1-2 異世界の診療所
それから何度か道を変え、金髪女性は堅枠大を連行する。
街には水路が多く、舟が荷物を運んでいる様子が堅枠大の目に何度も映った。
やがて、剛腕の女性は堅枠大を肩に乗せたまま二階建ての白い建築物に着いた。彼女はその前で一旦足を止めた後、入り口の扉を押し開けて中に入った。
建物の中には木製の椅子が五つあり、現在は二人が座っている。床、壁、天井は白塗りの石造りで清潔感があった。
女性は扉近くの受付に行き、そこに座っている白服の女性に何かを伝える。受付女性は立ち上がり、受付の向こう側へと駆けていく。彼女はすぐに戻って来て、黒服女性に言葉をかけた。
その後、黒服女性は堅枠大を担いだまま奥の扉へと向かい、数回ノックした。
扉の向こうから女性の声がした。
金髪女性は扉を開ける。
その部屋には、机とベッドが一つずつあり、奥には水場のような設備とガラス窓があった。
机の前には水色の服の上に白衣を着た、大人の女性がいる。彼女は穏和な顔つきの美人だった。彼女の茶色い髪は肩甲骨まで伸びていて、少しウェーブがかかっている。バストとヒップは大きいがウェストは細いという体つきで、彼女からは知的な色気が醸し出されていた。
金髪女性は白衣の女性に何かを言って、堅枠大をベッドに寝かせた。
黒服の女性はすぐに外へと駆けていく。扉が丁寧に閉められ、部屋には白衣女性と堅枠大の二人が残された。
彼はここでようやく、自らが置かれた状況に気が付いた。
「ここなに!? 病院!?」
堅枠大は慌てて上半身を起こした。
その勢いで彼は立ち上がろうとする。
しかし、それを防ぐかのように、白衣の女性が彼の右側に歩み寄った。彼女は体の前で両手を開き、ゆっくりと前後に動かす。
(ここ、どう見ても診察室だよな……となると、この人は医者か? それで、このジェスチャーは、落ち着いてって意味か? とりあえず、従ってみるか)
彼はそう考え、ベッドに座った状態で黙った。
白衣の女性は堅枠大の目を見ながら優しく頷く。
その後、彼女は机に置いてあった筒状の物を手に取った。木製のそれは両端が円錐形に広がっている。医師は自分の耳にそれを当てて、調子を確かめる。どうやら、その筒状の物は聴診器のようだ。
彼女は右手の指先で堅枠大のスーツを軽く叩く。
(脱げってことか?)
彼は意図を察してジャケットのボタンを外し、ワイシャツとその下の白シャツを首元までめくり上げる。
白衣の女性は優しく頷くと、筒形の聴診器を堅枠大の胸に当てて診察を開始した。
彼女は堅枠大の胸と背中から体内の音を聞く。次に彼の口内を見て、目を確認する。それから彼の全身に触れ、軽く揉んだり叩いたりしながら身体の状態を確かめていった。
診察の途中、堅枠大は部屋の様子を観察した。ベッドの土台、机、椅子は木製だが、その他の物のほとんどは石を材料にしている。ベッドのマット部分は白く、ちょうどいい硬さ。白衣は膝までの長さがあり、現代の物と比べるとサイズが少し緩い。
まったく知らない場所であっても、診察室の内装は基本的に現代のものと変わらない。そのことが、堅枠大に安心感を与えた。
診察が終わると、彼は再びベッドに寝かされた。
女性医師は彼を指差した後、笑顔を浮かべて両腕で力こぶを作ってみせた。
(異常なしってことかな……よかった)
堅枠大は安堵感から大きく息を吐いた。
それを見た医者も安心したのか、表情を緩めてジェスチャーを解き、椅子に座った。その後の彼女は扉と患者を交互に見ていて、何かを待っているようだった。
他にやれることも無いので、堅枠大は天井を眺めた。
(一回、状況を整理しよう。会社に行く途中、俺は倒れた。おそらく心臓が止まってた。意識を失って、目覚めたら知らない街にいた。ありきたりで曖昧な表現だけど、中世ヨーロッパ風と古代ローマ風が混ざったような街並み。それで、あの金髪の女に連れられて、今は病院らしきところに居る)
彼はそこまで考えて、少し唸った。
(心臓が止まってたから、俺はたぶん死んだんだろう。となると、これは死に際の夢か? だとしたら、こんな荒唐無稽な展開になるのも納得ができる。やけに鮮明な気もするけど、夢なら覚めるはずだ!)
