夢
「わたくしが、ですか。」
「あぁ、…アリス。本当にすまない」
ずっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳。その持ち主たる黒髪の青年は悲しげに眉をひそめながら言う。
⎯⎯⎯⎯物語はいつもそこから始まるのだった。
少女はそんな青年を励ますように微笑み、「大丈夫ですわ、お兄様」と答えた。
「わたくしは、この国のために王女として役目を果たすだけですわ。どうか、そのようなお顔をしないでくださいませ」
少女の言葉に青年はただ「すまない」と繰り返すのだった。
少女の名前はアリスティア・ローゼンメイン。まだうら若き16の乙女だ。
小さな王国の第五王女として産まれた。非常に美しい白銀の髪を持つ娘だった。しかし、珍しいオッドアイの彼女はその容姿から母親に気味悪がられていた。
そんな彼女を救ったのが異母兄である第一王子だった。彼は彼女の瞳を大層気に入り、彼女を可愛がった。彼女も兄を慕い、兄のためなら何でもした。幼い頃から他人に恐れられていた彼女は兄により初めて人として生きることができた。彼女は本当に幸せだった。
しかし、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。
それは兄が国王に即位したことから始まった。
他国が即位による緩みに乗じて王国に攻めてきた。始めは優勢だった王国であるが、国内での内乱が起きたことで事態が一変。王国は絶体絶命の危機に陥ってしまった。
そんな中、手を差し出してきたのが大国アルスタンであった。大国アルスタンが手を貸せば、戦争に勝つことができるだろう。
しかし、そこには条件があった。それは第五王女のアリスティアをアルスタンに嫁がせろ、というもの。
兄としてアリスティアを一等大切に想っていた国王は、非常に苦しんだ。即位したばかりで、状況が悪くなる一方。ここでアルスタンと関係を持っておくのは悪くはなかった。むしろとても好都合だった。
アリスティアの嫁ぎ先としても好条件。だが、国王はアリスティアにアリスティアの想い人と結ばれて欲しいと思っていた。
苦渋の決断だった。兄は国と妹を天秤にかけ、国王として国を守ることを選んだのだ。
そしてこの度、アリスティアはアルスタン国の第一王子の元へ嫁ぐことになった。
⎯⎯⎯⎯運命の分かれ道だった、
「お初にお目にかかります、アリスティア・ローゼンメインと申します」
「お前が、ローゼンメインの魔女か」
ローゼンメインの魔女。それはアリスティアについた二つ名である。
伝説の魔女『滅びの魔女』の容姿として伝わる、白銀の髪にオッドアイ。そして、国王から寵愛。それらを持つアリスティアは他国からそう呼ばれていた。
ゆえに、大量の濃密な魔力を持つだろうと見込まれ、アリスティアは大国アルスタンに嫁ぐこととなった。
アリスティアの前に立つ、彼女よりも少し年上のアルスタンの第一王子。オルドヴィン・アルスタン。
彼は高圧的な態度でアリスティアに言い放った。
「変な勘違いはしないように。この婚約は父上がお前の力を欲したからであって、俺は望んでなんかいない。」
そんなのこちらだって同じだ、とアリスティアは思った。
王子は続けた。
「俺にとって一番なのは、マリアンヌだけだ。もし彼女に傷でもつけたら許さないからな」
マリアンヌ、とはオルドヴィンの従姉にあたるブロンドの美しい女のことだ。
別にアリスティアはオルドヴィンが誰を愛していようとどうでもよかった。けれど、彼女はこの言葉に言い返してやりたくて仕方なかった。
「私だって、世界で一番大切なのはお兄様だもの!わたくしがここに来たのはお兄様のためなのだから…」
言いながら、彼女は自国のために来たのにこの発言は良くないのではないか、と思った。こんな、相手国の機嫌を損ねるような言葉。
そうして急に黙りこんだアリスティアにオルドヴィンは「ふんっ、」と素っ気なく返事をしてどこかへ行ってしまった。
まったく、これから夫婦になるだろう二人としては最悪な始まりだった。
⎯⎯⎯⎯これが出会い。
第一印象が互いに最悪だった二人だが、ある時、その関係は一変した。
どういうわけか、アリスティアはマリアンヌにお姉さま、と慕われるようになったのである。
それからひと悶着あり、アリスティアは信頼を得て、オルドヴィンとの間にはいつのまにか性別を越えた友情があった。夫婦であり、友人である。奇妙な関係は
そして、またまたどういうわけかアリスティアがオルドヴィンとマリアンヌをくっつけたのだった。
というのも、あれだけ人に大言を吐いておいて奥手なオルドヴィンに痺れを切らしたアリスティアが二人の背中を押したのである。
そうしてアリスティアは正妻の座をマリアンヌに譲り、自身は側室となった。
「ティアお姉さま、本当によいのですか?わたくしは…」
「マリア、いいのよ。わたくしは別にオルドヴィン様のことを愛しているわけではないもの」
「でもっ、、」
マリアンヌの言葉を制するようにアリスティアは微笑んだ。それは、兄から婚約についての話を出された時に見せた表情によく似ていた。
「聞いて、あなたとオルドヴィン様の幸せそうな姿を見るのがわたくしにとって世界一の幸せなのです」
そんな会話をした一年後、マリアンヌはオルドヴィンと結婚した。
⎯⎯⎯⎯たくさんの人に慕われた。たくさんの愛を知った。でも、、
アリスティアがアルスタンに嫁いで約6年の歳月が過ぎた。マリアンヌはオルドヴィンとの間に第一子をもうけた。一方のアリスティアは子供をもうけることを拒み、側室の一人として影で二人を支えていた。
それからしばらくしたある日。アリスティアが倒れた。もともと、アルビノの彼女は体が弱かった。魔力が器に合わないほど大きくなっていたことも原因だった。しかし、20になったあたりからは目がほとんど見えなくなってしまっていた。
死が刻々と迫ってくるのを感じていた。
床にはオルドヴィンと小さな子供を抱いたマリアンヌの二人が来ていた。
「ティア様、ティアお姉さま、聞こえますか?マリアですわ」
「ティア、私もいる」
二人らアリスティアの手を優しく握った。
安心させるように。
「オルド、マリア…。あぁ、それにクリスもいるのね」
マリアンヌの腕の中にいる小さな赤子を見て、アリスティアはそう呟いた。疲れてきたのか、彼女は目を閉じてぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「ねえ、オルド。わたくしね、世界で一番ではないけれどあなたのことを愛していたのよ」
「…………!!あぁ、そうか」
愛想の無い、そんな返事が返ってきて、アリスティアは出会った頃を思い出すようで小さく笑った。
「もし、生まれ変わったら。オルドとなら恋をしてみてもいいかもね」
(恋なんてする暇もなかったから)
まるで、もう長くないと言っているようだだた。それを悟ったためか、しばらくの間沈黙が続いた。
マリアンヌは今にも泣いてしまいそうだったが、必死に堪えてやっとの想いで言葉を紡ぐ。
「それじゃぁ、ライバルになってしまいますわ…」
可愛い妹分のそんな言葉を聞いて、アリスティアは「ふふっ、」と微笑んだ。晴れやかな笑顔だった。
「それは嫌だなぁ」
最後にアリスティアはそう言って、安らかな眠りについていった。
その場には静かに涙を流すオルドヴィンとマリアンヌだけがいた。
⎯⎯⎯⎯今日もそんな夢を見る。