3-20 破壊者の猛進
移動魔法で都市から大きく引き離された火竜は、再び進行を開始した。
それを阻もうと、ヒューライ国の戦闘員たちは火竜に立ち向かった。親衛隊戦士の七人を中心に、屈強な戦士たちが火竜に接近戦を仕掛けていく。精鋭戦士たちの攻撃を魔法士隊が援護し、第三陣の戦闘員は拘束用のロープを構えて戦士隊と魔法士隊の中間で待機していた。
戦士隊の攻撃によって、火竜の鱗が次々と打ち砕かれていき、その皮膚には多くの傷が作り出されていく。火竜にとって、攻撃の一つ一つは小さな痛みでも、それらが集まれば大きな苦痛となった。
火竜は飛びかかってくる戦士たちを何度も振り払おうとしたが、親衛隊の戦士たちは攻撃を巧みに回避して重い一撃を喰らわせてきた。
もはや、火竜には信条にこだわる余裕など無くなっていた。
「ええい! うじゃうじゃと! もうよい! 上空からすべてを焼き尽くしてくれるわ!」
火竜は地に足を付けた状態で翼をはばたかせる。
人を殺さない。都市を破壊し、国が負けを認めればそれで終わり。そのはずだったのだが、今の火竜は引っ込みがつかなくなっていた。想像を遥かに超える抵抗を受けたことで、火竜の感情は暴走した。この国だけは徹底的に破壊しなければ、火竜の激情は収まらないだろう。
火竜の翼によって、周囲に風が巻き起こる。
そして、その足が地面からわずかに浮き上がった。
その時、第三陣の指揮官が戦闘員たちに指示を飛ばす。
「第三陣! 火竜の翼を拘束せよ!」
その声は戦場に通り、戦闘員たちはそれをすばやく実行した。
魔法で強化されたロープが白く光るとともに、戦闘員の手から放たれて火竜の体へと向かっていく。重りの付いたロープの先が火竜に巻き付いた。特に翼の根元には多くの縄がかかり、その動きを阻害する。
翼を拘束され、火竜は飛び立てずに地面へと足を付けた。
その巨体がわずかに傾くが、火竜はすぐに体勢を立て直す。
「ぬう! なれば、突き進むのみ!」
火竜は強引に足を前に出し、都市に向けて再び進み出す。
無数のロープが体に絡まり、魔法で操られた土が足にまとわりつき、戦士の重い打撃攻撃や魔法士隊からの集中砲火を受ける。それでも火竜は足を止めることは無かった。
「破壊してくれる……破壊してくれるぞ小国の王よ! あの一番高い塔を、この手で粉々にしてくれる!」
火竜は拘束を振りほどかず、無理矢理に歩みを進める。
その意識はヒューライ国の都市にのみ集中していた。絶え間なく攻撃を仕掛けてくる戦闘員のことも、引きずられながらもロープを手放さない第三陣のことも、進路から少し離れた場所にある集落のことも、もはや火竜の眼中になかった。
火竜と都市の距離が半分ほど縮まった頃、火竜氷結隊も標的に近づいていた。
隠れられる水路はもう無い。開けた場所を全速力で進みながら、火竜氷結隊の舟は火竜との距離を詰めていく。
だが、残り一キロメートルというところで、舟は急激に減速した。舟を操っていたマッコウが、とうとう魔力切れを起こしたのだ。
彼は船尾で崩れるように座り込む。
「ぜぇ、ぜぇ……舟で近づけるのは、ここまでだぜ……」
マッコウは掠れた声でそう告げ、しがみつくようにオールを両手で握り締めた。顔を上げる力すら残っていないのか、彼の視線は下に向いたままだ。
「ここまで来れば十分だよ。感謝する、マッコウ!」
アスラは舟の主にそう声をかけ、火竜に目を向ける。
全身を震わせるマッコウに、リサが寄り添った。
「よくやった、マッコウ。今から魔力回復ポーションを飲ませるからな。苦いけどちゃんと飲み込めよ」
リサはそう言うと、救急箱から細長いビンを取り出した。そのビンには黄緑色の液体が少量入っている。彼女はビンの蓋を開け、飲み口をマッコウの口にねじ込んだ。
彼女はマッコウの頭を上に傾けながら、ゆっくりと薬を飲ませていく。液体がマッコウの口に入った直後、あまりの苦みに彼の顔が歪んだ。それでも彼は吐き出さず、言われたとおりに薬を飲み干した。
リサがマッコウの口からビンを離す。
マッコウは顔中にしわを寄せながら舌を出し、喉元から息を吐き出した。
「うえぇ……にっが……」
彼の声は苦しそうだったが、それとは対照的に体のほうは回復に向かい始めた。魔力欠乏から起こる震えは弱くなっていき、呼吸も落ち着いていった。
「マッコウはここでしばらく横になってろ。いいな?」
リサはそう言って、空になったビンの蓋を締める。
それからすぐに、マッコウは首を縦に振って舟の上で仰向けになった。
応急処置が完了したと言わんばかりに、リサが空の容器を救急箱に素早く仕舞う。
