e-1 その後のヒューライ国
火竜の襲来から二か月が経った。
十二月中旬。季節は秋から冬に移り変わっていた。ヴィーアント大陸西側は比較的温暖な気候であるため、真冬においても水が凍るほどの寒さになることは稀で、北方三国以外では降雪も年に数回程度しか見られない。
ほどよい寒さの中、ヒューライ国はすっかり冬仕様になっていた。人々は長袖長ズボンの上に綿入りの防寒着を羽織っていて、寒さをしのぐための帽子や手袋を着けている人も多く見られる。
以前と変わらず、国中に活気が溢れている。
火竜との全面対決を乗り越えたこの国にも、元の日常が戻っていた。
火竜戦では負傷者や体調不良を訴える者が多数いたものの、死者は誰一人として出ていなかった。国や医師からのサポートのおかげで、今ではすべての者が自分の日常に帰ることができていた。
また、食糧不足も起きていなかった。南の農耕地帯を火竜に焼かれたことでヒューライ国の収穫高は大幅に減少していたが、ヒューライ国は他国からの購入や支援によって物資の不足を補っていた。諸国連合だけではなく北方三国や西方四国の協力もあり、食糧や金銭の問題は最小限にとどめることが可能になっていた。
南の農耕地帯は農耕奴隷や国家魔法士が中心となって修復をおこない、二か月経った今では農作物の栽培が再開できるほどにまで回復した。現在は特別な植物を植えていて、それによって土地の肥沃化を進めているようだ。
この二か月の間、国民たちは懸命に働いた。
そのなかでも、最も多忙を極めたのは国王のキーテス=ヒューライだった。
まず、彼は各方面から様々な事柄について問われることになった。王権発動の正当性、王権発動中におこなわれた言動の妥当性、火竜迎撃戦の総指揮官としての評価、外交評価、事後処理の評価など、その内容は述べ切ることが難しいほど多岐に渡った。
特別に具体的なものを一つ挙げるとすれば、火竜への宣戦布告についての事だろう。これは王権発動前におこなわれたものであるため、越権行為であるとみなされた。だが、その処罰は法廷からの厳重注意のみに終わった。
これには二つの理由があった。一つ目は、国王という肩書があったからこそ、火竜は彼の言葉に耳を貸してヒューライ国に準備期間を与えたということ。二つ目は、それが被害を拡大させることなく国防に成功したという結果に繋がったこと。これらの理由により、キーテスは実質的な処罰を受けずに済んだ。ここでは、越権行為が処罰されたという事実がある、ということが大切なようだ。
ただ、大半の項目について問題は無く、むしろ高く評価されていた。それにより、キーテスは大陸西側を火竜の襲撃から守り、火竜の心さえも救った英雄として祭り上げられる羽目になってしまった。
様々な評価の後、キーテスはさらなる事後処理に追われることとなった。
非常時対応協力者への報酬の割り振り、被害箇所の復興の計画立案とその実行、各部署への挨拶回り、大陸西側諸国への訪問や返礼といった仕事が数多くあった。王権発動中に発生した責任を果たさなければならず、キーテスのスケジュールは過酷を極めた。
職務中に国王が逃げ出さないように、親衛隊員や秘書たちは厳しい監視体制を敷いていた。
この二か月間、解放されるまでのキーテスは嘆いてばかりだった。
「もう嫌だー! 仕事なんてしとうない!」
「キーテス様! ご自分の責務はご自分で果たしてください!」
と、国王が脱走しようとしては親衛隊員に捕まり、
「このようなことを、一生……お爺様は働きすぎだったのでは? 権利を分散させたお父様や、国王をただの旗印にした余は、とてつもない名君なのでは?」
「はいはい……初代様も二代目様も三代目のキーテス様も、みな名君ですよ」
と、自分で自分を褒めては秘書にあしらわれ、
「不老の特異体質のおかげでこうしていつまでも若くて体力があるのは良いが、そのせいで誰も心配してくれぬのは悲しいことだな。こう見えて、余は六十を越えているのだぞ?」
「そういえばそうでしたね。よく忘れます。お勤めご苦労様です。それはそうと南の農耕地帯の復興の進捗についてですが……」
と、政治家たちに言葉だけで労われながら仕事を強制される日々を送っていた。
そんな二か月もあっという間に過ぎ、キーテスは自らが果たすべき職務を終えた。彼は宰相、各大臣、各部署にやるべき仕事を引き継ぎ、ようやくただの旗印に戻ることができた。
王権発動に伴う最後の仕事を終えた直後、キーテスは執務室の椅子に深々と座った。それから大きく息を吐いて天井を見上げる。
「なるほど、これが王権発動の代償か……王一人で国のすべてを取り仕切るのは無理がある。こんなこと、余は二度とやらんぞ。余はただの旗印で十分だ」
キーテスはそう言って、腕組みをしながら苦い顔をする。
その横で、国王の監視番をしていたアスラが悪戯な笑みを浮かべた。
「そうおっしゃりますけど、この国が危機に晒された時には、また立ち上がってくださるのでしょう?」
「縁起でもないことを言うでない……だが、もしその時が来れば、余は再び王権を発動させて困難に立ち向かおう。頼もしきヒューライ国民とともにな」
「それでこそ、ワタシたちの国王様です」
キーテスは不敵な笑みを浮かべてまっすぐに前を見つめ、アスラはそんな国王を誇らしげに見ていた。
しかしその数秒後、キーテスは慌てたようにアスラの顔を見上げた。
「だ、だがの! あのようなことは二度と無いに越したことはないからの!」
「それについては、ワタシも同感です。キーテス様もワタシも、出番が無いくらいがちょうどいいのでしょうから」
アスラは小さく息を吐いて国王の意見に賛同した。
二度目の王権発動を心底嫌がり、顔を歪めるキーテス=ヒューライ。彼はやはり、できれば怠けていたいと思う側の人間だった。
ヒューライ国が復興を進めるなか、堅枠大とマッコウは火竜戦の三日後から水運奴隷に復帰し、国中の物流を担っていた。
火竜の凍結という大役を果たした二人だったが、他の戦闘員よりも報酬が多いということ以外は特に変わったことは無かった。王宮の国王執務室前にまで突入した堅枠大も、当時の最高権力者であるキーテス国王の一存により、無罪となった。
火竜戦の英雄という役割はキーテスが担い、最も勇敢な戦士という称号はアスラに与えられていたため、火竜氷結隊の隊員たちが国民から必要以上に称えられることは無かった。
火竜氷結隊という特別任務部隊が火竜にトドメを刺した。国民たちの認識はそれ以上でもそれ以下でもなく、隊員の詳細を知ろうとする動きも起こらなかった。
ただ、アスラも、リサも、バーンも、アリィも、マッコウも、そして堅枠大も、火竜氷結隊として戦ったことへの誇りは自らの胸の内に強く持ち続けていた。六人は全員、あの戦いで身に着けていた赤い布を自室に飾っている。
だが、誇りを持っているのは一部の人間だけではなかった。火竜迎撃にかかわった者たちすべてが、自分の働きを誇らしく思っている。最大の功労者はキーテスやアスラではあるが、すべての国民が救国の英雄であることは間違いなかった。
そんなヒューライ国の人々も、今ではほぼ元通りの生活をし、それぞれの仕事に精を出している。




