3-7 王と奴隷
アスラは足を引きずりながら歩き、堅枠大に詰め寄る。
額と額がぶつかりそうなほどの距離で、彼女は堅枠大を睨み付けた。
「君は自分が何をしているのか、わかっているのか! ただの奴隷が無断で王宮に入っただけでなく、国家魔法士を装って本棟三階にまで来るなんて! 本来なら重罪なんだよ!」
アスラの怒声が廊下に響き渡る。
彼女の言うことに間違いは無かった。堅枠大がしていることは立派な犯罪だった。しかし、堅枠大はそれを覚悟した上でここまで来ている。今さら正論を言われたところで何かが変わるわけではなかった。
「そんな体で動くんじゃねえ! 怪我人は寝てろ!」
堅枠大はアスラに怒鳴り返す。
自分のことをわかってもらいたいなどとは思っていない。ただ、足を引きずってまで正論を言いに来た彼女に対して、彼は無性に腹が立った。
そんな堅枠大の態度に、アスラの顔はさらに険しくなった。
「治療魔法が効いているからもう動ける! いいからワタシたちの言うことに従ってくれ! 君を罪人にはしたくない!」
「うるせえ! 俺には俺にしかできないことがあるんだ! いいからキーテス様に会わせろ! 国が滅びてもいいのか!」
堅枠大の言葉を受け、アスラは彼の左手に目を向ける。彼が何をしようとしているのか、アスラは一瞬で悟った。
彼女は堅枠大の双眸を再び睨み付ける。
「臨時の軍役希望なら国務所に行くんだ! わざわざ最高権力者のところに行く必要はないだろう!」
「国務所じゃ遅いんだよ! 実質あと二日しかないんだ! キーテス様に直接言わなきゃ間に合わねえよ!」
「キーテス様はお忙しいのだ! それはカタワクもわかっているだろう!」
「やかましい! 今言わなきゃダメなんだよ!」
アスラと堅枠大は互いに怒声をぶつけ合う。二人とも意地になっていた。このままでは平行線のままだ。
二人の言葉が途切れたところで、スィーラがアスラに目配せをする。
「アスラ、どうする?」
そう問われたアスラは、冷たい目をして、堅枠大から視線を逸らした。それから大きくため息をついて、スィーラに顔を向けた。
「口で言ってわからないなら、実力行使に出るだけだよ。一旦地下牢に連れていこう」
「了解!」
堅枠大を取り押さえていた三人が、彼の体を持ち上げようとする。
このままでは堅枠大は独房に入れられてしまう。それも二か月前のような緊急措置ではなく、罪人として。そうなれば、彼の決意も行動もすべて無駄になってしまう。下手をすれば、この国が火竜に滅ぼされてしまうかもしれない。
堅枠大は必死で抵抗した。
だが、無情にも彼の体は親衛隊員たちによって完全に自由を失ってしまった。
「キーテス様ああああああああああああああああ!」
堅枠大は腹の底から叫んだ。
彼の体が担ぎ上げられ、連行されようとした。
しかしその時、執務室の扉が大きな音を立てて開かれた。廊下に居る全員の視線が、扉の先に向かう。
そこに居たのは、自ら扉を開けて両手を広げている、国王キーテス=ヒューライだった。
「まったく、騒がしいな」
キーテスは呆れたように呟く。
その声は決して大きなものではなかったが、王宮本棟三階の隅々にまで通り、その場に居るすべての人間の耳に届いた。
廊下に待機していた重臣たちは両端に寄り、堅枠大を警戒していた親衛隊員たちは国王に体を向けてひざまずく。堅枠大を持ち上げていた三人とアスラも動きを止め、国王を見るだけになった。
周囲が一瞬にして静まる。
キーテスが歩き出すと、彼の足音が廊下中に響き渡った。
国王は堂々とした足取りで廊下を進み、堅枠大のもとにやって来た。
「キーテス様……」
堅枠大は親衛隊員たちに持ち上げられたまま、気の抜けた顔でキーテスと目を合わせた。
二か月前と変わりなく美しいその顔で、キーテスは不敵な笑みを浮かべる。
「ほう、間違いなくカタワク本人だな。よかろう。これほどの無茶をしてまで話したいことがあるのだな……皆、その者を離してやれ」
