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異世界奴隷はホワイト労働!?  作者: 武池 柾斗
第一章 転生先でも奴隷!?
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1-4 とりあえず奴隷

 診療所から出て二十分ほど歩き、二人は緑色の建物に着いた。


 その建物は四階建てで、主に石で出来ているが、窓枠など木材が使われている箇所も存在する。すべての階に等間隔で並んだ窓があり、白色のカーテンが引かれているところもある。一階の正面には大きく開いた入り口があり、そこに多くの人々が出入りしていた。


 アスラはこの建物を右手で指し、堅枠大に目を向ける。


「ここが国務所だよ。国民登録の手続きはワタシがやるから、カタワクはワタシの横に居て。いくつか質問すると思うから」


「わかりました」


 堅枠大は素直に頷き、アスラに導かれるまま国務所の中に入った。

 内装は石の白色と木の茶色を基調としたシンプルなものだった。


 正面玄関を抜けると、横に長いカウンターがあった。


 カウンターの向こう側には十人ほどの男女が並んでいて、訪ねてきた人々の対応をしている。受付らしき人たちは皆、緩い白シャツに緑色のマントを羽織っていた。


 受付の奥には木の壁があり、いくつか扉が設置されている。一般の来訪者には見えないが、壁の向こうには事務室のような部屋があるのだろう。


 アスラは空いた受付を見つけ、堅枠大を引き連れてそこに向かった。

 二人が一番端の窓口に行くと、そこを担当している女性が物珍しそうな目をした。


「あら? アスラさん。どうしました?」


 受付女性の声は少し浮ついていた。


 おそらく、アスラを目の前にしてテンションが上がっているのだろう。だが、当のアスラは平然とした様子で相手に話しかける。


「この男性を新たに国民登録したいんですけど、できますか?」


 彼女のその言葉に、受付女性は一瞬、動きを止めた。

 それから我に返り、微笑みを浮かべて仕事モードに入る。


「ええ、できますよ。アスラさんがそう言うのであれば、その男性は安全というわけですよね」


「ええ。ちょっとしたショックで自分のことをほとんど忘れてしまっていますが、それ以外は大丈夫です。健康で善良な人間ですよ、この人は」


「はぁ……まあ、非常時要員の方が調査済みなのであれば、登録は可能です。では、ここにお名前と身分、それから勤務先などをご記入ください」


 受付女性は少し戸惑ったように小さく笑いながら、一枚の紙をアスラに手渡した。


 堅枠大がその紙を覗き込んでみると、いくつか空枠があるのが見えた。文字は読めなかったが、話の流れや書類の雰囲気から、住民票のようなものだろうと彼は察した。


 紙を見るついでに、彼はアスラに小声で話しかける。


「あの、わたくし、自分のことは忘れていませんよ。それはアスラさんも確認済みですよね?」


「ああ、そうだね。でも、異世界から来た、なんて言っても混乱させるだけだよ。ワタシだってまだ信じ切っているわけじゃないんだから。とにかく、今は記憶がほとんど無いってことにしたほうが、都合がいいんだよ」


「確かにそうですよね……わかりました」


 堅枠大はこの世界での振る舞い方を理解し、アスラから顔を離した。

 アスラは右手に木ペンをとり、先端にインクを付けて書類の代筆を始めた。


「名前は、カタワク。生年月日は……忘れているとして記入無し。年齢は?」

「三十一歳」


「三十一歳だね……配偶者は無し、親族も無しっと」


 アスラは時折堅枠大に質問しながら、項目を埋めていった。生年月日や前住所といった元の世界にかかわるものは彼が忘れているものとして、彼女は記入はしなかった。


 住民票に情報が次々と書き込まれていくのを見ていると、堅枠大は鼓動の高鳴りを抑えられなかった。

 彼にとって、過労死は不幸ではなく奴隷生活からの脱却という救済だった。それだけでもよかったのに、異世界での新生活というボーナスまで付いてきた。どのような人生が待ち受けているのか、期待の高まりは留まるところを知らなかった。


 そして、ある項目でアスラの筆が止まった。


「身分、か……」


 そう呟く彼女は、何か特別な感情を抱いているようには到底見えなかった。今まで通りの、ごく普通の、アスラだった。


 だがそれが、堅枠大の無意識に妙な緊張を走らせた。

 彼の目がアスラの右手を凝視する。

 その直後、彼女の口が開いた。


「とりあえず奴隷でいいか」


 アスラのペン先が軽やかに紙の上を走る。


 身分の項目らしき箇所に、『奴隷』と書かれてしまったことが、夢心地だった堅枠大にも理解できた。未知の文字であったとしても、それがわかってしまった。


「ど、奴隷!? ちょ、ちょっと待って!」


 堅枠大は声を上げた。

 飛びかかる勇気はなかった。


「え? だって、今のカタワクには何の資格も無いから、そう書くしか……」


 アスラは彼に顔を向けてそう言った。

 その表情も、声色も、なにもかもがこれまで通りの彼女だった。悪びれる様子も、哀れむ様子も、まったくなかった。


 堅枠大はその場で両手を広げて声を荒げる。


「だからって奴隷はないですって! なんで転生してまでまた奴隷なんか!」


 それが彼にできる精一杯の抗議だった。


 彼の心は天国から一気に奈落の底まで叩き落されていた。冒険やほのぼのとした日々を夢見ていたのに、実際に待っていたのは労働地獄。人権も尊厳もなにもかも剥奪され、死ぬまでこき使われる日々が始まる。


