3-23 激闘の末に
「ワク……カタワク、カタワク!」
女性の声が二人分聞こえ、堅枠大の意識は戻った。
「ん? あ? 生きてるのか? 俺は?」
彼はゆっくりと目を開けた。
すると、アスラとリサが心配そうに自分の顔を覗き込んでいるのが見えた。それからすぐに、二人は喜んだように顔を合わせた。
だが、堅枠大にはヒューライ語しか聞こえなかった。彼女たちが何を言っているのかはほとんどわからない。
(魔力切れで、翻訳魔法が働いてないのか……)
堅枠大はそう予想した。
自分の体にある力を、火竜を凍らせるために全部使ったのだ。こうして生きているのが不思議なくらいだ。翻訳魔法に使える魔力など残っていなくて当然だろう。
意識が戻った堅枠大に、アスラが話しかけた。
「カタワク、ハー、エーマ、ジューヴ? ニンナ、ハー、エーマノ、ムーネ? エーマ、ルーワ?」
そう問いかけるアスラは、国内最強の戦士らしく凛々しい顔をしていた。
彼女が単語を区切りながらゆっくりと話してくれたため、堅枠大はその言葉をはっきりと聞き取ることができた。彼女は「カタワク、大丈夫か? 君の名前はなんだ? わかるか?」と言っている。
彼もまた、ヒューライ語で答える。
「エイ、エイ。ブージ、ハー、ジューヴ。ワーノ、ムーネ、ハー、カタワク」
堅枠大はアスラを安心させようと、頬を緩ませた。ちなみに堅枠大の言葉は「うん、うん。自分は大丈夫。自分の名前はカタワク」という意味だ。
堅枠大の気遣いに応えるかのように、アスラも口元を緩ませた。
その隣で、リサは救急箱から細長い薬ビンを取り出して、その蓋を外していた。彼女は薬ビンを堅枠大の顔の前まで持っていき、それをわずかに揺らして中身を彼に見せつける。
「カタワク。チーガ、ムーノ、スーディ」
リサはその緑色の液体、つまりは魔力回復ポーションを差し出しながら、「カタワク。これを飲んでください」と言っている。火竜との戦いが終わって落ち着いたのか、彼女の言葉遣いが丁寧なものに戻っていた。
堅枠大はアスラに支えられながら上半身を起こした。
それから彼は右手でポーションを受け取った。飲み口の上から緑色の液体を見て、彼は顔をしかめる。リサとマッコウがこの魔力回復薬を物凄く苦そうに飲んでいたのを思い出し、彼は飲むのを躊躇った。
だが、今は飲まないわけにはいかない。このままでは翻訳魔法が発動しないため、最低限のコミュニケーションしかとれない。
幸い、この薬はそれほどニオイがしない。
堅枠大は覚悟を決め、あおるようにして一気に薬を飲み干した。
味わうことなく液体を喉奥へと押し込み、食道へ流す。飲んだ瞬間は甘く感じ、拍子抜けした。だがそれも束の間。数秒後に強烈な苦みが口の中全体を襲ってきた。
「うっわっ! にっげぇ!」
堅枠大は口を開けて舌を突き出しながら、顔を思いっ切り歪める。リサやマッコウと同じ反応だった。
この世のありとあらゆる苦みを凝縮したような味だった。
いくらなんでも苦すぎやしないか。堅枠大はそう思った。
だが、彼はすぐに考え直した。こんな便利な薬を飲みやすくしたら、濫用されるに決まっている。国民の健康のために、わざと苦いままにしているのだろう。
堅枠大がそんなことを考えているうちに、彼の魔力は少しずつ戻っていった。やがて翻訳魔法も再び働き出し、アスラとリサの言葉もわかるようになった。
二人は堅枠大の回復を確認するや否や、いつもの口調で彼に話しかけた。
「カタワク、よくやったね! 見て! 火竜が凍っているよ!」
「一時はどうなるかと思いましたけど、結果的には上手くいったみたいでよかったですよ。カタワク、あなたのおかげです」
アスラとリサは口元を大きく上げて堅枠大を褒めたたえる。
彼は二人に対して穏やかな微笑みを見せた。
「いえ、俺だけじゃないですよ。みんなで倒したんです。自分たちで、自分たちの国を守ったんですよ。俺はその一部に過ぎません……って、あっ!」
堅枠大の言葉は本心からのものだったが、それを彼自身が遮った。
翻訳魔法が効いているということは、魔力が回復したということ。魔力が回復したということは、特異体質の氷結魔法が働いてもおかしくはないということだった。
堅枠大は慌てて自らの左手を顔の前に持ってくる。
その手には、黒いグローブと青いブレスレットが装着されていた。周囲が凍りついている様子はまったく無い。
焦る堅枠大に対し、リサは力の抜けた笑みを向けた。
