3-3 激昂
国王キーテスが突然現れ、周囲の兵士たちは驚きを隠せなかった。もちろん、それは堅枠大も同じだったが、彼はその場で立ち止まることを選んだ。ただの水運奴隷である彼には、事の成り行きを見守ることしかできなかった。
キーテスは火竜に近づこうとしていた。
周囲の兵士たちは咄嗟にキーテスの腕を掴み、彼を止めようとする。
「いけません! キーテス様! 危険です! お下がりください!」
「離してくれ。余はこの火竜を問い詰めねばならん」
キーテスの声は低く、そして不気味なほどに静かだった。
彼は兵士たちの腕を振りほどき、制止する声を聞き捨てて部隊の先頭に立った。ヒューライ国王は丸腰で火竜と対峙する。
彼の表情は歪んでいて、怒りを隠し切れていなかった。
「そなたが、東で暴れ回っているという噂の、火竜か?」
キーテスは声を抑えながら尋ねる。
火竜はゆっくりと目を開ける。それから舐め回すようにキーテスの全身に視線を移し、最後に彼の青い目を睨んで口を開いた。
「何者だ、貴様は?」
「キーテス=ヒューライ。この国の三代目の王だ」
国王は臆することなく火竜に言葉を返す。
火竜と戦った魔法士や戦士たちにさえ、多少の怯えがあった。だが、キーテスにはそういった感情が一切見られなかった。
「ほう。この国の王か。王自らが我の前に出てくるとは……東の王どもは姿を見せぬ臆病者ばかりだったが。西の、それもこんな小国に、これほど勇敢な王が居たとはな。感心だ」
火竜は上機嫌そうに小さく笑う。
それとは対照的に、キーテスの表情は険しさを増した。
「その言葉、素直に受け取っておこう……して、そなたが噂の火竜で間違いないのだな? なぜこの国を襲った?」
「我の噂が山脈を越えて西にも伝わっているとは……くくっ、どうやら我の力は相当のものであるようだ」
キーテスの問いかけを、火竜は喜々として無視する。
火竜はヒューライ国のことを何とも思っていないようだ。火竜にとって、こんな国など所詮は人間の小さな巣。そう感じ取れてしまうほどの火竜の態度に、キーテスの怒りは増大した。
「答えよ! なぜこの国を襲った! なぜ国民の努力の結晶である畑を焼き払った! そしてなぜ、そこまで破壊しておいて人を殺さない! なぜだ! 答えよ!」
キーテスの怒声が農耕地帯に響き渡る。
そのあまりの気迫に、火竜は笑うのを止めた。火竜は一度口を閉ざした後、キーテスに向けて悠々と語り始めた。
「我が力を世界に知らしめるためだ。畑を焼き、建造物を破壊した後、軍隊をおびき寄せ、それを打ち破る。そうすることで、我の力を恐怖とともに人間の記憶に刻み付けるのだ。人を殺してしまっては、それができぬであろう?」
その言葉の直後、キーテスの顔が怒りに染まった。
「そのような理由で破壊行為を繰り返していると? 生きるためではなく? ……いや、いかなる理由でも、生命の営みを安易に奪うことは許されない!」
キーテスは足を激しい勢いで前に出し、火竜に歩み寄る。
そして、彼は至近距離で火竜の目を睨み付けた。
「余はそなたの行為を許さぬ。必ずだ。必ず、その罪を贖ってもらう。もちろん、今ここで断罪してもよいのだがな!」
キーテスには火竜を恐れる感情などなかった。
彼の全身からは、火竜への怒りがはっきりと表れていた。火竜に噛み殺されるかもしれない距離であるのにもかかわらず、キーテスは侵略者へとさらに詰め寄る。王のその行為を、周囲の兵士はおろか駆けつけた国王親衛隊員ですらも止めることはできなかった。
「ふはははは! ふははははははっ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ!」
「なにが可笑しい?」
火竜が突然笑い出し、キーテスは眉をひそめる。火竜はどこか嬉しそうに目を見開きながら、口を大きく開いた。
「気に入った! 気に入ったぞ小国の王よ! 貴様の勇気。そして我を止めた軍の強さ。この国は真っ向から打ち砕くのが相応しい! 滅ぼすのは三日後の日の出にしてやる! それまでに戦いの準備をしておくのだ! その時が来れば、我は再びこの地に舞い降りようぞ!」
「このままヒューライ国が貴様を逃がすと思うか?」
キーテスは火竜を睨み付ける。
それと同時に、火竜を取り囲んでいる兵士たちも厳しい視線を敵に向けた。彼ら彼女らはすぐにでも攻撃できる体勢をとり、火竜を拘束している戦士たちはロープに更なる魔力を込めていく。ヒューライ軍はこのまま火竜を倒すつもりでいる。
だが、火竜は不敵に口元を上げ、全身に力を溜め始めた。
その力はあまりにも大きかった。キーテスは危険を察知し、すぐに数歩下がった。
その直後、火竜の全身が震えた。
「ふんっ! うがあああああああああああああっ!」
火竜はその場で手足や翼を振り回した。火竜の体に巻き付いていたロープが引き千切られ、無数の重りが地面に降り注ぐ。ロープを握っていた兵士たちは翻弄され、その大多数がその身を飛ばされて地面に転がった。
