。


「何?」


「スクリュードライバーです」


「ウォッカだ」


「御名答」


河野はそう言ってバンドの控え室を出て行こうとした。


その河野に私は声を掛けた。


「ねえ…河野君って、泣いてる女の子を置き去りにして帰っちゃうタイプなの?」


「いえ、帰りませんよ。最後に戸締りをして帰るのも僕の仕事なので」


クソ真面目…そんな言葉が頭に浮かんだ。


バンドマンの東とは、明らかに違うタイプだ。


「だったら一杯付き合ってよ」


柄にもなく、私は甘えた声を出してみた。


河野は一瞬考える素振りを見せた後「追い掛けなくて良いんですか?東さんのこと」と言った。


「今日で終わったの…もう二度とあの男の後を追うことはないわ」


私の言葉に河野は深く頷いた。


そして…。


「人目が有りますから、ここで飲むってことでも良いですか」


と言った。


それはそうだ…おそらく河野にだって彼女くらいは居るだろう。


「そうだよね…河野君だって彼女にバレたら厄介だもんね」


私はそう言って鼻をかんだ。


「ご心配なく、彼女は居ませんから」


そう言って笑う顔もとても爽やかだ。


私は少しだけ華やいだ気持ちになっていた。


「ウヰスキーで良いですか?」


河野の言葉に、私は無言で頷いた。


直ぐに河野はトレンチにアイスペルとウヰスキーを乗せ、もう片方の指先に3本のミネラルウォーターを摘んで現れた。


さすがにヘッドウエーターだけあって、その身のこなしが美しい。


たった今、東の浮気を責め5年も続いた恋に終止符を打ったばかりだと言うのに、早くも恋の予感にときめいてる自分がいた。


「なんだか頬っぺたが熱くなっちゃった」


赤く染まった頬をお酒のせいに誤魔化した。


「軽めのカクテルと言ってもウォッカベースですからね、そこそこ回りは早いですよ」


河野が私の照れ隠しを受け入れてくれた。


良いやつだな…素直にそう思えた。


恋の予感は決してスクリュードライバーに酔ったからじゃない…。


「水割り?」


私は聞いた。


「お気遣いなく、僕はロックで飲みますので」


そう言いながら河野はオールドファッショングラスに琥珀色の液体をたっぷりと注いだ。


「ねぇ、河野君っていくつなの?」


私は河野の事をもっと知りたいと思った。


「むっちゃんよりは年下ですよ」


「なんか気になる言い方…」


私は膨れてみせる。


「一応ホールの責任者ですから、ゴールデンズのプロフィールくらいは頭に入ってますよ」


悪びれない河野。


「いくつ違うの?」


執拗な私…。


「2歳下です」


「って事は33か…ねぇ、その話し方なんとかならない?」


「気に触る話し方ですか?」


「そうじゃなくて…今日はさ、もっとフランクに飲みたい気分なのよ…友達同士で…」


そう、私はこの河野ともっと親しくなりたい…そう思い始めていた。


「すみません…僕とむっちゃんが友達だったなんて知らなかったもので…」


河野の返事が面白すぎて、私は心から笑う事が出来た。


たった今まで抱いていた恋の終わりの悲しみや、一緒に音楽を楽しんでいた仲間に裏切られた悔しさも、今はどこにあったのかも思い出せない。


私の涙が、可笑しすぎて溢れる涙に変わった。


「じゃあ、たった今から私を親友の一人に加えてくれる」


「光栄です」


「ほら、その言い方!」


私は可笑しくて、また涙が出るほど笑った。


「OK、無礼講って事で良いかな」


河野の口調が変わった。


「その調子」


二人で笑った。


「じゃあ、質問のNGも無しでいい?」


「もちろん」


私は河野の質問に即答で返した。


「喧嘩の理由は?」


「浮気よ」


「むっちゃんの?」


「そんな訳あるわけないでしょ!」


私はキリッとした目で河野を睨む。


「冗談だよ、じょ、う、だ、ん」


また笑った。


「相手は分かってるの?」


「切り込んでくるね〜」


お酒が進むにつれ、お互いの遠慮が消える。


「分かってるよ…」


私は答えた。


「聞いていい?」


「聞いてどうするの」


「好奇心かな」


「河野君もわりとゲスなタイプなんだね」


「いやいや、むっちゃんほどの女性と別れる危険を冒してまで、付き合いたい女ってどんな人かなと思ってさ」


「あれあれ、もしかして今日なら私の事口説けるとか思ってない?」


答えたくない質問は冗談で返した。


それでも…男と女…冗談で言った言葉も、冗談にならない時もある。


河野が真顔になる。


その緊張が私にも伝わった。


私は息苦しささえ覚えていた。