それを合図にして、マッコウ以外の四人が立ち上がった。アスラとバーンは武器を持って舟から降り、二人に続いてリサも救急箱を肩に提げて舟から離れた。
マッコウは堅枠大に目を向け、右手の親指を立てながら声をかける。
「後は頼んだぜ、カタワク」
「ああ!」
堅枠大は力強く返事をして舟から降り、地面に足を付けた。
四人はすぐに陣形を組み、火竜に向けて走り出した。堅枠大を中心に、前にアスラ、右にバーン、左にリサ。四人はリサのスピードに合わせて走っていく。
火竜に近づいているとはいえ、標的とは一キロメートルほどの距離がある。火竜は鈍足でありながらも着実に都市へと近づいていく。
堅枠大は焦る気持ちを抑えられず、叫ぶように問いかけた。
「アスラ! 間に合うか!?」
「このまま拘束魔法が続けばね!」
アスラは前を向いたまま冷静に答えを返す。
だがその直後、火竜を縛り付けていたロープが断裂した。破裂するような音とともに、第三陣の戦闘員たちが花吹雪のように宙を舞う。
「って、言ったそばから!」
リサは呼吸を乱しながら、戦況の悪化を悟って叫んだ。
幸いなことに、翼に残っているロープにはまだ拘束魔法が宿っている。火竜が飛び立つことは無さそうだ。しかし、他の部位は自由を取り戻してしまった。それにより、火竜の進行速度は急激に上昇した。
火竜は親衛隊の戦士たちをも蹴散らし、都市へと一直線に進む。
都市の南防壁前には予備隊が待ち構えているが、その部隊は正規軍と警察の訓練生で構成されている。実戦経験など皆無の彼ら彼女らは、迫りくる火竜の姿に怯えを隠し切れていない。
アスラは予備隊の様子を見て歯噛みした。
「まずい……ワタシとバーン師匠はともかく、肝心のカタワクとリサが間に合わない。最後の頼みは訓練生か。果たして予備隊に火竜を止められるのか……?」
アスラは迷った。
このまま堅枠大の護衛に努めるべきか、それとも予備隊に加勢するべきか。リサの体力を考えれば、火竜氷結隊が標的に辿り着くまであと五分はかかるだろう。それまで予備隊が耐えられるとは思えない。そのうえ、火竜はもはや話を聞く耳すら持てないほど激昂しているため、国王による時間稼ぎも期待できない。
万事休す、アスラはそう思ってしまった。
だがそのとき、彼女の頭にある一つの考えがよぎった。
「いや、待て。ワタシはどうしてバーン師匠を隊に入れた? こういうときのためじゃなかったのか?」
アスラは自分に問いかけるように呟く。
その直後、彼女から迷いが消えた。火竜氷結隊隊長としてのアスラが目を覚まし、現状で最適と思われる判断を下す。
「バーン師匠! 予備隊に加勢を! 時間を稼いでください!」
「おうよ! 隊長殿のご指示の通り、ワシは予備隊に加勢するぞい!」
彼はアスラの指示を聞くや否や、隊列から飛び出していった。バーンの足は加速し、猛烈な速度で火竜へと一直線に向かっていく。
「師匠! 頼みました!」
バーンの頼もしい背中に、アスラは弟子としての言葉を投げかける。
あの老戦士が抜けたことで、堅枠大の護衛はアスラとリサだけになってしまった。だが、今はこれでいい。もともと緊急時のためにバーンを部隊に加えたのだ。予備隊への加勢が火竜氷結隊への利益になるのであれば、それが最善手だ。
バーンの離脱に続き、アスラは大胆な策を思いついた。
そして、老戦士の勇気ある背中を見た瞬間、堅枠大の頭の中で、この状況を打開できる作戦が生まれていた。
「リサ! カタワク! 止まって!」
「アスラ! 止まってくれ!」
二人の声が重なる。
アスラ、リサ、堅枠大の三人は走るのをやめ、焦土の上で止まった。
三人は横に並び、堅枠大の左にリサが、彼の右にアスラが立つ。リサは両手を膝に付けて荒い呼吸を繰り返し、堅枠大は背筋を伸ばしたまま肩を上下させる。呼吸を乱している二人とは対照的に、アスラは涼しい顔をしていた。
リサは息も絶え絶えに、堅枠大とアスラを見上げた。
「はぁ、はぁ……て、てめぇら……二人揃って、なんだ……? 止まってる、場合じゃ……ねぇ、だろ!」
彼女は青白い顔で二人を睨み付ける。
アスラと堅枠大は互いに目を合わせた。そして、自分たちの考えが同じだと言うことを言外に理解し、頷き合う。
「このまま走っても、リサとカタワクが間に合わないんだよ」
「ええ、そうです。ぎりぎりアウトです。ですが、間に合う方法が一つだけあります」
二人はそう言って、横目で火竜を見ながら不敵な笑みを浮かべる。
リサにとって、二人の言動は不気味でしかなかった。
「アスラ、カタワク……お前ら、何をするつもりだ?」
リサは嫌な予感がして顔を引き攣らせた。




