1-3 取り調べ
茶髪の女性医師はベッドから一歩遠ざかり、白ローブを着た黒髪の小さな女は患者用椅子の左隣に立ち、黒服の金髪女性は患者用の椅子に座って堅枠大と対面した。
金髪女性は穏やかな顔をして彼と目を合わせる。
「先ほどは手荒な真似をしてすまなかったね。ワタシはアスラ。国王親衛隊の一員であり、この国の非常時要員でもある。わかりやすく言えば、軍や警察、救助隊などへの助っ人みたいなものだよ。以後、よろしく頼む」
その女性はアスラと名乗り、凛々しい声で堅枠大に挨拶をした。
彼女は黒髪の女性と医師を一瞥する。二人はアスラの視線に気づき、彼女に続いて自己紹介を始めた。
「わたしはリサです。国家魔法士であり、王宮の自由研究員です。また、アスラと同様に非常時要員でもあります。今回はアスラの要請を受け、実験中でありながら駆けつけてきました。よろしくお願いします」
小柄な黒髪女性はリサと名乗った。リサの言葉は丁寧だったが、その声はどこかトゲのあるものだった。
「私は国家医師のクーディよ。この診療所で患者を診ているわ。よろしくね。……あ、私は非常時要員ではないわよ」
最後に、女性医師がクーディと名乗った。彼女の声は穏和で柔らかく、聞く者を安心させる力があった。
三人に自己紹介をされたので、堅枠大は頭を小さく下げた。
「どうも……堅枠と申します」
彼はとりあえず名字だけ名乗る。
それ以外は何を話せばいいのかわからなかった。彼女たちの言葉や名前がわかったとはいえ、この土地や国のことなど不明なことのほうが多い。彼女たちの自己紹介にも、彼はあえて言及しないことにした。
「ふむ、カタワクか。よろしく」
金髪のアスラは彼の名前を復唱し、咳払いをした。
それは、話題転換の合図だった。
「カタワク、さっそくだがいくつか尋ねたいことがある。もちろん君のほうもいろいろ聞きたいことがあるだろうが、今は我慢して欲しい。一応、この質問は公務だからね」
アスラは口元をほころばせる。
だが、その目はしっかりと堅枠大の瞳を覗き込んでいた。彼女が警戒を解いたわけではないということは、彼にも理解できた。
堅枠大はアスラに従うことにした。
「は、はい。わかりました」
「まず、カタワクはどこから来た? その聞き慣れない名前といい、言葉といい、その服装といい、その顔といい……到底、この周辺の人間ではないように見えるのだけど」
アスラは凛々しい表情で問いかける。
何かを取り繕ったり、嘘をついたりしても、利点はない。彼はアスラの質問に対し正直に答えることにした。
「出身地は日本の茨城ですが、今は東京の西のほうに住んでいます。いや、正確には住んでいました、ですね」
「ニホン? イバラキ? トウキョウ? ……リサ、クーディ先生。そういった地名を聞いたことは?」
アスラは眉をひそめながら二人に目を向ける。
リサとクーディは首を小さく横に振った。
「この国の周辺には無かったと思います」
「それどころか、この大陸のどこにもそんな地名は無かったはずよ」
二人の言葉を受け、アスラは納得したように息を吐いた。
「そうだよね……わかった」
彼女は再び堅枠大に向き直る。
「次の質問だ、カタワク。君はどうやってここに来た? 街の人は光の中から君が突然現れたと言っていたが……なにか魔法でも使ったのか?」
「まっ、魔法!? い、いやいや、使うどころか、魔法なんて存在しませんよ!」
彼は素っ頓狂な声を上げる。
自分が敵ではないと示したい気持ち。魔法というファンタジーな言葉がごく自然な流れで放たれたことへの驚き。その二つが混ざり合ってしまった。
アスラは理解し難いモノを見るような目を堅枠大に向けた。
「どういうことだ? 君は何を言っている? 魔法が存在しない? まさか。君がこうして我々と意思疎通ができるのは、リサがかけてくれた翻訳魔法のおかげなんだよ」
彼女の言葉がそこで止まる。
なにを言えばいいのか、何を問えばいいのか。アスラはそれがわからなくなってしまったのだろう。魔法が存在しないなど、彼女は考えたことも無かったのだろう。
助けを出すかのように、白ローブのリサが口を開いた。
「単純に、カタワクがもと居た所に魔法が無かった。そういうことだと思いますよ、わたしは。おそらく、別の世界からやって来たんじゃないですか?」
リサの見解に、医師のクーディが驚いたように目を見開く。
「別の世界!? そんなものがあるの!?」
「あっても不思議ではないです。いや、むしろあったほうが自然というか。カタワクが言いう通り、魔法が存在しないというのであれば、この世界とは違う世界だと考えたほうが辻褄が合います。この世界の中であれば、たぶん大陸の外にも魔法はありますよ」
アスラやクーディとは対照的に、リサは冷静だった。
堅枠大はリサに顔を向ける。
「こことは違う世界……つまり、俺は異世界から来た。俺からすれば、俺は異世界に来た。そう言いたいわけですか?」
彼はすがるような気持ちで彼女に問いかけた。
リサは視線を合わせた後、目の力を少し抜いて応える。
「まあ、その可能性が高い、と言うだけの話ですけどね。確証はありません」
「死に際の夢ではなく?」
堅枠大は問いを重ねる。少しでも不安を取り除きたくて、自分が否定した夢説を他人にも否定して欲しかった。
だが、その質問がリサの何かに障ったのか、彼女の表情が歪んだ。
「はあ? あんた何言ってんの? この世界があんたの夢だって? バカげたこと言ってんじゃねーよ! あたしたちは確かに生きているし、この世界だって先人たちが積み上げて今があるんだ! あんた、自分が上位存在だって言いてえのか? ああ!?」
