2-12 日常への帰還
堅枠大が執務室を出ると、親衛隊員の三人はすぐに反応した。
三人は執務室の扉から数歩離れたところに待機していた。ガウィンとスィーラは彼に目を向け、アスラは堅枠大に歩み寄る。
堅枠大が扉を閉め終えたとき、アスラが彼に話しかけた。
「終わった? 随分と長かったね」
「ああ。いろいろと国王様に質問されてね。国王様からもたくさんお話してもらったよ」
堅枠大はリラックスした状態で応える。
執務室に入る前はあれほど緊張していたのに、それが嘘だったかのように今の彼は落ち着いていて、穏やかな笑みさえ浮かべている。
その様子を見て、アスラは安心したように口元を緩めた。
「そうだったんだね。キーテス様もカタワクも、楽しいひと時を過ごせたようでなによりだ。では、王宮の出口までワタシが送っていこう。スィーラ、ガウィン。交代の時間まで引き続き頼んだよ」
アスラの言葉に、親衛隊員の女性のほうが先に反応する。
「了解。ちゃんと送ってあげてね」
「ああ、ここの警備は俺たちに任せておけ」
女性に続いて、男性もアスラに返事する。
堅枠大はそのやり取りを見て、女性のほうがスィーラ、男性のほうがガウィンなのだろうと推測した。だが、どちらがスィーラでどちらがガウィンなのか確かめる必要性は感じなかった。
「お勤めご苦労様です」
堅枠大は二人に軽く会釈をし、アスラとともに執務室とは反対方向へと歩き出した。
王宮本棟三階を歩き、階段に差し掛かったとき、アスラが堅枠大に話しかけた。
「キーテス様とは、どんな話をしたんだ?」
「俺がもと居た世界のことをいろいろ訊かれたよ。歴史のことだったり、文学や芸術のことだったり、科学のことだったり、俺が居た時の世界情勢だったり……もっと勉強したり世間に感心を向けていたりすればよかったって、初めて心の底からそう思ったよ」
堅枠大はため息をついた。
国王に話をした時のことを思い出すだけで恥ずかしくなる。彼は他人に話せるほど、自分が生きていた世界について知っていたわけではなかった。知らないことは身近なところにだって山ほどあると、彼は今回の面会で思い知らされた。
彼が落ち込む横で、アスラは楽しげな表情を浮かべる。
「そうだったんだね。ワタシも、カタワクが居た世界がどのようなものだったのか、聞きたいな」
「勘弁してくれよぉ……不勉強な自分が恥ずかしいからさ」
「あははっ。まあ、また機会があったら、その時に話してくれたらいいよ。どんな戦い方があるのか興味あるし……それで、他にはどんなことを話したの?」
「国王様に、この国の成り立ちについて教えていただいた」
「そうか。他には?」
堅枠大は言葉に詰まった。
アスラは何の気なしに尋ねているが、堅枠大にも話せないことはある。国王親衛隊に誘われたが、それを断って日常に戻ることを選択したということ。それだけは、ヒューライ国最強の戦士にも教えられない、国王と堅枠大の二人だけの秘密だった。
堅枠大は少し考えて言葉を選んだ。
「いや、特には……いきなり特異体質に目覚めてしまって大変だったな、というお言葉は頂いたけど」
それは無難な回答だったはずだが、アスラはそれを聞いてわずかに眉をひそめた。
アスラはこの時、堅枠大とキーテス国王との間には他言無用の何かがあったと察した。そのうえで堅枠大は国王との約束を守ったと、彼女は考えた。
アスラはすぐに表情を緩め、歩きながらの談笑を続けた。
彼女が何かを察したということには、堅枠大は気づけなかった。
「なるほど……カタワクから見てキーテス様はどのようなお方だった?」
「綺麗で、お茶目な方だった。でも、芯が強そうで、いろいろなことを知っていて、考えていそうな感じもした……かな?」
堅枠大は腕組みをして、上方向に目を向ける。
この答えでいいのか、彼は不安になった。後半は真っ当に褒めているからいいとして、お茶目というのは少し不敬ではないかと感じてしまった。
だが、アスラにはその言葉を咎める様子はまったく無かった。彼女は微笑みながら言葉を返す。
「そう感じたのなら、それがカタワクにとってのキーテス様なんだね。大丈夫、そんな感じで合っているよ」