「安心してください。カタワクが目覚める前に必要なことはやっておきましたから。魔力遮断もちゃんとやってますよ」
「ありがとうございます、リサさん」
堅枠大は安心して礼を言い、左手を地面に下ろした。
リサは照れくさそうに自分の頭を掻く。
「なに、火竜氷結隊の魔法士兼治療役として当然のことをしただけですよ」
そう言う彼女の声には、いつものトゲは無かった。
堅枠大はここで一度、周囲を見渡した。
あれほど騒々しかった南の農耕地帯は、今は風の音が鮮明に聞こえるほどに静かになっていた。火竜は予備隊の前で立ったまま、白く氷漬けにされた状態を保っている。戦闘員たちは自分たちが最後に居た場所から動かず、固唾を飲んで火竜の様子を伺っていた。
堅枠大たち三人は火竜から東に少し離れた所に居た。どうやら、火竜の氷結を終えて気を失った堅枠大を、アスラがここまで運んできたようだった。
また、三人とも疲弊していた。堅枠大は体力と魔力の回復途中で、立ち上がれるほどの気力は無い。アスラは両腕に包帯を巻いていて、それには血が滲んでいる。リサは額から汗を流し続けていた。
だが、三人の間には、どこか満ち足りた空気が流れていた。
心地の良い沈黙が続いていたが、やがてリサがそれを打ち破った。
彼女は勇気を出すかのように咳払いをすると、堅枠大から目を逸らしておそるおそる口を開いた。
「ああ、それと、カタワク……わたしにもアスラと同じように接してください。一応、この危機を共に乗り越えた戦友なんですから」
リサはそう言い終えてもなお、堅枠大を直接見ようとはしなかった。
彼女の言葉に、堅枠大は困惑した。そんなに恥ずかしそうに言うことか、と。また、彼は身分の違いも考えた。だが、国王親衛隊員のアスラとは敬語を使わない間柄なのだから、今さら身分を考えても意味を成さなかった。
第一、リサ本人が羞恥心を抑え付けて言っているのだ。本人がそうしろと言うのであれば、従うほうが戦友らしい。
「わかった。これからもよろしくな、リサ」
「え……ええ! よろしくお願いします!」
リサは少年のように元気な笑みを浮かべ、堅枠大と目を合わせた。
アスラは二人のやり取りを、微笑ましそうに眺めていた。
穏やかな静寂が三人を再び包み込もうとする。しかし、その時、何かに亀裂が入るような音がした。
アスラ、リサ、堅枠大は一斉に火竜へと目を向ける。アスラはすぐに立ち上がり、腰の剣に右手をかけてリサと堅枠大の前に立つ。
三人は自分の目を疑いたくなった。
火竜を覆っていた氷が次々と弾け、破片が地へと降り注いでいく。氷の色は白から無色透明へと変わっていき、火竜の姿が克明になる。火竜の体はまったくと言っていいほど崩れていなかった。
「う、嘘だろ……」
堅枠大は絶望感から声を漏らす。
火竜はまだ生きている。それどころか、全身を氷漬けにされてもなお、動こうとするだけの力が残っている。
火竜を覆っていた氷が、とてつもない早さで溶けていく。
そして、その氷が完全に剥がれ、火竜の姿が露わになった。火竜は咆哮を上げ、その赤い巨体を一歩前へと進ませた。
火竜の復活に、ヒューライ国の全員が息を呑んだ。
南の農耕地帯では、動く力のある者は身構え、いつでも火竜に襲いかかれるように体勢を整える。アスラもまた、腕の傷や体内に残ったダメージを負いながらも、火竜に立ち向かうつもりでいた。防壁の床に手足を付けていた国王キーテスも立ち上がり、火竜の姿を注視した。
火竜がまた一歩、前に出る。
防壁前を守り続けている予備隊が、再び攻撃準備に入る。リーダーの指示さえあれば、すぐにでも魔法を放てる。練度不足の訓練生部隊であっても、主力の残存人員が来るまでの時間稼ぎくらいならできる。
ヒューライ国はかつてないほど緊迫した空気に包まれた。
だが、火竜はそれ以上進まなかった。火竜は短く息を吐くと、その場で崩れ落ちるかのように体を地に伏せた。
その衝撃で土埃が舞い、予備隊員たちが腕で顔を隠す。
周囲が晴れた後、火竜は小さな声で笑った。
「まさか、このような隠し玉を持っていたとはな……我の、負けだ」
火竜は力の無い声で、そう言った。
敗北宣言だ。
それを聞いたキーテスは、白い歯を見せて両拳を握り締めた。それからすぐに、彼は両手を広げ、南の農耕地帯と都市内に体を交互に向けて高らかに声を上げる。
「皆の者! 火竜は降伏した! 我々の勝利である! ヒューライ国は、暴虐非道の火竜に勝ったのだ!」
キーテスの勝利宣言が国内全土に響き渡る。
国中が、喝采に沸いた。