「何?」


私は言った。


「いや、何でもありませんよ」


「またなんで急に敬語?」


「いやいや…理由なんて特には」


そう言って河野は笑った。


「笑って誤魔化してる」


「そうじゃないって…ただ…」


「ただ何よ」


私もどうかしてる…。


話の流れから言って、この後に河野が口にしようとしてる事も察しがつくと言うのに。


「僕がこの店の面接を受けた理由って知ってるよね?」


「もちろん知ってるわよ」


2年前…出勤すると同時に畑山支配人から呼び止められた。


「むつみぃ、面白いやつが面接に来たぞ」


「バーテン?」


「いや、ウエイターが希望らしい」


そう言いながら、畑山支配人はニヤニヤ笑いを消さない。


「支配人、なんかすっごいエロ親父みたいな顔してますよ」


「実際エロ親父だからなぁ、ところでどんな奴か気にならんか?」


支配人にそう聞かれても、お店のバーテンやウエイターにどんな人が入ろうと気にはならない。


「あんまり興味ないかなぁ、笑える感じ?」


「笑っちゃいけない感じかな」


勿体ぶって言葉を濁す畑山支配人に「どんな人ですか?」と聞き返すのも大人の付き合いだ。


少し面倒な思いを抱きながら「どんな人ですか?」と私は聞いた。


「履歴書の志望の動機によ、近藤むつみのファンだからって書いてあってよ」


「え〜!そんな奴採用するの?」


私は大袈裟に驚いて見せた。


「学歴もしっかりしてるしよ、断る理由はないよ」


そう言って畑山支配人はガハハと笑った。


就職しようと思えばどんな企業にでも就職できる学歴を持ちながら、河野は近藤むつみのファンと言うだけでこのナイトクラブの門を叩いた。


物珍しさで直ぐに噂になった。


河野もそれを隠そうとはしない…。


「私のどこが良くて応援してくれてるの」


私はストレートに聞いてみた。


「知り合いの喫茶店のママに連れられて初めてこの店に来た時…むっちゃんがブレンダ リーの『if you go a way』を歌ったんだよね…俺も割と真面目に音楽をやってた時期があって…その歌を聴いた瞬間電気が走ったって言うか…ずっと見ていたいって思ってさ…それまで働いてた会社を辞めてここに面接…」


そこまで行って照れ隠しなのか、河野はくすくすと笑い出した。


「何がおかしいのよ…私、今泣きそうなくらい嬉しいのに」


私の顔に、また泣き顔が張り付いた。


「泣かせたくて言ったわけじゃないよ」


困り顔の河野…。


「うん、分かってるよ…あれ?もしかしてゴールデンズのショータイムの照明やってるのって河野君?」


私は前から気になっていることを聞いた。


「えっ、そうだけど」


「やっぱりそうなんだ…私前から思ってたんだけど、照明と歌のタイミングがバッチリ有ってて、この照明をやってる人、音楽を分かってるなってずっと思ってたの」


「へー、そんなの分かるんだ」


河野が不思議な顔をして居る。


「楽器は?」


「ギターなら」


ここはバンドマンの控室…ギターなら幾らでもある。


「弾いてよ」


私は言った。


「簡単なのでいいかな」


そう言って河野が弾いたのは「stand by me」だった。


河野の弾くギターは、本気で音楽をやった経験があると自分で言うだけあって、とても上手だった。


河野のギターに合わせて私は「stand by me」を歌った。


とても歌いやすかった。


そして私は…また少し河野を好きになっていた。


ねぇ河野君…君が弾いた「stand by me」って歌の直訳ってどう言う意味か知ってるの?


『そばにいてくれよ』君は私の前でそう言う意味の歌を奏でたのよ…。


河野と二人だけの宴は朝まで続いた。


抱かれてもいい…そう思える夜だったと言うのに、河野は私をタクシーで送った後、あっさりと帰って行った。


「寄ってく?」と言った私に「恋の終わりと新しい恋の始まりが同じ日じゃまずいでしょ?」と言って河野は笑った。


その言葉だけで私は静かな眠りにつくことが出来た。


河野も…恋の始まりを予感してくれたのだと思うことが出来たから…。


ベットに入って電気を消した。


そして…私は河野の下の名前を聞くのを忘れた事を後悔していた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 銘尾友朗様の「冬の煌めき企画」から拝読させていただきました。 深みのある大人の恋愛ですね。 読ませていただきありがとうございます。
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