「そうなのか?」
堅枠大は腕組みを解いてアスラに顔を向けた。
彼女は少し困ったように笑いながら話す。
「うん。まあ、でも、やることなくて暇だからと言って、お供も付けずに移動魔法でどこかへ行ってしまわれる、という困った一面もあるんだけどね。キーテス様にはキーテス様のお考えがあるんだろうけど、親衛隊の皆は心配で堪らないんだ」
「あははは……そういえば、お忍びであらゆるところに行くことが趣味だって、言ってたような……」
「そんなことをおっしゃっていたのか? まったく、本当にしょうがないお方だ」
「そう言うわりには、国王様のことが好きそうな顔をしてるけどな」
堅枠大がそう茶化すと、アスラは笑ったままの顔で前をまっすぐに見つめた。
「それはそうだよ。子どもみたいな面もあるけど、それ以上にキーテス様は誰よりも国民のことを考えてくださっている。この国が危機に陥ったとしても、キーテス様はワタシたちを見捨てたりはしないだろうね。あの方は間違いなく、ヒューライ国三代目の王様だよ」
そう語るアスラの表情は、どこか誇らしげだった。
その後、堅枠大は王宮の地下に戻って服を着替えた。スーツからいつもの水運奴隷の服装になると、日常が戻ってきたような気がした。
彼はスーツを布に包んで持ち運び、アスラとともに王宮前の広場に向かった。
王宮を出た時には、日が沈みかけていた。
「あっつ……」
堅枠大は声を漏らしてしまった。真夏だから、日没前でも暑いものは暑い。
そのとき、彼には初めて気づくことがあった。
「そう言えば、王宮の中は暑くなかったな。あんなに日が差し込んでたのに」
彼の呟きに、アスラが応える。
「王宮には、気温調整の魔道具と、それを専門に扱う魔法士がいるからね。おかげで年中快適だよ。ちなみに、国務所にもその魔道具と魔法士は配置されているよ」
「そうだったんだ……大変そうだな」
「そうだね。でも、そういう人たちのおかげで、国が回っているんだよ」
アスラはそう言って微笑んだ。
魔法がある世界では、人力でエアコンの役割を果たす人もいる。だが、その人たちのおかげで、仕事の効率が飛躍的に高まり、国が動いている。そういった意外な事実を、雑談の中で知ることもあるのだと堅枠大は改めて思った。
少しの沈黙の後、アスラが再び口を開いた。
「じゃあ、ここまででいいかな?」
「うん。ありがとう、何から何まで。医師と魔法士の皆さん、それからリサさんにもお礼を言っておいて」
「わかった。気を付けて帰るんだよ」
堅枠大はアスラと言葉を交わした後、奴隷寮に向けて歩き出した。
広場の中央付近まで来たとき、彼は後ろに振り返って王宮を見た。出入り口にはまだアスラが居て、彼女は手を振って見送ってくれていた。
堅枠大はアスラに手を振り返し、王宮を見上げた。
この二日間は非日常的だった。特異体質の発現、水路凍結、王宮への立ち入り、国王との非公式面会、という普通では起こりえないことが立て続けに起こった。そして、国王からは親衛隊という新たな人生の道を示された。
だが、堅枠大は自分の意思で、水運奴隷という元の日常に戻ることを選んだ。それでよかったのだと、彼は今も思っている。
ここでアスラと別れるということは、非日常が終わるということ。堅枠大にとっての王宮が、許可なしには立ち入れない、特別な場所に戻るということ。
堅枠大はそれを噛みしめながら王宮に背を向け、少しの寂しさを感じながらも奴隷寮に向けて再び歩き出した。
堅枠大が奴隷寮に帰ると、マッコウとジャーガンが入り口で彼を出迎えた。
「カタワクー! 無事だったか!?」
「災難だったな。まさか特異体質になっちまうなんてな」
二人はそう言って堅枠大を不安そうに見る。マッコウに至っては今にも駆け寄ってきて抱きついてきそうな様子だった。
(ああ、日常が、帰ってきたんだな……)
堅枠大は相棒と雇い主の姿を目の当たりにして、頬を緩めた。
彼は二人に歩み寄り、明るい笑みを浮かべる。
「ええ。でも、いろんな人たちが助けてくれたおかげで、大事には至りませんでしたよ。この通り、対策もばっちりですし。このブレスレットとグローブをつけて、一日一回魔力抑制の薬を飲めば、これまで通りの生活ができますよ!」