そう思い立ち、彼は両手で自分の頬を思いっ切りつねってみた。
「いっでえ!!」
頬に強烈な痛覚が走り、彼は叫び声を上げる。
女性医師は彼の奇行に驚き、飛び上がるように椅子から立ち上がった。彼女は少し身を引いて患者の様子をうかがう。
現状に何の変化も無かったので、堅枠大はもう一度頬をつねった。
「痛い!」
だが、頬の痛覚が刺激されるという事以外には何も起きなかった。
「夢なのに覚めねえぞ! おかしくないかこれ!」
堅枠大は憤慨して両手でマット部分を叩く。
女性医師は彼に少しだけ近づき、最初と同じジェスチャーをして落ち着くように伝えた。
「落ち着いてられるかよこれが!」
堅枠大は自分が置かれた状況に戸惑い、喚くしかなかった。
医者のほうも困惑していた。この患者は言葉こそ通じないが、意思疎通はなんとか可能だった。身体的には異常がなく、精神状態も落ち着いているほうだった。それがいきなり大声を上げ始めたのだ。彼女にはもう、どうしようもなかった。
そのとき、診察室の扉が開かれた。
女性医師はその方向に目を向ける。その直後、彼女の表情が一気に明るくなった。
医師の視線の先には、二人の姿があった。一人はさきほど堅枠大を連行してきた金髪の女性で、もう一人は小柄な女だった。
その小柄な女は白いローブを着ている。髪は黒色のショートで乱れ気味。身長は金髪女性の胸の高さほどしかなかった。大きな目が特徴的な可愛らしい顔立ちだが、表情は険しく、顔色が少し悪い。
金髪女性は医師に穏やかな声をかけるが、白ローブの女は不機嫌そうに声を荒げた。女性医師はその二人に何かを伝える。もちろん、会話内容は堅枠大には一切わからない。
医者が話し終わると、白ローブの女は声を落ちつかせて頷いた。
小さな女は堅枠大に近づき、何かをぶつぶつと唱え始めた。その声には抑揚がなく、詠唱は十秒経っても終わる気配がなかった。
「な、なんだ? このチビッ子はいったい何をしてるんだ?」
堅枠大はますます困惑し、叫ぶ気力すら失われてしまった。
女性医師は彼を見ながら、人差し指を横にして口に当てる。おそらくそれは、静かにしてというジェスチャーなのだろう。
(よくわからないけど、とにかく従っておこう)
堅枠大はそう考え、仰向けのまま黙って天井を眺めた。
それから一分ほど経ったとき、黒髪女の詠唱が終わった。
その直後、大きな幾何学模様が現れた。それは黄色い光を放ちながら診察室の床から壁、そして天井までを覆い尽くし、少しずつ輝きを増していく。
「な、なんだこれ!? 魔法陣か何かか!?」
堅枠大は目の前で起こっている不可解な出来事に対して、安直な感想しか抱けなくなってしまった。
だが、幾何学模様はそれが正解だと言わんばかりに光を強め、全方向から彼に迫っていった。
彼はとっさに両腕で顔を守る。
「な、なんだ! いったいなんなんだ! や、やめろ! うわーっ!」
その叫びとともに、黄色い光は彼の全身を包み込んだ。
強烈な光の中、彼は今度こそ死んだと思った。
だが、その意識は途切れなかった。目の前が光で見えなくても、呼吸や脈拍の音は聞こえる。自分が生きているという確証があった。
少し経って、視界が明瞭になった。
堅枠大は顔の前から腕を離す。幾何学模様が現れる前と同じように、診察室の白い天井が彼の目に映った。
それと同時に、未知の言語とともに聞き慣れた言葉が聞こえてきた。
「これで、言葉は通じると思います」
「よかったぁ。もう、ほんとにどうなるかと思ったわよ」
「まあ、その者は危険な人物ではないみたいだからね。魔法のおかげで言葉さえ通じるようになれば、いろいろ聞けるだろうね」
堅枠大は驚愕して跳ねるように起き上がった。右側に九十度回り、ベッドの上で正座になる。それから三人の女性を見ながら眉をひそめた。
「あ、あれ? 言葉がわかる……しかも、日本語?」
そう呟いた途端、堅枠大の興奮が収まった。代わりに、ようやく言葉でやりとりができるという、これまでとは別種の昂ぶりが彼の胸の内に湧いてきた。
彼の変化に、白いローブの黒髪女性が反応した。
「お? どうやら成功したようですよ。その珍妙な男から話を聞きましょう」
続いて、黒服の金髪女性が口を開ける。
「珍妙は余計だよ。だけどまあ、これで少しは仕事も進む」
最後に、医師の女性が大きく息を吐いた。
「ここからは、あなたたちの仕事ね。一応、私も立ち会うけど、基本的なことは任せたわ」
三人はそう言って、それぞれに動き出した。