リサは口調を突然厳しくし、堅枠大に対してまくしたてる。
彼はその変容ぶりに身を少し引くことしかできなかった。だが、それでは彼女の怒りから逃れることはできそうになかった。
そこに、椅子に座ったままのアスラが口を出す。
「ねえ、リサ。口が汚くなっているよ。丁寧語はどうしたの?」
「おっと、これは失礼しました」
リサは慌てて口を両手で押さえ、何度か深呼吸をする。それに伴って、リサの表情から歪みが取れ、周辺に漏れ出ていた怒気も薄れていった。
落ち着いたところで、リサは再び堅枠大に向けて話し始める。
「とにかく、これはあなたの夢ではありません。ここはヴィーアント大陸の西側に位置するヒューライ国。小国ではありますが、百年の歴史を持つ中堅国家です。前身の国家も含めれば、歴史はもっと長いですが」
「ヴィーアント大陸……ヒューライ国……そんなの、地球にはなかった。やっぱり異世界かあ……」
リサの説明を受け、堅枠大は現在地の確定に複雑な気持ちを抱いた。少しだけ嬉しさもあったが、心細さのほうが強かった。
そんな彼に対し、アスラは優しく言葉をかける。
「まあ、そういうことだね。幸い、カタワクの意識ははっきりしていて、体は健康で、我々への敵意も無い。異世界から一人来てしまって不安だろう? 元の世界への帰り方を探そうか? もし帰れなくても、ここでヒューライ国民として暮らせばいい」
彼女の言葉を受け、堅枠大は元の世界に思いを馳せた。
だが、浮かんでくるのは過重労働で辛いだけの毎日だった。それを思い出した途端、異世界に来た心細さよりも、元の世界から抜け出せられた嬉しさのほうが遥かに大きくなった。
「そう、ですね。元の世界にもどっても、あんまりいいことないですし。そもそも心臓が止まって死んだはずですし。違う世界でやり直せるなら、そのほうがいいです」
そういう堅枠大の表情と声は暗かった。
だが、どこか前向きな気持ちにはなっていた。そのせいか、彼の表情は暗さと明るさが入り混じる妙なものへと変わっていった。
彼の不気味な顔を見て、アスラとリサとクーディは若干引いた。元の世界で彼になにがあったのか、彼女たちはそれを想像しようとは思えなかった。
この場の微妙な空気を断ち切るかのように、アスラが声を上げる。
「そうか! ならば、新たなヒューライ国民として、カタワクを歓迎しよう。そうと決まれば、まずは国民登録をしないとね」
彼女は立ち上がり左手で堅枠大の右手を取った。
「では行こうカタワク! リサはご苦労だったね! クーディ先生は診療中にすみませんでした!」
アスラの言動により、この場は終わりだという雰囲気になっていた。
別れの挨拶を受け、リサは気怠そうに頭をかき、クーディは笑顔を返す。
「まあ、これも仕事ですからね。実験も待ち時間の途中でしたし、ちょうどいい暇つぶしになりましたよ」
「いいのいいの。これも私の役目だから。他の患者さんも急いでいなかったみたいだし。それじゃあ、カタワクさんのこと、頼んだわね」
「もちろんですとも! では、ついてくるんだカタワク!」
アスラに手を引かれ、堅枠大はベッドから立ち上がる。彼女に引っ張られるままに歩き、扉の前まで来てしまった。
アスラが木製のドアノブに手をかける直前、堅枠大は後ろを見る。
「あ、あの! クーディ先生、お世話になりました! リサさんも、翻訳魔法ありがとうございます! あと、変なこと言ってすみませんでした!」
彼は謝礼と謝罪の言葉を早口で述べる。
アスラはすでに足を止めて彼の用事が済むのを待っていたのだが、彼はそれに気づかずに焦ってしまっていた。
クーディは笑顔で手を振り、リサは少し険しい顔をしてローブのポケットに手を入れる。
「はーい。お大事にー」
「あ、そうそう。言い忘れてましたが、その翻訳魔法はあなた自身の魔力を使ってます。体調管理には気を付けてください。いざというとき魔力切れを起こしたら、意思疎通が取れなくて面倒なことになりますので」
リサがそう忠告した後、アスラがドアノブに手をかけて扉を開いた。
アスラは歩き出し、堅枠大はそれに逆らえない。
「わ、わかりましたー!」
彼はそう言い残して、引きずられるように診療室を後にした。
アスラは待合室の患者三人と受付の女性に「ご協力ありがとうございました」と言いながら歩く。四人は彼女に「お勤めご苦労様です」と言葉を返した。
アスラと堅枠大はそのまま診療所を出て、外の往来を歩き出した。
自分の居場所がはっきりしたおかげか、堅枠大には周囲を見る余裕ができていた。何度か道を曲がっただけでも、この街は碁盤目状に整備されていることがわかった。それに加えて、道路は長方形の石が隙間なく敷き詰められていて、歩きやすい。
道の中央には水路が通っていることが多く、物資の行き来が盛んで街には活気がある。水路の無い道には馬車やリヤカーが通り、水運だけでなく陸運も大いに活用されているようだ。
活気がありつつも平和な、石造りの街並み。電柱のような近現代的なものは無いが、街の人々は幸せそうな笑顔を浮かべている。どこかの満員電車とは大違いだった。
(これは、楽しみになってきたぞ……おっさんのまま転生してしまったけど、それはそれでアリだな。冒険か? ほのぼの生活か? 何でも来いよ! 異世界で送る新しい人生、存分に味わってやろうじゃないか! あんな奴隷生活、二度とごめんだな)
堅枠大はアスラに引っ張られながらも、胸を高鳴らせた。
自然と足取りも軽くなり、二人は足早に歩いた。