3-19 国王の策略
拘束を破った火竜は巨大な尾を振って暴れ回り、周囲の人々を薙ぎ払った。
ロープ担当の戦闘員たちも、火竜に攻撃を仕掛けていた戦士たちも、敵の強烈な攻撃に耐えられなかった。彼ら彼女らを守っていた不死魔法も次々と消滅していった。
近づく者が居なくなると、火竜はついに都市へ向けて足を進め始めた。
魔法士隊や弓隊は火竜に遠距離攻撃を仕掛けて足止めを試みる。しかし、火竜は全身に傷を負いながらも、攻撃の雨の中を強引に突破し、防護柵をなぎ倒していく。
火竜の足が速まり、都市との距離が一気に縮まる。都市の近くに戦士隊が駆けつけるが、火竜はその部隊も一瞬で蹴散らしてしまった。
そして、火竜はとうとう都市の防壁に辿り着いてしまった。破壊の限りを尽くしてきたその存在は、国王キーテスの眼前で立ち止まる。
「キーテス様! お下がりください!」
その場に居た親衛隊員十名全員がキーテスの前に出て、火竜から彼を守ろうとした。
だが、キーテスは隊員たちの間を縫って、自ら最前列へと進んでいった。
「キーテス様! 危険です!」
「案ずるな。余を信じろ」
親衛隊員の切羽詰った声に対し、キーテスは穏やかな表情と声色で言葉をかけた。だが、そこには有無を言わせぬ気迫があった。
親衛隊員たちは不安にさいなまれながら、国王の背後で待機するしかなかった。
キーテスは南の農耕地帯に向けて声を張り上げる。
「全軍、攻撃やめ!」
その命令は戦場全体に響き渡り、戦闘員たちは行動を止めた。火竜の背後から攻撃を仕掛けようとしていた戦士たちも、すぐに攻撃態勢を解いてその場から退いていった。火竜氷結隊の舟も速度を大幅に落とし、水の流れに従うだけになった。
国中が静かになる。
そのなかで、キーテスは火竜と対峙した。噛み殺されてもおかしくはない距離で、彼は恐れることなく火竜の目を睨み付ける。
火竜は荒い呼吸をしながら、キーテスを見下ろす。
「はぁ、はぁ……手こずらせおって……だが、所詮は小国。どれだけ数を揃えようが、我の敵ではなかったな」
その声には疲労が色濃く見えていた。
勝者の笑みを浮かべる火竜に対し、キーテスは感心したように目を細める。
「ほう……ヒューライ国の軍隊を打ち破るとはな。さすがは東国で名を馳せただけのことはある……ああ、そなたには名が無かったか。これはすまなかったな」
「そのような挑発に我が乗るとでも思ったか? すでに勝敗は決した。潔く負けを認めるがいい」
火竜は低い声でキーテスに迫る。
だが、キーテスは圧倒的な強者に凄まれてもなお、怖気づきはしなかった。
「残念だが、それはできない。ここでヒューライ国が負けを認めたら、貴様は西側諸国を荒らすのだろう? それくらいはわかっている」
「我が誓いを破ると? 貴様らはこの国のみで戦ったではないか? その勇気に敬意を表し、貴様らより小さき国は襲わぬ。そのような国を襲い、破壊したところで、我の強さを示すことには役立たぬからな」
勝利を確信した火竜は、余裕や油断を隠そうともしなかった。
そんな相手を前に、キーテスは綺麗な顔を歪めて邪悪な笑みを浮かべた。
「貴様は、ヒューライ国が馬鹿正直に自分たちだけで立ち向かっているとでも思っているのか?」
「なんだと?」
火竜は怪訝そうな目を国王に向ける。
キーテスはその顔に似つかわしくない表情を保ったまま、両手を自らの後ろに回した。そして、彼は火竜に見えないように十本の指を動かし始める。
国王の行為を目撃した親衛隊員たちは、それが何を意味するのかを瞬時に理解した。国王は、職務から抜け出すために身に着けた特殊な詠唱方法を用いて、魔法の中で最も難しい部類に入る移動魔法を、目の前の火竜にぶつけようとしている。
親衛隊員たちはその大魔法を隠すかのように少しだけ立ち位置を変え、国王の手元が火竜からは絶対に見えないようにした。そのうえで、親衛隊は全員火竜を睨み付け、あたかも警戒態勢を強化したかのように装っていた。
キーテスは指による無言詠唱をおこないながら、火竜を嘲笑するかのようにゆっくりと話し始める。
「貴様は甘い。確かに、軍隊はヒューライ国民だけで成り立っている。だが、戦いは兵士だけでおこなうものではない。戦の準備、後方支援、後始末など、他の人間にだってやるべきことはいくらでもある」
「何が言いたい? 小国の王よ」
火竜は目を細める。どうやら、この自称最強生物はキーテスの話の意図が掴めていないようだ。
そんな社会的生物ではない相手でもわかるように、キーテスは言葉を足していく。
「貴様が戦っているのは、ヒューライ国ではない。大陸西側の国すべてが、貴様と戦っている。この戦いには、準備や後始末の面で他国が関わっている。そして今も、諸国連合が我が国境の防衛を代わりにおこなっている。すべては、貴様をここで倒すためだ」
「つまり、貴様は我との約束を破った、と?」
火竜の目つきが険しくなり、その体からは微かに殺気が漏れ出る。
そんな相手とは対照的に、キーテスは穏やかな顔で首を横に振った。
「いいや、約束を破ってなどいない。実際に戦っているのはヒューライ国の人間だけだ。だが、その後ろには西国すべてが存在している。余は、この国は、我らの暮らしを守るため、ここで引き下がるわけにはいかんのだよ」
「約束通りに戦っている。そして、負けは認めない……ということか?」