 街で笑顔を浮かべていたのは中層上層の人間だったのだ。あの暮らしは、見えないところでボロボロになって働く下層の人間に支えられていたのだ。

 そういった考えが堅枠大の脳裏を駆け巡った。


 身分への文句をつけてきた彼に対し、アスラは不思議そうに首を傾げた。


「ん? 奴隷のなにが嫌なんだ? ごく普通の身分だよ? ……ああー、勤務先どうしようか。ここまで首を突っ込んだんだから、探してあげないとなぁ」


 アスラは堅枠大から視線を外し、周囲を見渡し始めた。

 その間にも彼は抗議の声を上げたが、アスラは無視するように努めた。


 アスラは上を向いて息を吐く。辺りを見たところで解決策があるわけでもなかった。これからどうしようかと考える。もちろん、横のうるさい男性には取り合わずに。


 この状況に、受付女性も少し困ったような表情を浮かべていた。

 そこに、髭面の大男がやって来た。


「ん? 奴隷がどうかしたんですか」


 その大男は、背中を曲げてアスラの手元を覗き込んできた。


 彼はアスラや堅枠大よりも二十センチは身長が高く、筋肉質な体をしている。腕も脚も太く、見るからに体幹も強い。そのせいで、青色のズボンとシャツが体に密着している。衣服自体は庶民の一般的な緩い服装とは違って体にフィットするタイプのようだが、それでもその筋肉は堅枠大を威圧するには十分すぎるほど大きいものだった。


 大男の靴は黒色で、少し白く汚れている。髪は短く、髭と同じ長さ。毛の色は黒茶色で、手の甲にも剛毛が生えていた。


 彼の身なりはいかついが、表情は穏やかだった。

 堅枠大は髭面の中年男性の登場に恐れおののき、言葉を失った。


 アスラはその大男に顔を向けて話し始める。


「ああ、この男性を新しく国民登録していて、とりあえず奴隷身分にしたのだけれど……勤務先をこれから探してあげないといけなくて」


 彼女は少し困ったように笑う。


 大男はその言葉を聞いた直後、目を見開き、背筋を伸ばして両手を横に広げ、嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「ああ! それならウチにくださいよ! ちょうど、新しい奴隷を探しに来てたんだ。貿易のほうに行きたいっていう理由で、一人転職しちまったんですよ」


「ほんと? ちょうどよかった。それなら、ここにアナタの会社名をお願いします」


 アスラは大男にペンを手渡す。


 彼女の表情は晴れやかで、声も弾んでいた。奴隷の働く場所を探すという非常に面倒な仕事が、偶然の出来事によりあっという間に片付いたのだ。嬉しくもなる。


 大男は木ペンを受け取り、書類に書き込みを始めた。


「ええと、勤務先は『ジャーガン国内水運』、住所は都市部南東区の北西域、五十八番地、ジャーガン国内水運男子寮っと……これでいいですか?」


「ええ。これで、項目は全部埋まりました」


 アスラが頷くと、大男は住民票と木ペンを受付に手渡した。


 受付女性は書類を受け取り、何度も目を通して確認する。それから住民票を手元の長方形の石板に置き、その道具に両手を添える。すると、石板が黄色く光り、数秒後には光が消えて石板の様子は元に戻った。


 受付女性はアスラと大男の二人と目を合わせた後、堅枠大に微笑みかける。


「はい、国民登録完了です。ヒューライ国での生活、楽しんでくださいね、カタワクさん」


 堅枠大はそこで我に返った。


 唖然としている場合ではなかった。周囲には見慣れない物ばかりなうえに、物事は勝手に進んでいく。だが、それは自分に関係する事なのだ。黙っていてはいけない。


「ちょ、ちょっと! なに勝手に決めているんですか!?」


 彼はその場で抗議の声を上げた、他の三人はそれを平然と無視する。


「では、ジャーガンさん、後は頼みますね。ワタシの仕事はこれで終わりだから」

「おう! 任せてくださいよ! こいつを立派な奴隷にしてやりますから!」

「ええ、お願いします」


 ジャーガンと呼ばれた大男とアスラは堅枠大そっちのけで話をする。

 受付女性にいたっては「次の方ー!」と自分の仕事に入り込んでいた。


 堅枠大は文句を言ってやろうとしたが、アスラの言葉がそれを遮る。


「では、カタワク。ワタシは王宮に戻るよ。本来の仕事からは少し逸れてしまったけど、珍しい経験ができて楽しかった。この国で暮らしていたら、またどこかで会えるだろうね。それでは失礼!」