火竜は火も吐かず、爆発魔法も使わず、ただ己の膂力のみで体の自由を奪い返してみせた。
その事実に、兵士たちはどよめいた。だが、その中でキーテスだけは、狼狽することなく静かに目を閉じていた。
火竜は立ち上がり、余裕のある目つきをしてキーテスを見下ろす。
「逃がすかと思うか、だと? この程度の拘束、本気になればいつでも破れたのだぞ」
十メートルを超える巨体が、ヒューライ国王の間近にそびえ立つ。火竜が動けばキーテスは踏み潰されてしまうだろう。
「騎馬隊! もう一度拘束魔法をかけろ!」
指揮官の一人が国王を守ろうと、部下に対して命令を飛ばした。
だがその直後、キーテスは両目を開き、兵士たちを右手で制した。
「動くな! ヒューライ軍はこれ以上攻撃をしてはならん!」
キーテスの声は農耕地帯に響き渡り、兵士全員の耳に届いた。攻撃態勢に移りかけていた者たちは、反射的にその動きを止める。
キーテスは一歩も動かず、火竜を見上げた。
「三日後の日の出、だな? ならば、それまではどの国にも危害を加えないと誓え。もしそれができないのであれば、今より諸国連合……いや、大陸西側の全勢力をもって、貴様に全面戦争を仕掛ける」
キーテスは重い声でそう告げた。
彼は本気だった。
大陸西側世界が一つになって、火竜と戦う。それも今すぐに。途方もない話に思われるが、今のキーテスにはそれを実現してしまいそうなほどの強い意思が感じられた。
大陸の西側には、ヒューライ国と同等かそれ以上の戦力をもつ国もあるだろう。もしそれらの国が結集して一斉に攻撃してくるようなことがあれば、無敵の火竜といえども流石に分が悪い。
「大陸西側すべて、か……我は大規模な戦争をしたいわけではない……よかろう。これより三日間、我はどの土地も襲わぬ。だが、それには交換条件があるぞ?」
「なんだ? 言ってみるがいい」
「三日後、我と戦うのはこの国のみにせよ。他国が軍を出すのであれば、我もその国々を襲う。よいな?」
その言葉を聞き、キーテスは顔を伏して考え始めた。
火竜から提示された条件は、圧倒的に火竜に優位だった。だが、それを呑まなければ、ヒューライ国だけでなく、大陸西側全土が火竜に蹂躙されてしまう。それだけは絶対に避けなければならなかった。
キーテスは決意を固め、顔を上げて火竜をまっすぐに見た。
「他国が、軍を、出さなければよいのだな? ……いいだろう。このヒューライ国の戦力だけで、貴様を返り討ちにしてやる」
「強き小国よ、楽しみにしているぞ」
火竜はキーテスの言葉に満足気に頷くと、翼をはためかせて飛び上がった。火竜は体の傷をもろともせずに飛行し、そのまま東の山脈の向こうへと消えていった。
火竜が居なくなり、ヒューライ国南部の農耕地帯は静けさを取り戻した。だが、実りの秋を迎えるはずだったその光景はすでに無く、今は黒い土と灰が広がるだけの荒野が広がっていた。
強大な侵略者と戦った兵士たちは、東の山脈を茫然と眺めることしかできなかった。国を一時的に守れたという誇りは確かにあった。だが、それを遥かに上回る無力感が、兵士たちの胸を押しつぶしていた。
キーテスは空を見上げたまま、静かに目を閉じた。
そんなキーテスに、親衛隊員五人が駆け寄った。
「キーテス様、ご無事ですか!」
親衛隊員たちは国王を取り囲み、心配そうに呼びかける。
だが、キーテスはそれに応えなかった。彼は顔を上に向けたまま、何度か深呼吸をしていた。
その後、キーテスは目を開け、凛とした表情で踵を返した。彼は親衛隊員の輪を抜け、都市に向けて悠然と歩き出す。
「これより、王権の発動許可を議会に申し立てる。親衛隊員は速やかに貴族を集め、緊急議会の開始を申請せよ。軍と警察は国民を王宮前に集めるのだ。詳しいことは追って説明する」
キーテスは真剣な声色で周囲の人間に指示を飛ばした。
その姿は、普段の柔らかなものとはまったく異なっていた。指示を受けた人物たちは呆気にとられたような顔をしていたが、すぐに事の重大さを理解して表情を引き締めた。
「ははっ!」
親衛隊員と軍の指揮官は威勢よく返事をし、それぞれの行動に移った。親衛隊員は都市へと駆けていき、軍の指揮官は兵士たちに命令を下す。兵士たちは二手に分かれ、本隊は都市に向かい、集落駐在隊や国境警備隊は農耕地帯に散らばっていった。
キーテスは自分の指示が行き渡ったことを悟り、移動魔法を使って農耕地帯から姿を消した。
移動魔法の黄色い光が消える。
事の次第を見守っていた堅枠大は、ここで我に返った。
アスラは無事だった。火竜は去った。国王キーテスは国を守るために動き始めた。今の堅枠大がここで確かめるべきことは何一つない。
「ぼーっとしてる場合じゃない! 早く職場に戻らないと!」
堅枠大は都市に向けて駆け出した。
西に傾いていた太陽が、存亡の危機に瀕したヒューライ国を照らしながら、緩やかな速度で沈んでいく。