キーテスは静かな声で親衛隊員たちにそう告げた。
だが、堅枠大を取り押さえている三人とアスラは、キーテスの言葉に対して戸惑うだけだった。どのような目的であれ、堅枠大は特異体質魔法を発動させた危険人物。国王の前で解放するわけにはいかなかった。
「し、しかし、この者は……」
アスラは親衛隊員を代表して、そのことを国王に伝えようとする。
その弁明を遮るかのように、キーテスは彼女を睨み付けた。
「余は! その者と話がしたいと言っているのだ!」
「し、失礼しました!」
キーテスの怒声に、アスラは反射的にひざまずいた。
堅枠大を持ち上げていた三人もすぐに彼を下ろし、その場で床に片膝をついて顔をわずかに伏せる。
堅枠大は自由の身になったが、どうしていいかわからず立ち尽くしてしまった。
そんな彼に対し、キーテスは真剣な眼差しを向ける。
「カタワク、ついてまいれ。他の者は執務室に立ち入らぬように頼むぞ」
キーテスは落ち着いた声でそう言って、踵を返して執務室へと歩き出した。
彼の雰囲気は、普段の緩いものとはまったく異なっていた。その威厳のある王の姿に、廊下に居る誰もが口を閉ざしてしまっていた。
それは堅枠大も同じだった。
彼は無言で白いローブを脱ぎ、それをアスラに手渡す。それからブレスレットと手袋を拾って素早く左手に装着すると、急いでキーテスの後を追った。
堅枠大とキーテスは横に並んで執務室に入る。
執務机の前には五人の重臣が居た。男性が三人、女性が二人。彼ら彼女らは紫色のマント着けているだけでなく、紫色の小さな冠を頭に被っていた。
重臣たちは堅枠大に奇異の目を向ける。
そんな五人に対して、キーテスは険しい視線を刺した。
「急な要件ができた。これは現時点での最重要案件である。すまないが、話は一時中断させてもらいたい。大臣の方々、ひとまず外で待機してくれ」
国王の声は特段大きなものではなかったが、力強さがあった。
大臣たちは互いに顔を見合わせた後、事情を察して頷き合う。
「承知しました」
五人は国王に小さく頭を下げ、落ち着いた様子で執務室から立ち去っていった。
扉が閉められ、執務室内は堅枠大とキーテスの二人きりになった。体が縮んでしまいそうなほど静かな空間で、堅枠大は黙って立つことしかできなかった。
キーテスは机の前まで歩き、窓ガラス越しに夜空を眺める。
「さて、これで落ち着いて話せるな」
そう言う彼の声は、柔らかで親しみやすいものに戻っていた。そのおかげで、堅枠大の緊張が和らぎ、言葉を発せる状態になった。
「俺のために時間を取ってくださって、ありがとうございます。ですが、本当によろしかったのですか?」
彼の問いかけに、キーテスは背中を向けたまま応える。
「それを余に問うのか? 今の余はただの旗印ではない。この国の最高権力者だ。どのように国を動かし、いかにして火竜を撃退するのかを考え、実践しなければならない。そしてその責任は、すべて余にある。今の余がどれほど忙しいのか、カタワクにも想像くらいはできているのだろう?」
キーテスの声は穏やかだった。
しかし、その言葉は堅枠大に重くのしかかった。今の国王がどれだけの重責を抱えているのか、堅枠大には完全に理解することなどできない。だが、容易く言葉をかけられる状態ではないということは、彼はわかっていた。
それでも、堅枠大はキーテスに言葉を投げかける。
「ええ。だからこそ、こうして特別に時間を取ってまで俺と話す価値はあります。キーテス様も、それをわかっているからこそ、俺をこの部屋に入れてくださったのでしょう?」
彼はそう言って胸を張る。その声は自身に満ち溢れていた。
キーテスは左半身だけ後ろに振り返り、不敵に微笑む。
「その通りだ」
国王は堅枠大を見ながら、彼に体の正面を向ける。キーテスは執務机の前に立ったまま、両手を腰に当てて堅枠大の双眸を見つめた。
「では、聞こう。そなたが話したいこととは何だ?」
そう問われ、堅枠大は唾を呑み込んだ。