堅枠大は自らの左手を二人に見せながら、右腕に力こぶを作ってみせた。
マッコウとジャーガンにこれ以上の心配をかけさせないために、堅枠大は明るく振舞った。二人は堅枠大の急変を知ってから、落ちつかない時間を過ごしてきたことだろう。だから、堅枠大はできるだけ自分の元気な姿を見せて二人を安心させてあげたかった。
そんな堅枠大を見て、ジャーガンはぎこちなく微笑んだ。
「まっ、医者先生や国家魔法士がそう言うなら大丈夫だろう! でも、あんまり無理はするなよ。何かあったら、すぐに俺に言うんだ。それか、クーディ先生のところに行くといい。診療所に行くときは事後報告で構わないから」
「はい、そうします。でも、もう大丈夫ですから、また明日から働きますよ!」
堅枠大は満面の笑みを浮かべる。雇い主のジャーガンが自分の身を本気で案じてくれているのが嬉しかった。だからこそ、もう心配はいらないと態度で示したかった。
また、それは相棒のマッコウに対しても同じだった。
その思いが届いたのか、マッコウは白い歯を見せながら、堅枠大の背中を軽く叩いてきた。
「そっか! じゃあ、今日はカタワクの回復記念ということで、メシ奢ってやるよ! 腹減ってるだろ? さっそく行こうぜ」
マッコウはいつものように堅枠大を食事に誘う。
そんな水運奴隷たちの姿を見て、ジャーガンの顔から力が抜けた。彼はようやく安心できたようで、その微笑みは自然なものへと変わっていた。
「食べ過ぎ飲み過ぎには注意しろよ」
「わかってますって」
マッコウは能天気な声色でジャーガンに返事をし、堅枠大を夕食屋へと連れて行った。
夕食時にはジャーガン国内水運の同僚が数人合流し、堅枠大の復帰を祝った。温かい食事と少量の酒を楽しみながら、彼は談笑に花を咲かせた。堅枠大は水路凍結騒動について同僚たちに面白おかしく話したが、国王との面談については約束通り誰にも話すことは無かった。
また、同僚たちからは、水路凍結による被害はほとんど無かったという話があった。それを聞いて、堅枠大は心底安心した。
翌日、堅枠大は水運奴隷としての生活を再開した。
魔力抑制の薬を毎日朝食後に飲み、手を洗うときや入浴時以外は耐氷結のグローブを左手にはめ、魔力放出のブレスレットは常に装着する。それだけで、以前と変わらぬ生活を送ることができた。
水曜日と土曜日は学校に行き、国家魔法士のカオンに道具の点検をしてもらいつつ、これまで通りにヒューライ語と魔法の授業を受けた。また、月曜日は午前中に診療所へ行き、クーディ医師の診察を受けて薬を貰った。
やるべきことは多少増えたものの、堅枠大はこれまで通りに生活を楽しんだ。
だが、若干の不安要素はあった。
ある日の仕事中、国境森林の貿易会社に行った際、そこの職員たちがしていた噂話を、堅枠大は偶然にも聞いてしまった。
「おい、聞いたか? 東のほうでまた火竜が暴れたってよ」
「なんか、山脈の頂上にドラゴンらしき影を見たって人もいるらしいぜ」
「おいマジかよ。そのうち西側にも来るんじゃないのか」
「そうなる前に、東の大国が火竜を倒して欲しいもんだ」
堅枠大はその話を耳に入れながら思った。
(俺は、国王様の誘いを断ってよかったのか? もし本当にこの国に火竜がやってきたら、大国でさえも手を焼く存在がやってきたら、この国はおしまいだぞ。俺の氷結の特異体質があれば、撃退できるかもしれないんだろ?)
そう考えたところで、堅枠大は首を左右に振る。
(いや、この国には強い戦士も魔法士もたくさんいる。奴隷にだって戦える人は数多くいる。俺一人が加わったところで何も変わらない。こんな、自分では制御できないクソ迷惑な力じゃ、火竜を倒すなんてこと、できるわけがない)
彼は左手を強く握り締める。
(俺は、この生活を続けたいだけだ。このヒューライ国で、超ホワイトな労働環境で、水運奴隷として一生を過ごすんだ。俺はあの時、自分の意思でそれを選んだんだ。俺の選択は、間違ってなんかない)
堅枠大はそう思い直し、仕事に戻った。
だが、火竜の噂話を聞くたびに、彼は後ろ髪を引かれる思いに苛まれた。