「ああ、そういうことだ」
「ええい! まどろっこしい! それならそうと早く言わぬか!」
ヒューライ国王の言葉に火竜は憤慨する。
キーテスは火竜の目をまっすぐに見て、悪戯な笑みを浮かべる。
「負けを認めることなどできない。余は最初にそう言ったはずだがな」
そう言われた火竜は、国王との会話を思い返した。
確かに、この王は降伏を迫られても応じなかった。途中から国王の話すスピードが遅くなったせいで、彼の言葉に火竜の意識が引っ張られてしまったようだ。少し前の会話内容を忘れてしまうのは世界最強の生命として恥ずべきことだと、火竜は思った。
火竜は一度目を固く閉じて気持ちを切り替え、再びキーテスを見据える。
「まあ、よい。貴様が負けを認めようが認めまいが、我が勝利したことには変わりない。少し手を出せば、すぐにでも都市を破壊できるのだからな」
火竜はそう言って獰猛な笑みを見せる。
そこには、自分の勝ちは揺るがないという慢心があった。
キーテスはそれを見抜いていた。
「それはどうかな?」
彼は静かな声で言葉を投げかける。それと同時に、彼が火竜との会話中に続けていた指による詠唱が完了した。
キーテスが両手を握り締めると同時に、火竜の足元に巨大な幾何学模様が浮かび上がった。
「空間よ、この火竜をできるだけ遠くに飛ばせ!」
キーテスは両拳を前に突き出しながら、最大限の魔力を込めて叫ぶ。
魔法陣から黄色の光が放たれ、それは一瞬のうちに火竜を包み込んだ。その巨大な光の玉は一気に縮小し、この場から消え去る。その直後、防壁から南に一キロメートルほど離れた場所で、黄色の光球が現れた。それからまもなく、光は弾けて消え、中から火竜が姿を現した。
その場に立った状態で、火竜は目を丸くする。
先ほどまで、目の前にはヒューライ国の王が居たはず。それなのに、現在、火竜の目に映っているのは焼け野原と化した農耕地帯。目と鼻の先にあった都市は、今や遠くに存在している。
火竜は状況が掴めなかった。
自分の体が光に包まれた後、気づけばここに居た。都市が丸ごと瞬間移動したのかと思ったが、辺りを見渡せばそれは違うということがすぐにわかった。この場所は、ヒューライ軍との交戦中に通った所だ。
そこでようやく、火竜は自分が移動魔法でこの場所に飛ばされたことを悟った。
その直後、火竜の全身が激怒に染まった。
「小国ごときが……人間ごときが……舐め腐りおってえええええええええええええ!」
火竜は感情に任せて咆哮を上げる。
その叫びはヒューライ国全土に響き渡った。空気が震え、草木が揺れる。そのあまりの音量に国民たちは堪らず耳を塞いだ。だが、キーテスだけは両手を腰につけて悠々とした顔で目を閉じていた。
火竜が吠えるのを止めた。
ヒューライ国が静寂に包まれる。
火竜は上を向いたまま、荒い呼吸を繰り返す。その大きな体の中で、魔力が溜まっていく。
そして、火竜の顔が正面を向き、その血走った目が都市を睨みつける。
それと同時にキーテスが大声で指示を出した。
「第三陣! 行動開始! 予備隊! 防衛位置につけ! 親衛隊の戦士七名は全員火竜のもとへ行け! ここが正念場だ!」
キーテスの声が国中に通る。
南の農耕地帯に点在していた第三陣の戦闘員たちが火竜に向かっていく。都市に待機していた予備隊が南に向けて移動を開始し、国王を守っていた親衛隊員の戦士たちは赤髪の男を中心にして敵へと突撃していく。
また、すでに火竜と激闘を繰り広げた第一陣と第二陣の戦闘員のうち、比較的余裕のある者たちは再び不死魔法をかけて第三陣に加わった。
そして、火竜氷結隊の舟も急発進し、猛スピードで火竜のもとへと進んでいく。
戦闘が最終局面に入った。
それを見届けたキーテスは、崩れるようにその場で両膝を床に付けた。
「キーテス様!」
国王のもとに残った三人の親衛隊魔法士がキーテスのそばに駆け寄る。
キーテスはこめかみから血を流しながら、口から乱暴に息を吐き出していた。彼の全身は汗で濡れ、目はひとりでに見開いてしまっている。キーテスの体が危険な状態にあるというのは明白だった。
火竜という超重量の物体を、一キロメートルという超長距離の先へ、魔法で瞬間移動させたのだ。国民たちの魔力を借りていても、体にかかる負荷は相当なものだった。
それでもなお、キーテスは戦況から目を離そうとはしなかった。
老齢の親衛隊員が国王に治療魔法を施す。そのおかげで、キーテスの傷口は塞がり、体力も徐々に回復していく。
体が楽になっていくのを感じながらも、キーテスは血で濡れた顔を歪める。火竜とヒューライ国との戦いを、床に手足を付けた状態で見下ろしながら、彼は悔しそうに言葉を漏らす。
「予想以上に火竜の進行が速かったな……こうなるのであれば、初めから火竜氷結隊を余のそばに置いておくべきだったか……いや、そうするとカタワクの訓練も休息も間に合わんか……」
キーテスは顔から力を抜き、東の方向に目を向けた。
「なにはともあれ、余にできるのはここまでだ……後は頼んだぞ、カタワク」
彼のその声は弱々しいものだったが、それには自分の仕事をやり遂げた充足感と、火竜氷結隊への期待感が込められていた。
キーテスの目に火竜氷結隊は映っていない。それでも、最後の一撃を担う部隊の隊員六人の顔は、彼の頭の中で克明に浮かび上がっていた。