自分の言いたいことを国王はわかっている。彼がそう思ってしまうほどに、今のキーテスには貫禄があった。しかし、たとえ国王に見通されていたとしても、自分の言葉で伝えなければ意味がない。
堅枠大は両拳を握り締め、キーテスの目を見据えた。
「俺を……俺を火竜撃退の最前線に入れてください! この氷結の力で、あの火竜を氷漬けにしてみせます!」
彼は自らの左手を見せつけながら、叫ぶように言った。
その言葉を受け、キーテスは嬉しそうに口元を上げた。だが、彼はすぐに表情を引き締め、堅枠大に険しい目を向ける。
「なるほど……だが、そなたは二か月前に余の申し出を断ったではないか? なぜ、今になってその力を使おうと思った?」
「こんな今だからこそ、使おうと思ったんです」
堅枠大はキーテスの問いに即答し、左拳をさらに強く握り締めた。
「元の世界では、俺には守りたいものがありませんでした。自分の住む世界がどうなっても知ったことではないと、本気で思っていました。ですが、この世界に来てから、大事なものが、失いたくないものが、たくさん出来ました。俺はそれを守りたいんです。あの火竜に畑が燃やされるのを間近で見たからこそ、本気でそう思えたんです」
堅枠大は心の奥底に秘めていた思いを吐き出す。
彼の話を聞き、キーテスは視線をより一層厳しくした。
「そうか。そなたの気持ちはわかった……だが、死ぬかもしれんぞ?」
キーテスの声は低い。だが、そこには優しさがあった。堅枠大は現代日本での過重労働から解放されて、ヒューライ国での第二の人生を謳歌していた。そんな人間を、国王はわざわざ死地に向かわせたくはないと思っていた。
堅枠大は国王の気持ちを察した。だが、その優しさを、甘さを、今受け取るわけにはいかなかった。
彼は表情を引き締め、国王に向けて宣言する。
「もとより承知のうえです。俺はもう、一度死んでいますから。この暮らしを、そしてこの国を守るために身を投げ出すくらい、どうってことありません」
その言葉に嘘偽りは無かった。
キーテスは険しい表情から一転して笑みを浮かべる。
「よくぞ言ってくれた! カタワク!」
国王は喜々とした足取りで堅枠大に歩み寄り、その両肩に手を置いた。透き通るような青い瞳をわずかに潤ませながら、キーテスは堅枠大を見上げる。
「余は、そなたのような民が居ることを誇りに思う。その命、余に預けてくれるな?」
「もちろんです。そのために、俺はここまで来たんですから」
堅枠大は力強く承諾する。
それによって、彼の意思はより強固なものと化した。
キーテスは彼の肩から手を離し、再び両手を腰に添える。国王は目の前の水運奴隷を称えるかのように、大きく口元を上げた。
「では、これより、氷結の特異体質であるカタワクを、火竜撃退の鍵とみなす! そして、この三日間、そなたを余の直属の配下とする! よいな!」
「ははっ!」
国王の宣言を聞き、堅枠大はその場にひざまずいた。彼のそれは、親衛隊員にも劣らない、凛とした動作だった。
キーテスは堅枠大の返事を満足気に見届けると、執務室の外に向けて大声を上げた。
「アスラ! アスラは居るか!」
「はっ! ここに!」
執務室の扉が開き、威勢の良い声が執務室内に響き渡る。外で待機していたアスラが、国王の呼びかけにすぐさま応えたのだ。
アスラは執務室に入り、扉を閉めてから歩き出す。彼女は足を引きずりながら堅枠大の右隣に歩み寄ると、彼と同じようにひざまずいた。
キーテスはアスラを心配そうな目で見ながら、彼女に優しく声をかける。
「アスラに頼みたいことがある。その体で働いてもらうのは忍びないのだが……余の頼み、引き受けてくれるか?」
「ええ、なんなりと」
アスラは普段と変わらない声色で答える。重傷を負った状態でも国を守るために動けることを、彼女は嬉しく思っていた。
キーテスは凛々しい顔をしてアスラに命令を下す。
「では、アスラよ。そなたを火竜氷結隊の隊長に任命する!」