 アスラはそう言って凛々しく微笑むと、国務所から足早に去っていってしまった。


 堅枠大は彼女が出ていった方向を見ながら、言葉もなく立ち尽くした。


 異世界における案内人がいなくなり、彼は急に心細くなってきた。それだけではない。違う世界に転生したが、冒険も無ければほのぼの生活も無かった。身分と仕事をその場の勢いで勝手に決められてしまった。その結果、第二の人生も労働者になった。


 しかも、また奴隷だ。勤務先はジャーガン国内水運。つまり、奴隷になって荷物を運ぶのだ。奴隷、運搬。その二つの単語だけで、堅枠大は絶望してしまいそうだった。


 髭面の大男、ジャーガンが堅枠大の右肩に左手を置く。

 堅枠大の意識は現実に引き戻され、彼の体は無意識に伸び上がった。


「ひっ!?」

「じゃあ、俺たちも行こうか」


 ジャーガンの声は低くてガラガラだったが、口調は穏やかだった。

 堅枠大はおそるおそる大男に顔を向ける。


 新しい雇い主は、優しく微笑んでいた。だが、その身長の高さといい、首の下についている筋肉の量といい、威圧感が半端ではなかった。むしろ、微笑んでいるせいで恐怖感が倍増してしまっていた。


(こ、これから、この男にこき使われるのか。殴られたら痛いどころじゃ済まないだろうな……逃げるか? いや、こんな筋肉モリモリの男に敵うわけない……逃げたら、殺されるッ!)


 堅枠大は自らの非力と運命を悟った。

 顔から血の気が引いていくのを感じながら、彼は余計な力を抜く。


「は、はい」


 彼は静かに返事をして、ジャーガンとともに国務所から出ていった。


 二人並んで街を歩く。

 ジャーガンは左手を堅枠大の左肩に回し、上機嫌に笑う。


「新しい奴隷もすぐに見つかったし、カタワクは仕事が見つかってよかったな! ガハハハハ!」

「そ、そっすね」


 堅枠大は生きた心地がせず、適当に相槌を打つことしかできなかった。

 そうしていると、自然と社畜時代の出来事が思い出された。


 ゴリラみたいな体格の上司にいつも怒鳴られ、時には殴られ、有無を言わせずにパソコンに向かわされたこと。休もうとしたら携帯電話に何度も着信が来て、通話に応じたら怒鳴られる。そのせいで着信音がトラウマになった。


(うう……こっちの世界でもボロ雑巾になるまで働かされるんだ……異様な量の荷物を運ばされて、体が動かなくなったらムチ打たれて無理矢理働かされて、最後には壊れるんだ……そんなのやだよぉ……)


 堅枠大はジャーガンが鞭を振るう姿を想像し、震えた。


「ん? どうしたカタワク? 顔色が悪いぞ。診療所行くか?」


 彼の異変にジャーガンがいち早く気づいた。

 ジャーガンは心配している様子だったが、堅枠大にはそれが余計に怖く感じた。


 奴隷をこき使うあなたの姿を想像した、などと正直に言うわけにもいかず、彼は適当に誤魔化すことにした。


「い、いえ。診療所にはもう行ってきたので大丈夫です。見慣れない土地なので緊張しちゃって、アハハッ……」


「そうか? まあ、翻訳魔法もかかっているし、必要なことは済ませているみたいだしな。でも、困ったことがあれば何でも言えよ。今日から俺がお前の雇い主。父親みたいなもんなんだからよ」


「わ、わかりました。何かあったら相談しますね……」


 怖い見た目とは裏腹に、ジャーガンは終始優しかった。

 堅枠大は弱々しい声で対応しながら、新社会人の時を思い出した。


 上司たちは入社前こそは優しい顔をしていたが、入社後は人が変わったかのように堅枠大たち新入社員に対して暴言暴力を繰り返した。


(ああ、最初は優しくして時間が経ったら理不尽になるタイプのやつだきっと……会社の人間は家族だ、なんていうのは、従属という部分だけを求める都合のいい言葉なんだ。こいつも絶対そうに違いない)


 堅枠大は再び暗い想像をする。また体が震えてきた。


「おい、大丈夫か? もしかして腹減っているのか? お前、昼メシ食ったか?」

「あ、いえ……おかまいなく」


「ほんとに大丈夫か? 記憶がほとんど無いって国民情報にも書いてあったんだが」

「はい、大丈夫です……記憶のほうは、無くても意外と平気です。食欲も、今はあまりないので、おかまいなく……」


 ジャーガンは堅枠大を気にかけるが、堅枠大は心ここにあらずといった様子で無難な返事を繰り返すだけだった。


 ジャーガンは小さくため息をつく。


「まあ、何日か過ごせば慣れるか」


 彼はそう呟き、堅枠大に話しかけるのをやめた。





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